その793 『他人ノ力ノ借リ方』
サフィールを殺す方法は酷く簡単だ。自分が殺せないなら、誰かに頼めばよい。サフィールが喉を掻きむしって死ぬのは、魔術だけとは限らない。
だから、ブライトはマリーナに『異能者』について話をした。殺せと指示をしたわけではない。マリーナに、そういう噂があると伝えただけだ。その話を元にすぐさまグレイス家を訪れたのは、マリーナの意思である。
以前、グレイス家に訪問した際にブライトが子供だからと断られたことがある。その理由が今のブライトならば分かる。グレイス家は、薄暗いことに手を出している。恐らくは、『異能者』を貸し出しているのだ。彼らに魔術を掛けて指示を出せば、魔術の痕跡を残さず邪魔者を葬ることができる。やたら裕福な様子からビジネスとしているかもしれない。王立図書館で調べた資料は、少なくともここ数年の事件は異能でも再現できるものばかりだと告げていた。
結果として、グレイス家に話を持ちかけ、『異能者』を譲り受けたのはマリーナ自身の努力だ。その『異能者』選びに、なるべく息を塞ぐ魔術に似た異能を持つ者を選んだのはマリーナの意思である。ブライトならばそうした選択はしないが、マリーナは兄の死に拘ったのだ。
その後、『異能者』をサフィールの家に忍ばせ、サフィールを暗殺したのちに『異能者』の記憶を覗かれないように処分したのもマリーナの手によるものだ。
怒りは人を海獣以上の魔物に変える。ブライトは、ただマリーナに手段を与えた。そうすることで、マリーナがビヨンド家の長男を殺すように仕向けた。
そしてその結果、マリーナは怒り狂ったササラによって殺されたのだ。葬儀の席は意図して決められていたのである。サフィールが息を塞ぐ魔術に似たやり方で死んだのであれば、間違いなく殺したのはシェラ家の人間だとばれていたことだろう。ササラは席に予め息を塞ぐ魔術を描いた法陣を用意していた。発動のタイミングは不明だが、眩しい中庭であることから発動の光が目立たなかったのだと思われる。
アイリオール家の席は何もされていなかったから、ブライトの関与についてばれていないことも察していた。
マリーナの死を静観した理由は簡単だ。死者の記憶は読めない。『異能者』もマリーナも死んだ今、ブライトがマリーナに囁いたことは露見しない。頑張ってもマリーナの執事から頻繁にブライトが訪れていたという情報が漏れるだけで、殺しに関わる情報が伝わることない。裁判に心が壊れたメリッサを連れて行く必要もなくなる。ただ、それだけのことだ。
とはいえ、ここまで想像のとおりに動くとは思わなかった。マリーナが喉を抑えてブライトたちに手を伸ばしたとき、あまりにも自身の考えた筋書き通りに進む現実を前に身体が震えたのだ。
「お顔の色が優れませんが大丈夫ですか、ネネ様?」
ブライトの問いかけにネネは、力なくうなだれて
「はい」
と答えた。
ネネは、一方で悉く裏切られたのだろう。引きずられていくササラを目で追いながら呟いた。
「どうしてこんな、愚かなことを」
ササラの行為のことであれば、それほどにサフィールを殺されたことが許せなかったのだ。ササラはきっとこのあと貴族裁判にかけられる。ジェミニの息がかかっていたとしても多くの目撃者がいる前で暴露したのだから、恐らくは極刑は免れない。これで、サフィールはおろかササラも失ったビヨンド家は没落するだろう。
マリーナの行為のことであれば、それほどにグレンを殺されたことが許しがたかったのだ。マリーナは頭に血が昇っていて、自分が死ぬ危険があることを考慮するほどの余裕はなかった。とにかく裏切られたことが許せなかった。グレンにマリーナも亡くしたシェラ家もまた、消えゆく運命だ。
「分かりません。ただ、痛ましい事件になってしまいました」
ブライトはそう答えながらも、いけしゃあしゃあと言葉が出てくる自分を眺めている気分になった。どの口がそれを言うのかとそう考える自分と、どこか冷徹に人の死を達観してみている自分自身がいる。
「まるで他人事ですね。マリーナ様もササラ様も、ご友人ですのに」
ぽつりと呟いたネネは、そこではっとした顔をする。つい、口に出てしまったという表情だ。
ブライトはすぐに傷ついたという顔を作る。
「そう見えますでしょうか? 父のときもそうでしたが、どうもあたしは鈍い質のようでして、多分、今回もこの場の事態を上手く呑み込めていないのでしょう」
胃がきりきりと痛いのに、悲しい振りを続ける自分を見下ろす自身。
「ふとしたときに思うのです。食事の席で父の椅子だけがないとき、どうしてそこにあるべきものがないのだと。だから今回もきっと、後から彼女たちに手紙を書こうとして気づくのでしょうね」
「ブライト様……」
ネネはぽつりと呟いた。
「今回の件、ブライト様は関与されていませんよね?」
それは、或る種の確信をもって告げられた言葉に思われた。
「あたしは、幾ら何でも人殺しはしないです」
しれっと答えたが、それだけではネネは騙されない。
「すみません。私、とんでもないことを言いました。忘れて下さい。ただ、サフィール様の事実を知っていて、危険な魔術を扱える人物が他にいなかったものですから」
理由はわからない。しかし手段まではばれていないながらも、ブライトが関与していることは気づかれている。そう確信するに足る、表情だった。




