その800 『トウトウ』
一体、何のための招集なのか。
ブライトの脳裏に浮かんだのは、ヴァールとの会話だ。王家が特別区域に絡んでいるとの推測。考えられるとしたら、ブライトはヴァールの屋敷で知らずに踏んではいけないものを踏んだのかもしれない。
ビヨンド家やファンダール家の一件が絡んでいる可能性もある。特にマリーナに『異能者』のことを教えたのはブライトだ。ヴァールが気づいていたように、王家の人間がブライトを危険視したかもしれない。いずれにせよ、社交界にも出ていない未成年のブライトが、呼び出されるのだ。ろくなことはないだろう。
とりあえずと身だしなみを整えてラクダ車を飛ばす。指定の時間が迫っていたのだ。強引な呼び出しに、王家の横暴ぶりを感じるが、文句を言える立場でもない。
速度を出しているせいでがたがたと揺れるラクダ車のなか、思いを巡らせながら国王のいる城へと向かう。さすがに屋敷ではなく城と称されるだけはあって、圧倒的な敷地である。正門を通されてからも、まだ先があった。
庭園では、砂漠にあるとは思えないほど豊かな花々が咲いている。富を現すかのように至るところに、噴水の存在も確認できた。ファンダール家も凄いと感じたが、ブライトの屋敷数軒分にはなる敷地に噴水が点在している王家は、規模が桁違いだ。
そして、前方には目的の城がある。翠と白を基調にしており、飛行石があちらこちらに浮かんでいる。砂漠にあると感じさせない美しさを誇っているのは、さすがとしか言いようがない。
更に城に近づくと、ラクダ車が止まった。会話が聞こえ、少ししてハリーが顔を覗かせる。
「ラクダ車はここまでだそうです」
と、告げた。
ハリーは父が議会にでるときに同席していたはずで、恐らく城ははじめてではない。にも関わらず伝聞調なのが気に掛かったが、門番に言われたことをそのまま告げているだけなのだろう。大人しく頷くと、扉が開かれる。
「ご来城ありがとうございます」
声を掛けてきたのは、執事風の男だ。柔和な顔をしわだらけにしている。その隣には男がいた。軽装だが、帯刀しているのを見るに兵士らしい。
「ブライト・アイリオール様ですね。こちらにどうぞ」
執事風の男が話し続ける。呼びつけただけはあって、すぐに案内があるらしい。
ラクダ車はハリーが片付けに行き、ブライトは執事風の男に付き添って進む。大きな扉のなかを潜れば、翠色の絨毯がブライトを出迎えた。踏みしめても、音が一切ならなかった。
突き進んでいくと、獅子のタペストリーがあった。その手前に伸びた階段を上がっていく。城に在住していると思われる兵士たちが、道を進むたびに現れて敬礼をする。そしてその先に、更に大きな扉があった。
「謁見の間でございます」
開かれた扉の先も、絨毯になっている。その周囲には大勢の臣下がいた。人目で『魔術師』と分かるローブの正装のなかに、橙色の髪の男の姿を捉えぎょっとなる。間違いなく、ジェミニだ。今までいくら手紙を出そうと無視を決め込んでいたその男がこの場にいる。駆け寄って詰め寄りたくなったが、理性がブライトを押し留めた。顔に出さないように気をつけ、中央の大きな椅子に座る国王へと近付いていく。病床にあると聞いていたが、普通に対面できるのだなと驚きを覚える。白髪交じりの髪は整えられ、厳めしい顔を作っている。ただ、ブライトはその顔に死相が浮かんでいるように映った。
礼儀作法を思い返しながら、膝をつく。
「ブライト・アイリオール、参上しました」
時刻はきっかりのはずだ。あとは態度さえ粗相のないようにすればよい。
「よい。顔を上げよ」
低く重苦しい声が掛かった。顔をあげると、再び国王の灰色に淀んだ目と目が合う。
「質問に答えよ」
「はい」
さて、何を言われるのかと固唾をのむ。王の渇ききった唇が僅かに震えた。
「そなたは何が為に生きている」
まさかここで、そうした質問が飛ぶとは思うまい。ブライトの頭にあった想定質問とその模範解答が残らず吹き飛んだ。
嘘偽りを繕って、王家のためなどと言うのが正解だろうか。そうした思考が頭を過ぎる。そのとき、隣の席に座る妃に目がいった。妃は国王よりずっと若く見え、美しく結った金髪を手で弄んでいる。その膝元には王子と思われる子供がいた。意志の強そうな目をしており、ブライトのことをどこか面白そうに眺めている。試されているのだとは気がついた。
「大切な人に幸せになってもらうためです」
すぐにブライトなりの答えを口にする。後になって、貴婦人が聞いたら喜びそうな男前発言になってしまったかなと後悔が過るが、その程度のことだ。ブライトはあくまで誠実に答えた。それがこの場で必要なことだと判断した。
「それに、シェイレスタは含まれるか」
続けられた質問に、はてと考えた。王の手前答えは決まっているが、そういえば考えたことがなかったことに気がついたのだ。
「はい」
ブライトはいつも手の届く範囲のことしか見てなかった。更に言えば、手の届く範囲にあるものでも、切り捨てて生きてきた。
しかし、ブライトは貴族であり領土を持つ身だ。そして国王は国を支える身である。ふいにタタラーナが思い浮かんだ。彼女は他国の脅威を想定していた。ブライトにはまだ足りない部分だ。そこは考えを改め、ブライトとしても大きな視野を持つように努めるべきだろう。
「そのためならば、自己も捨てられるか」
「はい。そうあるように、努めています」
答えれば、国王は手で追い返す仕草をした。
「問答は終わった。下がって良い」
大人しく下がってから、ブライトは首を傾げる。ジェミニがいたことから、何か責められるのかと思いきや、一切何もなかった。それどころか、よく分からない問答をしただけだ。法陣もなかったので、嘘を見破る何らかの魔術が発動していたわけでもなさそうだ。理解に苦しんだ。
「お帰りはこちらになります」
しかも、執事風の男も何も答えるつもりはなさそうだ。困った顔を向けてみたのだが、さらりとそう答えられてしまった。こうなっては、大人しく帰るしかない。
その日以降、これといって国王から招集が掛かることもその臣下から接触があることもなかった。悩んでも仕方ないと割り切ったブライトは、粛々とやるべきことを進めることにした。具体的には積極的にお茶会に参加し、令嬢を味方につけ、一方的に染まっていた貴族たちの勢力図を少しずつ変えていった。
タタラーナに呼ばれたサロンにも行った。成人間近とはいえ子供のブライトが来たことでちょっとした騒ぎになったが、概ね好意的に受け止められた。シェパングの文化に触れたのははじめてでかなり新鮮であった。
そして、母の指示も続いた。シャンが片付いたあとも暫くは身内への対応だった。少しずつかつて屋敷に務めていた者たちのうち、候補に上がった者をしとめていく。そのうちに、今度は敵対する『魔術師』が対象になった。ブライトたちと敵対する人間ばかりが死ぬと噂になる。それだけの理由で味方のうち影響のない人間が選ばれることもあった。
けれど、やることは変わらない。隙間時間に多くの魔術を習得したブライトは、実践するかのようにあらゆる手段で手を汚していった。
そうした日々を重ねていくうちに、いつの間にかブライトは『アイリオールの魔女』と呼ばれるようになった。殺害がばれているのではなく、ブライトという存在そのものへの評価のようだ。そのつもりはなかったが、冷酷に見えたのだろう。
そしてある日、ブライトはまた母に呼ばれた。いつもより早く綴られていく文に、感じることはあった。
けれど、実際にメモを渡されるまでは想定もしていなかった。そのメモには、こう書いてあったのだ。
「次のターゲットは、ワイズ。ようやく見つけた、あの女の息子です」
とうとうその日がやって来たのだと自覚した。




