その786 『推察』
サフィールの姿が消えると、後ろに控えていた二人がやってきた。
「行ってしまいましたね」
ネネの言葉に、マリーナは少し俯いている。
「どう思われましたか?」
ブライトが振ると、マリーナは顔を上げた。誰がどう見ても困った顔をしている。
「実はその、よく分からないのです。兄が亡くなったというのにサフィール様は、どうしてあんなになんてことのないように会話されるのか……」
葬儀の場で肩を震わせていた話は、マリーナとネネにはしていない。だからこそ、余計にサフィールの声は淡々と冷たく聞こえたのだろう。
「私たちからはサフィール様の仕草までは確認できませんでした。ブライト様はどう感じましたか?」
ネネの言葉にブライトは何て答えるべきか悩んだ。
「難しいですね。ですが、とにかくあたしと話をしたくないように見受けられました。あたしが何かお気に触るようなことをしたのかもしれません」
それならば、ブライトに対してのみサフィールが冷たい態度をとっていることにもなる。
「……直接、マリーナ様がお伺いすればよかったでしょうか? あたしが間に入ったばかりにすみません」
マリーナが直接話をするのは良くないのではないかと言ったのはブライトだ。サフィールの顔を直接確認するためだったとはいえ、少し申し訳ないことをしたようにも感じた。
「アイリオール家の方に声を掛けられてないがしろなんて、普通は致しません。恐らく、話を切りたかっただけの相応の理由があったのかと」
それに対し、真っ先に否定を入れたのはネネだった。強い断定に、驚きさえある。
「それに私が言ったら、問い詰めてしまいそうで……。少しでも様子が伺えたので、良かったと思います。むしろ、ありがとうございます」
マリーナもまた頭を下げてそう言葉にする。それから少し顔を上げて、ネネへと向き直った。
「あの、ネネ様は何故サフィール様がブライト様にあんな態度をとったのだと思われますか?」
話を切りたい理由を問われ、ネネは悩む仕草をする。
「そうですね……。これは推測の域を出ませんが、長居することによる気まずさがあったのではないでしょうか」
「気まずさ、ですか」
意外な答えと思ったらしく、マリーナがなぞる。
「はい。その、自分のせいでご友人を亡くしたのだとしたら気まずいかと」
ブライトはネネの発言に驚きを感じた。その想像だと、サフィールがグレンを殺したことが確定している。
ただし、良心の呵責を感じさせるものになっている。
「けれど、気まずいからといってアイリオール家の方をないがしろにするほどでしょうか。私なら逆に他者には気を遣います」
意外にもマリーナが真っ先に指摘し、ネネの視線が一瞬泳いだ。
「そう、ですね。性格によるでしょうが、少し意見としては弱いかもしれません」
渋々認めながらも、ネネは思案顔だ。そこで、ブライトからも発言することにした。最も、マリーナ自身も予想出来ていることではあっただろう。
「もしかすると、長居することでばれてしまうと思ったのかもしれません」
「ばれる、ですか」
ネネが不審そうな顔をする。ブライトはそれを無視して、マリーナに確認した。
「ちなみに確認したいのですが、マリーナ様のお兄様は魔術の痕跡を辿ることはお得意なのですか」
マリーナに首を横に振られる。
「えっと、お恥ずかしながら私と一緒で、兄は不出来でして。魔術を使うことはできても、ネネ様のようなことはできないと思います。その点、サフィール様は魔術においてはとても優秀とお聞きしていました」
ブライトとしてはうーんと唸りたくなる。優秀な魔術にしては、ネネやブライトにすぐに気取られるようなやり方だと感じていたからだ。
そこまで考えて、思い出した。二十後半の年齢で、魔術を複数使えるのは相当優秀な部類なのだ。
メイドへの指示に、息を塞ぐ魔術。加えて、ブライトの屋敷に描いた透明になる魔術。それが、ビヨンド家が扱う魔術だ。アイリオール家に来たのはサフィールではないため透明になる魔術は除くとしても、二つも習得しているとなると、かなりのやり手になる。
とはいえ、それは余談だ。ブライトが知りたいのはサフィールの技量ではなくシェラ家の技量だ。
「そのことをサフィール様は?」
「学友ですので、知っています。多分、恥ずかしながら私の成績も耳に入っていると思います」
「つまり、お二人ではサフィール様が犯人だと気づけないということですよね」
マリーナがこくんと頷く。それから、あっと声を挙げた。
「サフィール様は、ブライト様にばれたと思っていたということでしょうか」
実際に痕跡を辿ったのは、ネネだ。けれど、もしマリーナがブライトに痕跡を辿るようにお願いしたとすると、サフィールの勘違いも分からなくはない。ブライトが初対面の誰かの痕跡を見つけ、その誰かを突き止めるためにいろいろな人に声を掛けたとするのならば、サフィールが早く会話を切り上げようとした理由にはなるのだ。
「なるほど。私の成績は当然知らないですし噂も広まってないでしょうが、ブライト様となるとどの『魔術師』も噂ぐらい聞き及んでいますからね」
ネネがいう噂とは、魔術の造詣のことだろう。実際のところブライトは痕跡を辿ることができないことのほうが多いぐらいだ。しかし、噂には尾ひれが付き物なので実態は関係ない。サフィールが痕跡を辿られる可能性に思い当たったことが大事だ。
「ちなみにマリーナ様のご家族についても、同じことが言えるでよいでしょうか?」
ブライトの確認に、マリーナは赤面して頷く。
「は、はい。恥ずかしながら、我が家は皆その、不勉強でして……。魔術が一つ使えれば精々なので」
魔術さえ使えればそれがどれほど拙くとも、『魔術師』として貴族になれる。そのため、別に恥ずかしがるようなことでもないと思うのだが、マリーナからしたら恥ずかしいらしい。
「では、余計にその説はあり得るということですね」
マリーナはこくこくと頷く。
「ただ、それにしてはサフィール様は堂々とされていましたね」
ネネの指摘に、ブライトは頷いた。まさにその通りで、襟に触れられる以降のことを除くと、それまでのサフィールには躊躇いがなかった。動揺も良心の呵責もないのだと思わせるに足る態度である。
会話が切れ、思い思いに三人が思考を巡らせたあとで、ネネがぽつんと指摘した。
「ところで、ブライト様はサフィール様に何をされていたのでしょうか? 明らかにサフィール様が驚かれていましたが」
ブライトはにこりと笑った。
「お気づきでしたか? 実は髪の毛を一本いただきまして」
「まぁ!」
マリーナが驚いた顔を向ける。人の髪を拾うなんて汚いという気持ちが綯い交ぜになっているようにも見えた。
「これで、どこまでできるかは分かりませんが」
「えっ、髪の毛で何ができるのですか?」
ネネもマリーナもぽかんとした顔だ。
「『居場所の特定』です。これで万が一、サフィール様がいなくなっても一度だけなら追いかけられます」
正直に言うと、これは嘘だ。ブライトはそんな魔術は使えない。だが、そうした魔術があってもおかしくはないことは知っている。そしてこれはネネへの牽制になる。逃しても見つけるぞと暗に言うために、振りをしておいた。
「そんなことまでできるんですね。さすがです」
マリーナは感心しきりである。毒気のない顔を見る限り、ブライトの発言の意図にはまるで思い至っていないようだ。
「あとあたしの見立てでは、サフィール様に魔術の痕跡はなかったので誰かに仕向けられたということはなさそうです。となると、ご本人の意志でメイドに暗示を掛けたことになりますが」
続けて分かっていることを告げる。
「ありがとうございます」
と言いながらも、マリーナは複雑な顔だ。ここまでの情報だと、サフィールは所業がばれそうなので早く会話を引き上げたがっており、グレンを殺したとしか思えない推測になる。さらに、良心の呵責を持っているわけでもないようだ。
「サフィール様はどうして兄を」
マリーナは、段々泣きそうな顔になっていった。




