その804 『地下水路ヲ歩イテ』
けれど、少年が取り乱す様を思い浮かべてやめた。処置の仕方は知識として学んでいる。気は進まないが、この手の毒は、対処できるはずだ。
「欲しい物があるんだけど」
「は? なんだよそれ」
拭き終わったと思われたのだろうか、少年はブライトの方を向いてそう反応してきた。その顔がすぐに驚きに変わる。
「おい、顔が真っ青だぞ」
「ちょっとさっきの魔物の毒を受けたみたいで。持っていたりしないかな?」
「薬なんて高価なものは持ってねぇぞ?」
焦る少年だが、ブライトの説明ですぐに取りに行く。どうもブライトが襲われた地点からそこまで離れてはいないらしい。すぐに必要なものを受け取ったブライトは、手早く地下水路の水で洗い流し、もらったナイフで解体する。そして、それを口にした。少年には露骨に嫌そうな顔をされる。
「げっ、よくそんなの口にできるな」
「そこはまぁ、頑張りで」
少年にもらったのは、クラーケンもどきの触手の一部だ。ブライトに巻き付いていた分が燃えずに少しだけ残っていたらしい。不味すぎるし生臭すぎる。けれど、魔物は自分の体内にある毒にやられることはない。免疫があるからだ。だから口にする価値はある。ちなみに、べとべとの粘液は毒の危険があるため洗い流す必要があった。解体したのは魔物の毒自体を飲み込まないように触手の作りを見る必要があったからだ。
「ほら、ここ。多分、毒を確保するための袋だよ。中和するのはこの隣にあるやつみたい。だから、ここを破らないように……」
「いや、説明すんなって!」
どうにも気持ち悪さが増したらしい。
「なぁ、それよりもお前さ。ミドって奴知らね? お前ぐらいの餓鬼で、おどおどしている奴でさ。こんな髪の」
明らかな話題の転換で、よほど話を変えたかったのだろうと伝わった。こんな髪と言いながら手を動かして説明される。どうも長さを主張しているつもりらしい。首を傾げたが、覚えがあった。こんな偶然があるものかと言いたくなる。その名前は、ヴァールに見せてもらった、『異能者』のリストに載っていたのだ。
「そっか、わからないなら良いんだ。最近、見つからなくて」
「友達?」
ブライトが聞くと、かりかりと少年が頭を掻いた。
「妹みたいな、やつ。俺ら孤児だからな。皆兄弟だよ」
兄妹と考えたら、何だか胸が苦しくなった。表情には気をつけたつもりだったが、何か悟られたらしく少年に殊更明るく振る舞われた。
「気にすんなって! それでミドのやつを探しに普段行かないところに入ったら、はぐれ魔物に襲われているお前を見つけたんだ。お前、相当幸運だぞ」
最も、その幸運は望んでいたものではなかった。とはいえ、さすがに助けてくれた本人には言えまい。
「はぐれ魔物って?」
代わりに質問すると、少年は答えた。
「さっきの魔物だよ。普通は群れで行動する奴だろ? だから、お前も不意をつかれたんじゃねえの?」
群れと聞いて絶句しかけた。地下水路はどうも、ブライトが考えるより危険な場所らしい。
しかも、この話でいうと少年は少なくともブライトより地下水路に詳しそうだ。
「ねっ、少しだけでいいから、一緒に行ってもいい?」
「ん? まぁ、いいぜ。調子が戻るまでぐらいなら面倒見てやるよ。ここもまだ危ねぇし、もし動けるなら場所を変えたいしな」
快諾にほっとしつつ、大人しく頷いた。
「そうだ、お前の名前を聞いてなかった、何ていうんだ?」
素直に答えたらばれるだろうかと不安を覚えてから、当主にもなっていない『魔術師』の名前を知っているはずがないだろうと考え直した。それに名前自体はよくあるものだ。
「ブライト」
ふぅーんと、少年の反応は淡白だ。
「俺はヒューイ。よろしくな」
ヒューイは、ちらりと水路の方を見てから続けた。
「とりあえず、こっちに行きたいんだが、歩けるか?」
ブライトは立ち上がり、頷いた。変なものを食べたせいか気持ち悪さは増しているが、文句は言えない。ヒューイがノートを回収してくれてはいたが、そこには解毒の魔術も気持ち悪さを解消する魔術も記載されていない。そもそも覚えてすらいない。これで毒が回って倒れたら、そこまでということだ。
それに、ヒューイの動き方を見ると、どうも急いだほうが良さそうだ。音か、気配か、何かを感じ取ったように見える。
だからこそヒューイの背中を追いかけて歩くと、あまりの足場の悪さに早速転びそうになった。
「おぅい、大丈夫かよ。もう少し休むか?」
「足場が悪かっただけだから、大丈夫だよ」
「ここから更に入り組んでいるんだから気をつけろよ」
頷いたが、心配されたようでヒューイの足は急に遅くなった。そうした気遣いができるあたりに、妹のような存在が確かにヒューイにはいるのだろうと感じさせられる。
それにしてもヒューイの言うように、魔物のでない道は、かなりややこしい。一人ならば確実に迷子になっていた。その前に、魔物の群れにぶつかって魔物の口の中にいたかもしれない。
それに歩いていると、何だか汗をかいて仕方がなかった。気のせいか、ふわふわとする。
「よし、少しくらいなら落ち着けそうだな」
何を判断基準にしているか皆目見当もつかないが、突然そう告げたヒューイにとりあえずほっとした。
落ち着けるとは言ったものの、ヒューイは足を止めず地下水路をゆっくりと進んでいく。
慣れていない道に極力気をつけながらブライトもついていく。数十分もすると、さすがにふらふらしてきた。目の前に段差が見えてきたところで、かくっと身体が崩れる。
――――あ、まずい。
などと思ったときにはもう遅い。
「おぉい、大丈夫か?」
音に驚いたヒューイが戻ってくるのが、ぼやけて見えた。
「う……」
身体が暖かくて目が覚めた。揺れているのを感じ、どこか心地よさを覚える。
「お、目を覚ましたか」
声が思いの外近くに聞こえて、はっとした。
「えっ、えっ、ヒューイ?」
目の前に、ヒューイの背中がある。おぶられているのだ。
「重くない?」
「重い」
がしっと頭を叩いたのは、女心を大切にしない少年にきちんと教えるためである。
「いてぇな!」
「重いなら下ろしてよ」
ところが、ヒューイはブライトを下ろそうとしなかった。
「お前、全然毒治ってないだろ」
否定はできない。呼吸困難にこそ陥っていないものの、熱っぽい。ふらふらとして倒れた程だ。
「黙っておぶられてろ。どうせ、そんな掛からねぇ」
大人しく黙っていると、何だか落ち着かなくなった。身体が熱いのはきっと、毒のせいだけではない。
恥ずかしさを紛らわせるために、質問をしてみることにした。
「ヒューイは、ずっとここに住んでるの?」
ぷはっと、ヒューイに吹き出された。
「お前、面白いな! そんなわけないだろ、俺は魔物かよ」
どうも、クラーケンもどきと一緒にしてしまったらしい。
「でも、凄く肌が白いから」
白髪に白い肌をしているヒューイは、どこかブライトの父を連想させた。
「そりゃまぁ、閉じこもっている時間は長いけどな。飯だって食わないといけねぇだろ」
「ご飯?」
ヒューイは段差のある場所をぴょんと飛び降りる。ブライトを背負いながらとは思えない芸当だ。
感心していると、ヒューイが続けた。
「串肉とかうめぇよな」
「串肉?」
ブライトの食事は豪華なときは貴族が食するものであり、ミヤンしかいないときはサンドイッチなどの簡易なものだ。屋台などに並ぶ食事は口に入れたことがない。
「は? 串肉も知らねぇの? なんだよ。だったら食わせてやるよ」
クラーケンもどきよりは上手いと、明言される。どうもヒューイにはブライトがゲテモノ好きに見えているらしい。




