その791 『訪レル死』
「信じられません。まさかサフィール様まで亡くなるなんて」
明るい日差しの中で行われたビヨンド家の葬儀の場にも、ネネはいた。指定された席に着いたブライトの隣がネネだったのだ。恐らくは知り合い同士で固めようとするビヨンド家の配慮なのだろう。その席から葬儀の場で泣き崩れているササラの姿を遠くに捉える。眩しい中庭で一人蹲るササラの姿は、悲嘆に暮れた妖精のようである。ブライトが挨拶をしようにもサフィールの遺体から離れようとする気配もない。落ち着いた印象のササラだけに、その姿は衝撃だった。
「こうも続くと、病のほうが正しかったのではないかと思えてしまいます」
「同感です」
ブライトの同意の言葉は願望を含んでいる。病のほうがどんなに気が楽だったことだろうと、強く感じていた。
「ネネ様、ブライト様」
振り返ると、そこにマリーナがいる。陽射しの眩しさに目を細めたその顔は少しやつれて見えた。当然親しい家同士、マリーナも葬儀にきているのである。
「マリーナ様」
「今回のことはマリーナ様にもお悔やみ申し上げます」
ネネが心配の表情を浮かべるのに対し、マリーナは困った顔を向けた。
「ありがとうございます」
「まさか、立て続けにこうして亡くなられてしまうなんて、そのなんていえばよいのか……」
ネネの言葉に、ブライトは被せる。
「確か、表向きは同じ病死ということでしたね」
サフィールはグレンが死ぬ一週間前に会っていたのだ。病気をもらっていた可能性はある。だが勿論、この三人は誰もその情報を信じていない。
「お辛いですよね……。こんなことしか言えませんが、気をしっかり持ってください」
ネネの励ましに、マリーナは小首を傾げた。
「あら、どうしてそう思うのですか」
「どうしてって、仲が良かったのですよね?」
マリーナにとってサフィールは兄のような存在だったはずだ。だからこそのネネの言葉だろう。
「そうですが、今となってはよくわかりません」
マリーナはあまりにも正直にそう答えた。だからこそ、ネネは戸惑う顔を浮かべている。
「分からないとは……」
「ネネ様もご存知のはずです。サフィール様は」
――――グレンを殺した可能性が高い。
ネネが知る情報はそこまでだ。そしてもし本当にサフィールがグレンを殺したとしても、そのとき、結局サフィールはどういう思いでいたのかも分からない。
「ですが、死んでよいなどとは思えないでしょう?」
加えて、ネネは恐らく聖人の発想をしていた。自分の家族が殺されたからと言って、その犯人が兄のような人であれば少なくとも死を望みはしないと考えていた。
きっと、皆がその考えなら人による争いは起こらない。人はネネが考えるほどには優しくない。
「どうでしょうか。私は……、それだけ兄を失ったことが辛いのです。だから、私はサフィール様のことどうしても許せなくて……」
話の途中、マリーナはふいに喉元を抑えた。
「マリーナ様?」
様子がおかしいとはすぐに気がついた。マリーナが空気を求めてブライトとネネに手を伸ばす。明らかに苦しそうなその姿には、既視感があった。
ぶるぶると、ブライトの身体が震える。
「マリーナ様、しっかりして下さい!」
ネネの言葉も、ブライトの表情も、マリーナには届いていない。ただ必死にブライトたちに向かって延ばされた手とともに、マリーナは地面へと崩れ落ちていく。
人が倒れる音は、思ったよりも鈍く大きく響くものだった。
途端、周りが騒然となった。悲鳴がたちまちに上がり、周囲に人だかりができる。
「この、魔、術は……」
渇いた声で、ネネが呟くのが聞こえた。
「息を塞ぐ、ですか」
見覚えのありすぎる魔術に、目の奥がちかちかとしている。
近くにいた『魔術師』の男が脈を確認し、呟いた。
「駄目だ。死んでいます」
あっという間に訪れた一人の死に、その場にいた全員が唖然とした顔をする。騒ぐ声さえ止まったそのときだった。確かに呟かれた言葉があったのだ。
「仕方ないのです」
それはあまりに低く沈んだ女の声だった。ブライト含めた周りが一斉にその声へと振り返る。そこには、先ほどまで兄の遺体の納められた棺を前に泣いていたササラの姿がある。
どこから現れたのか薄い雲がササラに射し込む陽を隠した。そのせいで、ササラの姿がよりはっきりと浮かび上がって見えた。
けれど、ブライトには今聞こえた声がどうしてもササラのものには思えなかった。赤の他人がササラの口を借りて話したといったほうがしっくりくる。それほどに、今までのササラと違い、その声は深い絶望と恨みに満ちていた。
「ササラ様?」
ネネが恐る恐るという声で呼びかける。その声を、ササラは恐らく聞いていない。ただ独白をするように続けた。
「マリーナがサフィール兄様を殺したのだから」
周りの視線が互いを行き交った。何を言っているのか分からないと動揺の表情を向け合う。
ササラにはやはり、その様子は見えていないようだ。まるで一人だけ違う世界で佇んでいるみたいに、映った。
「そう、私と同じ魔術で敢えて仕掛けてきたなんて……、それまでマリーナのことを大した魔術も使えない未熟者だとばかり思っていたのに」
「そんなわけがないです。マリーナ様は、魔術が不得手だと……、息を塞ぐ魔術は使えないはずです」
ネネはササラの言葉に分け入る。けれど、ササラは聞いていない。否、聞けないのだろう。実際はどうだったにしろ、もし息を塞ぐ魔術を使えないという事実を耳に入れてしまったら、無実の者を殺めたことになる。
ネネの視線がブライトへ向くのを感じる。それだけで、ブライトにはネネの考えが読めた。ネネは、疑っているのだ。
マリーナに息を塞ぐ魔術が使えないとしても、その近くにいる人間ならば話は別だ。恐らくはブライトがマリーナの代わりにサフィールを殺したのだと考えているのだろう。
残念ながら、その発想は半分間違いだ。ブライトがマリーナのためにそうした危険を冒すことはない。
ネネからの視線を無視し、ブライトはササラを見つめ続ける。そうして告げた。
「そうだとしたら、ササラ様の気は済んだのですか?」
はじめてササラの視線が人を捉えたと感じた。ササラの瞳にブライトの姿が映っていたのだ。
「まさか」
ササラはそう言うと、小さく嗤った。その不気味な笑みは兄のいなくなった憎い世界に向けてのものとしか思えなかった。
「私の気なんて、もうどうでも良いのです」
そうして力なくササラは崩れた。その顔が涙で濡れている。危険だと判断した『魔術師』の男たちがササラを取り囲むのだが、ササラはまるで見えていないようにその場で泣き続けている。
「私はただ、悲しいだけです」
それは、随分独りよがりな悲しさに見えた。




