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カルタータ  作者: 希矢
第二章 『生キ抜ク』
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その8 『司令官の女』

 制御室は白い小部屋だった。部屋の奥に大きな窓があり、そこから空の様子が一望できる。壁にはスイッチやパネルが数知れずあり、説明書きらしき文字が浮かんだり消えたりを繰り返す。その様はまるで機械という名の血脈が部屋全体に張り巡らされているかのようだった。

 兵士の姿はない。鎧の代わりに白い制服をきた三人が壁の機械をいじりながらも入ってきたイユたちを見ている。恐らく手が離せないのだろう。どの者たちも顔に危機感を浮かべている。その三人とは別の場所にいた一人は、窓の近くまで弾き飛ばされた扉の被害にあったらしい。扉の下でもがいており、それを別の一人が助け出そうと駆け寄っているところだった。

 部屋の中央には飛行石がある。透明な硝子のなかに入れられたそれは、眩しい光を発しながらふわふわと浮かんでいた。

 そしてその手前には、遠目でも質が良いと分かる立派な白い椅子があった。その椅子に座らず、横に立っているのは女だ。窓の方をじっと見ている。女の背格好ほどはある大きな鎌を右手に添えていた。他の五人とは比べ物にならない存在感が、自然とイユの目を離させない。


「人の部屋に入るときはノックぐらいしたらどうだ」

 男口調の低めの声が室内に響いた。

 女がゆっくりと振り返る。二十代後半といったところか。きりっとした釣り目と、上の方でまとめているにも関わらず腰まで届いた茶の髪が印象的だった。

「ノックしたぐらいじゃ、あんたはここに入れてくれないのでしょう」

 女が薄ら笑いを浮かべた。そうした表情一つにも意志の強さが垣間見える。

「あんたがこの船の司令官?」

 普通の女には見えなかった。兵士と違い、しっかりとした鎧は着ていない。着ているのは制御室にいる他の船員と同じ、胸元にイクシウスの国章が描かれた白い制服だ。その恰好では戦いに向かないのは言うまでもない。だというのに、鎧を着た兵士たち以上の危険な匂いを女から感じた。

「だとしたら、どうだというのだ」

 イユの問いに肯定が返る。

 リュイスの魔法の威力を見ていたにも関わらず怖れているようには全くみえないその余裕が、不安を掻き立てる。この女には司令官以外の何かがある。そう、直感した。

 だが、こうして部屋に入ったからには、失礼しましたと出るわけにはいかない。現状を覆す材料がここにはたくさんある。例え危険な匂いがしたとしても、今はこの司令官をどうにかするより他にない。

「倒すわ」

 一言そう言い放つと、イユは間合いを詰めようと走り出す。

 それと女が左手をあげるのが同時だった。


 鎌をもつ右ではなく、左手を?


 一瞬の疑念が行動の遅れにつながる。それが分かっていたから、すぐさま疑念を振り払い、再び足に力を集中させた。

 ところが次の瞬間、何の前触れもなく目の前が一気に真っ暗になる。走っていた途中だ。態勢を崩した自身の体が前方から床へと倒れるのが分かった。

 機を逃さず、女が鎌を構えてイユへと飛んでくる気配がする。それが分かっても、動くことができない。

「イユさん!」

 こんなときだというのに、初めて名前を呼ばれたとぼんやりと思った。

 先行したイユを追いかけてきたのだろう、リュイスの剣と鎌がぶつかる音がする。力が拮抗し、両者が距離をとったのが分かった。

「龍族には効かないか。忌々しい」

 女が吐き捨てる。

「なによ、これ……」

 イユの吐いた言葉は想像以上に掠れていた。悔しいことに、体に力が入らない。床へと倒れた状態のまま、視界がぼやけ鮮明になり……、を繰り返している。耳もおかしかった。音が全て遠くに聞こえる。

 今の状況が非常にまずいことはわかっていた。何せ命を狙っている相手のすぐ目の前で倒れているのだ。

 しかし、どう足掻こうとしても体が言うことをきかない。いつもはできていた異能の力を使っての無理がどうしてもできない。

「大丈夫ですか」

 近くにいるらしいリュイスの不安そうな声が聞こえた。平気であれば、すぐに返事をしていた。残念ながら、掠れた声を出すのもつらい。

 これは一体、何の冗談だと言いたくなった。イユはただ間合いを詰めるために走っただけのはずだ。それを、左手を掲げられただけで一瞬にして目の前が真っ暗になった。おまけにそのあと力が使えずロクに動けないときている。

「魔法を……、いえ、異能を使えなくしたのですか」

 リュイスの言葉に、合点がいった。

 動かない体を放っておいて、イユは代わりに頭を動かす。頭そのものもぼうっとしていて回転が遅い。

 だが、ここまで言われれば、女の持つ力の可能性に気付けるというものだ。

「あんた、『異能者』なの、ね……?」

 新しく見つかった異能を封じるための技術である可能性もあったが、レイヴィートではそうした目には合わなかった。女を見る限り、耳は尖っていないので龍族ではない。そうなると、残る可能性は一つだ。異能を封じることのできる異能者だろうと想定する。

「ほぅ」

 女が呟いた。その様子が肯定を表しているようにもとれる。

「政府の犬に成り下がったのね? あいつらにさぞ重宝されたことでしょう。異能者を捕まえるのにあんたの力は好都合だから」

 イユの発した言葉は自身が思っていた以上に刺々しく響いた。弾圧されているはずの異能者が、迫害から逃れるために同じ異能者を狩っている。気に入らない事実が、イユの声に怒気を含めたのだ。

「何とでも言うがいい。どうせお前は足手まといのただの餓鬼でしかない」

 女のせせら笑う声が聞こえ、そしてその場から気配が移動した。それに合わせてリュイスが移動したのも分かった。

 悔しいが言うとおりだと苦々しく思う。現状、リュイスのお荷物でしかない。実際、先ほどまでのリュイスならとうに片を付けているはずが、今はまだ相手と刃をあわせている。

 銃声も聞こえ、何かをはじく音がした。敵は女だけではない。他にも戦える者はいるのだろう。

 爆ぜた銃弾が転がって、イユの指先に触れた。

 無防備な状態で死の瀬戸際にいる。その危機感が恐怖になって頭の中をいっぱいにした。

「動きなさいよ、私の体……!」

 一所懸命叫んでいるつもりでも、自身を叱咤するその声はしぼんでしまって、恐らく誰にも届いていない。このままでは、殺してくださいと首を差し出しているのと同じだ。絶望と焦燥が、イユの胸に押し寄せてくる。

 しかし、ここで死ぬなんて絶対に嫌だという思いだけは、血管のように全身を駆け巡っていた。

 歯を食いしばり、無理やり体を動かそうとして悲鳴を上げかける。激痛が体中に走る。背中から一気にきた、レイヴィートの都市を出るときに撃たれたあの痛みだ。治癒力をあげて治ったと思っていたのだが、痛みとしてはまだ残っていたらしい。痛覚が制御できないせいで、耐えられない。


 痛みと戦う最中、制御室に向かって走る足音を拾った。

「リュイス、無事か」

 声とともに銃声が響く。振り返ろうとして新たな痛みが走った。だが、確認するまでもなく分かった。この声はレパードだ。


 船は? あんた一人で来たの?


 様々な疑問が頭をよぎったが、問い質すだけの体力がない。

「僕は何とか……。イユさんを頼みます」

 頼まれたレパードは返事の前に驚きの声を露わにする。

「うわっ、なんだ、この感覚」

「貴様も龍族か。忌々しい」


 リュイスが目の前で女と刃を交えている。イユからみると背中ごしになるが、右の太刀で鎌を払いのけたのがわかる。鎌をはじいたことで女が態勢を崩したのだろう、リュイスは更に左の太刀で攻め入ろうとする。そこで、はっとしたように、後方に飛ぶ。

 何かが壁にぶつかり、音を立てて落ちた。

 目を凝らしてみると、それは小さなナイフだった。飛んできたナイフを後方に飛んでよけたのだと理解する。

「馬鹿者。船を壊すつもりか!」

 女が船員に叱咤しながら、リュイスに向かって鎌を振り上げた。


「無事か」

 はっとすると、すぐ後ろにレパードの姿があった。振り返ろうとして、何度目かの痛みに顔をしかめる。

「どこかやられたのか」

 首を横に振る気力もなかった。

「異能を、封じられただけ」

 絞り出した声が届いたかもわからない。腰を下ろしたレパードに尋ねられる。満足に声が出せないことに気づいたのだろう。

「立てるか」

 挑戦しようとしたが、無理だった。

 それを見たレパードが、イユの腕を自分の首に回す。

「とりあえず、壁際にいくぞ」

 頷いたが、レパードがそれに気付いたかどうかはわからなかった。


 そのまま運ばれる。不規則的に訪れる痛みに意識が遠のいていくのを感じる。痛みと朦朧とする意識との戦いだ。壁際までの距離である。それほど長いわけではない。

 しかしそれがまるで永遠に続くかのように長い。終わらない戦いに、文句は言えない。耐えているだけで、確実に危険から遠ざかっているのだから、楽なものだ。そう考えた途端に、体中を雷が突き抜けるような痛みが走り、思考が乱される。全身を貫く激痛に叫び声を上げかけ、歯を噛みしめた。そこまで無様なところを見せるわけにはいかないと思いつつも、歯の隙間から嗚咽が零れそうになる。唇を噛み、意識を逸らすため、頭の中に書けもしない痛いという字を必死に描き続ける。

 終わりは唐突だった。どさりと下ろされる衝撃とともに、背中に冷たさを感じた。その冷たさに、そこが壁なのだと気づく。

「片がつくまで、そこにいろ」


 レパードは拳銃を手に取り、リュイスの元へと駆けつけていく。

 船員の一人がそれに気づいてレパードに向かって銃を構えた。それよりいち早くレパードが引き金を引く。

 一人が崩れ落ちた。


 この場で意識を失うのが一番怖い。意識を保つべく安静にしつつも、悔しさにどうにかなりそうだった。異能が使えないと本当に自分はただの人間なのだと思わされる。いや、今の状態ではそれ以下だ。治りきっていない怪我で激痛は走るうえ、耳も目も霞がかかっているようだ。おまけに、普通に動くこともかなわない。


 女は、リュイスたちと対等にやりあっている。他の船員たちの援助もあるからだろうが、そちらはレパードが大方仕留め終わっていた。

 リュイスたちは魔法を使っていなかった。リュイスの場合は使い過ぎなせいだろうが、レパードも使っていないことを考慮すると、女の異能は、異能だけでなく魔法を封じることもできるのかもしれない。そうなると、リュイスたちもただの人間のような状態で戦っていることになる。銃弾を防いでいたような気がするが、彼の動きの鈍さを見て推測した。


 そうだとしたら、イユもこのまま甘えるわけにはいかない。


 何か手はないのだろうかと考える。足手まといで終わりたくはなかった。これまでずっと自分の力で生き抜いてきたのだ。ここでじっと待って生かされるのは何か違うと直感的に思った。

 見渡せる範囲で周りを見やると、近くにナイフが落ちていた。あのとき、リュイスが躱したナイフだ。

 這いつくばりながら、ナイフへと一歩一歩近づく。壁にもたれていただけならこなかったであろう衝撃が背中から突き抜けた。歯を食いしばり、手をのばす。届かない。あと、少しが届かない。

 床に落ちたナイフが嘲笑うかのようにその場にとどまっている。


 気に入らない。芋虫みたいに這いつくばりながら、ナイフを手に取るというそれだけのことが、できない。その現実が気に入らない。


 そう思った意地がイユを大きく進ませた。痛みが全身を駆け巡るのが耐え、無我夢中で手を伸ばす。


 届く、あと少しで。届く……、届いた!


 ナイフを握り締めるようにして手に持つ。一所懸命に持ったナイフだが扱ったことはない。だが、何もないよりは何百倍もマシだ。しかも、このナイフは鉄の塊のように重たい鈍器ときている。


 リュイスたちを見ると、まだ攻防を繰り広げていた。女の鎌がまっすぐにレパードへと向かい、それを防ぐようにリュイスが間に入る。

 レパードはその隙に銃を構え隙間から女を撃とうとし、それに気づいた女が後方へと飛ぶ。

 女が離れた瞬間、生き残っていた船員の一人が、他は全員倒れていた――、引き金を引いた。

 二人が慌てて距離を取る。銃弾を避けたレパードが銃を構え、地面を転がりながら引き金に手を当てる。

 だがそこを女が飛びかかった。

 射撃が間に合わないと判断したのだろうレパードが体を後ろに引き、リュイスが間に分け入る。

 レパードが船員を撃たんとすべく走るが船員も馬鹿ではない。飛行石の背後にすでに身を潜めている。


 その様子を見送ると、イユは壁へと振り仰ぐ。その動作だけで痛みが走る。

 壁にはいろいろなボタンが設置されていた。真ん中にはガラス張りの板が埋め込まれていて字が書かれている。どこを押せばいいのかはさっぱりわからない。

 しかし、足手まといになりたくない、状況を覆す何かが欲しいという思いは一貫していた。


 とりあえず、壊す!


 一番簡単な方法で最も好みに合うものだった。両手で構えたナイフを、ありったけの力で壁に突き立てる。激痛と共にナイフがボタンの隙間に食い込んだ。それをさらに引き抜いて、また突き立てる。連続して訪れる痛みに頭ががんがんと鳴り響く。それをもはやリズムのようにして、ナイフを引き抜き、突き立てを繰り返した。

 何回突き刺したかは覚えていない。しかし繰り返すうちに、ガラス張りの板が割れ、無数の線のようなものが見えてきた。それに思い切ってナイフを突き立てた瞬間、火花らしき光が散る。少し危険を感じたが、もう一度ナイフを突き立てる。次の瞬間、目の前で大きな火花が散って反射的にナイフを手放し後ろへ下がった。

 ばちばちと爆ぜる音が聞こえ、黒い煙が上がりだす。


「おい、バカ。なにやった」

 慌てた様子でレパードがとんでくる。

 振り返ると、女もリュイスも呆然とこちらを見ていた。

 そして一瞬の間を経て、船が一気に暗くなる。照明が落ちたのだ。

「貴様、船を落とす気か……!」

 女がイユの元へと鎌を振り上げ飛び掛かろうとする。だが動揺からか、明らかに隙が生じていた。

 それを見逃すはずもなくリュイスが鳩尾に柄頭を叩き込む。

 女が床に転がった。

 すかさず、レパードも女に駆け寄ろうとした船員に銃弾を放つ。女の上に乗りかかるようにして、船員が崩れ落ちる。

「私はこれを壊そうとしただけよ」

 聞こえていないだろう女に答えてやる。

 今度はいきなり床が傾いた。地面にへばりついて、壁に叩きつけられないようにする。大きく動いたことで痛みが走ったが、耳や目がはっきりしてきたことに気付く。女の意識がなくなったからか、異能を再び使えるようだ。

 すぐに痛覚を制御し痛みを消し去る。頭の中はまだがんがんと鳴り響いていたが、どうにかなるだろう。立ち上がった。少しふらつくが、動けない程ではない。

「動けそうですか」

 イユは頷く。

「あいつが倒れたからかしら。なんとかなりそうよ」

 ところがそこで、また床が傾いた。

 レパードが慌てて中央の椅子へとしがみつく。

「誰かのせいで船はなんとかならなさそうだぞ」

 文句を言われたが、異能が戻って気分が良いので気にしないことにする。代わりに、高らかに宣言した。

「さっさと脱出しましょう!」


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