その797 『商談ノ時間』
――――さて、乗り気になったヴァールを相手に何と告げるのが正解か。
商談というものには、生憎と経験がないのである。上手い言葉は返せまい。そのため、率直に告げることにした。
「あたしはあたしの『手』を探しています」
ヴァールの瞳が光った気がした。その反応をどう受け止めるべきか悩ましい。
「それならば、どのような『異能者』をお求めですか?」
そして、中々に難しい質問をされる。猫の手でも借りたいとはいえ、やはりイメージが湧いていない。ウィリアムとの会話で自身の分身が欲しいとは考えたが、さすがに希少だろう。ただし、選べるのであれば役に立つ力が良いとは考える。
「どのような力を持つ者がおりますでしょうか」
ヴァールは少し悩む様子を見せたあとで、執事に向かって手を招いた。察した執事が、地図のように巻かれた紙をブライトの前に広げる。
「たとえば、ここには火を扱う『異能者』がおります。こちらは毒を与えることに特化した異能の持ち主のリストになっています」
じっと、ブライトは紙を眺めた。『異能者』の顔写真の隣には名前が書かれ、異能の種類とその評価、『異能者』の性格や背景が綴られている。たとえば、左上に記載されているブライトぐらいの年齢の少女は『ミド』という名前で、使う異能は心を読む力、性格は内気で臆病、シェイレスタの都で保護した孤児とある。
「もしやこれで火事を起こしたり、毒殺を行ったりしろというのですか」
否定的な発言に聞こえたのだろう。執事がブライトの近くへと静かに移動したことに気がついた。もしかすると、ヴァールの執事は戦い慣れているかもしれない。リストを差し出した手も執事と言うにはごつごつしていた記憶がある。
――――商談というが、発言を間違えると命がないかもしれない。
そこまで考えて、心の中だけで首を横に振る。アイリオール家の人間がヴァールの屋敷で消息を絶ったとなれば、ヴァールの責任問題に発展する。恐らく命は絶たれまい。脅しがせいぜいだろう。
結論づけるブライトの前では、ヴァールが面白い冗談でも聞いたかのように声を上げて笑っている。それは、丁重な姿勢を見せていた姿とは打って変わった態度である。
「まさか。悪い冗談はおやめください。要は使い方ですよ。以前ブライト様ご自身が仰られたように魔術の研究をされる方もたくさんいます」
ブライトの頭に浮かんだのは、今日試しそこねた鼠だった。きっと、ヴァールは『異能者』を同じように扱っているのだろうと邪推してしまう。そうでなければ、『使い方』などという表現をするだろうか。
「『異能者』をいただいたとして、対価はどうなるのですか。商談ということでしたが……」
ヴァールはにこりともせずに答えた。
「異能者施設の管理運営にも費用は掛かります。寄付をいただければと」
幾ら法律がないと言っても、『魔術師』が人身売買をしているとなると外聞が悪い。一昔前は奴隷を売る闇商人もいたというが、今はそうした世の中ではない。だから、寄付という形でヴァールにお金を渡すらしい。
「危険な商品ですから、それなりの額はいただきますが」
リストの左上から順に金額を言い渡される。確かに膨大な額だが、アイリオール家であれば払えない額ではない。
「万が一いただいた後で脱走などあった場合はどうなるのですか」
ヴァールは首を横に振った。そのときの不自然な視線で気がついた。ヴァ―ルの視線はブライトではなく、ブライトが座るソファの足元にあったのだ。恐らくだが、法陣が描かれているのだろう。いざというとき、魔術を発動できるようにしてあるとみた。
「そうはならないよう、『異能者』には全員はじめから魔術を掛けています。彼らは何よりも優先して『魔術師』の命令を聞きます」
さらりと言われ、怖気が走った。ヴァールのことを甘く見ていた自身に気がついたのだ。
「魔術を? 推測に過ぎませんが、かなりの人数がいるのではないですか?」
ヴァールの発言が確かならば、特別区域に入れられた『異能者』には全員魔術を掛けて、漏れなく人形のようにしてしまう。そしてその一部を『魔術師』に売って利益を得ていることになる。
「ですから、維持費が必要なのです」
「……参考までに現在はどの程度の『異能者』がいるのでしょうか」
「ざっと百名程度です。懸念されるように、手間は掛かります」
簡単に言うが、特別区域を管理しているとはいえ一介の『魔術師』にできる範囲を超えている気がした。何より、ヴァールが一声、『異能者』に国家転覆を指示したらシェイレスタは簡単にひっくり返る。『異能者』は法陣がなくても危険な異能が使えるのだ。かなりの脅威になる。
そうなると、当然野放しにされているはずがない。王家が絡んでくることだろう。むしろ王家の指示で特別区域の管理をしているとみて良いかもしれない。そうなるとヴァールの言う商談も、王家に容認されているとみるべきだ。
「なるほど、理解しました。想像よりしっかりと運営されているようですね」
「安心いただけましたか」
表立っては言えないことだろう。『異能者』にも、当然家族はいる。心を好きなように踏みにじられ、道具のように扱われるという非道な行いを、王家が認めているなどと言ったら間違いなく大事になる。故に、ブライトが下手な正義感をかざしてヴァ―ルに話をしにきたのではないかと警戒されていたのだろう。ましてやヴァ―ルの話では父は、潔白だと言っていた。その娘となれば、同じように警戒をして然るべきである。
そうなってくると、ヴァ―ルが仕掛けている法陣も、暴力に覚えのありそうな執事も、決して他人事ではない。アイリオール家であれば殺されないと踏んでいたが、王家も関わるとなれば幾らでも殺される可能性はある。ブライトの見積もりは、甘かったのだ。
「ええ、それはもう」
だからこそ、信用ならない。
「魔術に掛かる前の『異能者』を譲っていただくことはできるのですか」
「それは、ご自身で魔術を掛けたいということでしょうか」
ブライトは頷いた。むしろ王家が絡むからこそ、『異能者』に指示を出した内容は筒抜けになる可能性がある。
「そういった需要もありますので、一部は対応しています。ですが、お渡しできる『異能者』には限りがあります」
恐らくは大した力のない『異能者』だ。王家の人間は、当然強い力を持つ『異能者』を警戒する。
「構いません」
「お時間をいただくことになります」
ブライトは再度頷いた。
「あたしは焦っていません。可能ならば、実際に見て選びたいです」
続けての要望に、ヴァールは悩んだようだ。
「それはもちろん、ご興味があるようでしたらお連れしましょう。とはいえ……」
ヴァールの視線に首を傾げる。ブライトの衣服を確認していたのだ。
「少々ドレスでは目立ちます。せめてローブの類をご用意していただきたく」
最もな指摘だ。『魔術師』が『異能者』を物色するとしてはあまりに目立ち過ぎる。
「そうですね、向かう際はローブに着替えてきます」
「助かります」
話の間に、執事がまた移動していた。そしてテーブルに書類を置く。
「であれば今回の件、仮契約をいただいても?」
仮契約にしては大それた書類であるが、ブライトは頷いた。薄ら暗いことをしていると、ブライトが世間に公表しないように書面に残したいのだろう。そう考えれば、当然の警戒だ。
そこまでして、続けたいものなのか。
ふと、疑問が浮かぶ。
廊下には高価な装飾品が並べられているが、ヴァールは興味を持っていないように見える。紅の金剛石のネックレスもそうだ。妻も娘もいないのだから飾るだけで身に付けることはないだろう。ブライトから言わせれば、虚しいだけである。特別区域の管理自体は王家の存在がある故やめられないとしても、商談には手を引いてもよいはずなのだ。それを続ける理由は何だろう。
「一つ、お聞きしたいことがあります」
もしかして全て、奥様がはじめられたことなのですか?
そう聞いてみたいところだが、想像のとおりならばヴァールがそれを認めるとは思えない。ブライトはこう考えている。進んでしまった悪事をやめられない理由は、今は亡き家族の存在を貶めることになるからだと。
「お亡くなりになった奥様ですが、よくあたしの母とお茶会をされていたのでしょうか」
だから、質問を絞った。
「いいえ? それがなにか」
ヴァールを見つめるが、表情に変化は見られない。
「いえ、父とはチェスをされていたとのことだったので。母とも何か交流があったのかと思いまして」
「残念ながら、ブライト様のお母様とはお会いしたこともあまりありませんでした。お父様はよく屋敷にきていただきましたが」
「そうなのですね」
ヴァールは訝しむ顔だ。突然過ぎた質問かもしれない。
「そのチェスというのは、特別区域の在り方を左右するものなのですか」
付け加えた問いにヴァールの目が細められた。
「そうです、というべきなのでしょう。ですから、ブライト様にはチェスを嗜んでいただきたくはないのです」
言葉の意味を吟味する。どちらにもとれるから、判断がしにくい。良い解釈をするならば、友人の娘を、チェスという名の特別区域の改革に巻き込みたくないと言っている。悪い解釈をするならば、父の死がヴァールに関わることもあり得る。いらぬ正義感を持ったから、ブライトの父は毒に似せた『異能者』の異能により殺されたということかもしれない。




