その788 『危険ナ人』
結局のところ、あまり詳しいことは分からなかった。確認できたのは、サフィールが自ら述べたようにグレンとは一週間前に会っていたということだ。その際は二人で狩猟に赴き、シェラ家の屋敷で、捕まえた獲物を元に食事をしたらしい。
「この砂漠の都で、狩猟ができるなんて知りませんでした」
驚いたが、知らないのはブライトだけのようだ。
「鷹を使った狩りです。小動物を捕まえてくるんです。私も父が好きなので、知っています」
ネネが少し嫌悪の混じった声で説明する。どうもネネは鷹狩りが苦手なようだ。詳しく聞くと、
「鷹自体は良いのですが、餌の肉を持ち歩くのも捕まえてきた小動物の無惨な姿を見るのもちょっと……」
ということである。なるほど、分からなくはない。
「私もそのときは一緒に食事をしないかと誘われて断りました。なんであれが平気なのか分かりません」
マリーナも当時を思い返してそう答える。サフィールとグレンの同行は当然マリーナにも確認している。マリーナの知らないところでの交流も執事に確認したが、出てこなかった。
「そのときは、喧嘩されていたとか剣呑だったとかはなかったんですよね」
動機を調べようと確認したところ、マリーナは頷いた。
「はい。二人とも久しぶりに会って喜んでいる印象でした」
友人ではあったが、会う機会が減っていたというサフィールの話とも合う。
「何も怪しくなかったんですよね」
「はい。食事に付き合ったわけではないので、そこで何かあったのかもしれませんが」
食事の給仕の一人がメリッサであったのも、確認は取った。となると、場所が絞れてくる。
「ただ、魔術をかける時間はなさそうですよね」
食事の場には当然グレンもいる。席を立ちメリッサと接触できたとして、魔術を掛けるにも時間が掛かる。
メリッサの周囲の人間からメリッサの情報を聞き出せば、掛けられたタイミングも絞れるはずだが、今は葬儀の後の対応もあって全ての情報は埋まりそうにない。
諦めたブライトはやれることがそろそろなくなってきたと悟る。それを敏感に悟ったようで、
「では、今日はお開きにしませんか」
とネネからの提案があった。
「後日、情報が埋まったら手紙なり集まるなりするということでいきましょう」
ネネの言葉にブライトは大人しく頷く。確かにここでだらだらしていても、進展はない。それにマリーナは当主でないとはいえまだ葬儀をしたばかりで本来ならば忙しい身だろう。あまり拘束すべきではないのかもしれない。
「お二人ともお時間とらせてしまいすみませんでした。本当にありがとうございました」
マリーナは何度も頭を下げて礼を言った。
「構いません。これでグレン様のことがはっきりすると良いのですが」
ブライトが言うと、
「少なくともお二人のご好意は兄も喜んでくださると思います」
マリーナは朗らかに笑う。その表情を見れば、無理をした様子は消え、本来の明るさを取り戻したことは明白だ。兄を亡くしたショックから立て直したのであれば、確かにそれで良いように思われた。
帰りは三人で屋敷の入り口まで移動した。
「では、あたしはここで」
談笑して時間を潰していた三人だが、ブライトは先にハリーが運ぶラクダ車がやってきたのに気づきマリーナへと振り返る。
「ブライト様、本当にありがとうございました」
マリーナも気がついたようで、腰を折る。
「そんな。顔を上げてください。こういうときはお互い様です」
ブライトはなるべく柔らかくにこやかに見えるよう口角を上げて返した。
「お心遣い、痛み入ります」
けれど、マリーナは腰を折り続けている。ブライトとしてはさすがに少し慌てた。マリーナには恐縮してほしくなかったのだ。
「いえ、ですから立場なんて考えずに気楽にしていただけると助かります。あたしたち、もう友達でしょう?」
「ブライト様……、いえ、ですが本当にありがとうございます。私、兄が亡くなったときどうしたら良いか分からなくなって、お二人にこうして助けていただいて感謝しかないんです。是非、友達でいさせてください」
どうにもマリーナにはブライトとネネの存在が大きかったと見える。ここまで礼を尽くされると、ブライトとしては逆に落ち着かない。
「いや、だから……、堅苦しいですよ?」
そうしたやりとりをしている間に、ラクダ車が止まった。
「ブライト様。お待たせしました」
マリーナの執事がやってきて、礼をする。彼はラクダ車と一緒に歩いてきたのである。今度はネネのラクダ車を呼びに戻るはずだ。
ネネがこのとき、声をかけてきた。
「不謹慎かもしれませんが」
そう、前置きをする。
「私も今日はブライト様とお話できてよかったです」
にこりとネネもまた笑みを振りまく。地味な喪服を着ているとは思わせない華やかな笑顔だった。
「あたしもです」
お茶会のときとは違う、不思議な一体感かあったのは間違いない。だから、ブライトはそう返事をした。
「ネネ様とも良き友人になれそうです」
にこりとブライトも笑みを返す。
「えぇ、本当にそう思います」
ネネはそう言ってドレスの裾をつまんで礼をした。マリーナもまた同じように挨拶をする。左右、二人からの挨拶を受けてブライトも返す。
そうして別れを告げてから、ラクダ車に乗り込む。背中に刺さる気配に、足が重くて仕方がなかった。
――――本当に、危険な人だ。
ブライトは小さく呟く。家は小さく本人は当主になることはないが、今日の出来事があったからこそ、断言できる。ネネはそのうちに排除しなければならない存在になりうると。少なくとも母はそう判断するだろう。
「お疲れ様でした。出発します」
淡々とした声でハリーがブライトを労う。そのハリーの姿も、ネネの瞳には正しく映っているに違いない。
「うん、よろしく」
そう答えながら、かたかたと揺れる居心地の悪いラクダ車に揺らされる。とんとんと心をならすかのようにだ。窓から後ろを見やると、ネネとマリーナたちがまだ腰を曲げていた。ふっと息をつく。
――――とはいえ、まずはビヨンド家の長男からだ。
サフィールの顔は覚えた。毛髪も回収してある。『裁判にかけられるからこれで無事サフィールの件は解決になる』とは微塵も思ってもいない。どちらかというと、貴族裁判こそが刻限だ。
やたらとネネがこだわっていた貴族裁判について、ブライトは正式な当主でない為詳しくは知ることを許されていない。ブライトが知っているのは、いつか自身が裁かれるだろう場所であること、貴族たちによる裁判とはいうものの特定の法官貴族が力を握っているだろうことぐらいである。加えて言うならば、法官貴族の任命は、国王が行うということも知識として知っている。ただ、病に臥せている国王が対応しているとは思えない。恐らくは健在なときに任命された人物が継続したままの状態になっているはずだ。それが誰なのか、ブライトは知らない。ただ、ネネの拘りようからしてどうにも信じきれない。
故に、始まる前に手を下そうと考える。
恐らくだが、公の調査を行うという以上、貴族裁判をする手続きにも時間が掛かるはずだ。ネネが準備を手伝う可能性があったが、数日間の猶予はあるとみていいだろう。
――――そしてそれは、ネネも同じように考えるはずである。
「ハリー。馬車を引き返して」
ブライトは指示を出した。相手の手強さを理解したからこそ、すぐに動くべきだと判断していた。同時に、ハレンの言葉を思い出す。不確かな要素は増えるが、今のブライトでは到底力不足だ。だからこそ、打てる手はやはりこれしかなさそうだと何度も吟味した。




