その787 『心ノ抵抗』
――――ここで泣いて悲しむだけの令嬢であれば、貴族は名乗れない。
マリーナもきちんと躾は受けてきたのだろう。ハンカチで目元をぎゅっと握りしめると、顔を上げた。
「あの、皆様のお時間さえよければ、是非メイドにも会っていただけないでしょうか」
そうして、おずおずとお願いをしてくる。
「魔術を掛けられたままというのも、ちょっと不気味で……」
マリーナの言いたいことは、ブライトにも分かった。メイドに掛けられたのが、グレンのポケットにメモを入れるというだけの魔術とは言い切れない。もしそのメイドがグレンに限らず他の面々にも危害を加える指示を受けていたら大変危険だ。何より気味が悪いだろう。
「それもそうですね……」
「承知しました」
ネネとブライトが同意すると、にこやかなマリーナの笑みが返る。
ブライトは、中々に策士だなとマリーナについて感想を抱く。結局、マリーナは知見者のブライトたちを上手いこと使って、たった一日で犯人に目星をつけ、メイドにかけられた魔術の謎までも解こうとしているのだ。兄の弔い合戦としては、非常に優秀な成績を収めたと言える。
メイドの特徴を伝えると、すぐに執事を呼びつけたマリーナから提案があった。
「立ち話は何なので、客間までご足労いただいてもよいですか。その間にメイドを連れてきます」
ブライトたちは頷き、マリーナの後をついていく。そのなかで、ぽつんとネネが零した。
「この流れだと結局メイドの方の記憶を視ることになりますね」
隣を見れば、気の進まないネネの顔がある。はじめは作った表情であることを疑った。ネネの家に関係するジェミニこそ、ミリアの記憶を散々覗いているはずなのだ。当然のことだと受け入れていると考えていた。
「ご抵抗があるのですか」
問いかけてみると、神妙に頷かれる。
「はい。私にはとてもできそうにはありませんでした。個人の尊厳を無視しているようにしか感じられなくて」
個人の尊厳を無視とは、中々に刺さる言い方だった。表情に気づかれたのか、ネネから取り直す発言がある。
「すみません。私の未熟を、魔術のせいにしてしまいました。成り立ちを考えれば、そうではないはずなのに」
「成り立ち……、王家と『魔術師』の関係のことですね」
ブライトも知識として知っている。臣下の手酷い裏切りにあった国王が誰も信じられなくなったとき、進み出た『魔術師』がいた話だ。その『魔術師』は国王に自身の全ての記憶を差し出して信頼を勝ち取った。そこで使われた記憶を読む魔術こそ、今の『魔術師』たちを貴族たらしめる起源となっている。
「はい。魔術は使う側次第で如何様にも変わるとは、存じております。だから、私の抵抗はただの言い訳なのでしょう」
ネネの言葉はどこか重い。真剣に魔術を肯定的に受け止めようとして、苦戦している様が伝わってくる。
「ネネ様はお優しいのだと思います。だから抵抗を感じられるのでしょう。実際あの魔術は、相手に苦痛を与えてしまう問題があるのも事実ですし」
ブライトは、毎晩のことを思い出してそう返した。
「そうなのでしょうか」
「はい。それにあたしも、苦痛を感じるということは、本来の姿と合っていないのではないかと考えることがあります。本当は記憶を読まなくとも相手の信頼を勝ち取ることができるのが何よりも良いのではないかと思うのです」
ブライトなりの言葉を伝えるものの、ネネの様子を見るにどうもまだ落ち込んでみえた。確かにこれから客間でメイドの苦痛の顔を見ながら彼女の記憶を説明する自身を想像すると、ブライトとしても嬉しくはない。
そこで、提案をすることにした。
「それなら、記憶を視る以外の方法で、突き止められるだけ突き止めていきましょう」
「そんな方法があるんですか?」
歩きながら、ネネは驚いた表情をしてみせる。
「はい。地道ですが、周囲との記憶の差異を突き止めるんです。上手くいけば、掛けられた魔術のタイミングと魔術の発動のタイミングが推定できます」
「なるほど。その情報を元に魔術の内容を想像するんですね」
「はい、そうです」
ほっとした顔のネネに、ブライトもにこやかに返す。そうすると、今度は二人の前を歩いていたマリーナの呟きが聞こえた。
「……メイドの記憶を視るのはそんなにダメなのでしょうか」
「マリーナ様?」
ネネにも聞こえたようで、疑問の声が発せられる。
マリーナは慌てて振り返った。
「す、すみません。あそこが客間です」
茶色の分厚い扉の前で、男が一人立っている。頭を下げて一礼したあと、扉を開け始めた。
「こちらでお待ちください」
案内された客間は今まで入ったことがない部屋だった。落ち着いたデザインの茶色を基調とした部屋になっている。目の前にある花柄のソファに座ると、すぐに控えていた執事が水を渡す。珍しい形の氷が水の中でカタカタとぶつかり合っていた。
「ありがとう」
お礼を言い口に付けたときに、トントンとノック音がした。
「失礼します」
扉が開かれると同時に、メイドが現れる。茶髪を短く切りそろえた、蒼い瞳の大人しそうな女だ。間違いなく、ブライトとネネが挙げた特徴であった。
もうメイドを連れてきたのだと、執事の仕事の速さに感心する。
「彼女が、メリッサ。仰られていたメイドです」
マリーナの説明に、メリッサは当惑した顔だ。それもそうだろう。連れてこられたと思ったら、貴族二人が待っていたのだ。
「あ、あの……、私が何かしましたでしょうか」
メリッサの年齢はミヤンぐらいだ。ミヤンは事情があってメイド長だが、メリッサはまだ若手の見習いに毛が生えた程度と窺える。余計にびくびくするのも分かった。
「あなたのここ数日間の行動を教えて下さい。なるべく子細に。できればメモに書き写してくれると助かります」
間違いなく、メリッサにはグレンの服にメモを挟んだ記憶はない。書き換えられているとみるべきだ。そこを炙り出す必要があった。
「マリーナ様は、他のメイドに話を聞き彼女の行動とのズレを洗ってください。そこが、魔術を掛けられたタイミングか発動したタイミングです」
「畏まりました」
マリーナの執事が一礼をする。別のメイドにも声を掛けに行くのだろう。ブライトは慌てて付け足した。
「念のため数日間は彼女に見張りを立てておいてください。意識が朦朧としているようにみえるときは、怪しいです」
執事がマリーナの指示を受けて再度礼をする。そうして部屋を退席していった。
その間にブライトとネネは顔を合わせた。
「やれることは他にあるでしょうか」
「あとは念のためサフィール様とグレン様とのここ数日間の交流について確認しておくことでしょうか」
ブライトの提案に、ネネは同意を示す。
「確かに確認はしておいたほうが良いですね」
二人のやり取りを聞いていたマリーナが手を合わせる。その顔は僅かばかり紅潮していた。
「お二人共、凄いです。まるで探偵みたいです!」
感動の声に、ネネが苦笑して返す。
「探偵というにはいささか未熟過ぎますが、やれることはやっておきましょう。確かに、貴族裁判に出すにも証拠がいります」
なんだかんだ振り回されているネネの、妥協の言葉だろう。ブライトは心の内だけで嗤う。マリーナは愛らしい振りをして、ネネを困らせるほどには圧している。
「はい!」
マリーナは敢えてか、とても元気に返事をした。




