その784 『疑エバ』
「なっ、サフィール様が?」
マリーナにとっても、全く予想外の名前だったようだ。それもそうだろう。サフィールの妹のササラとは数日前に一緒にお茶会をしたばかりである。サフィールが犯人だとすると、一体どういう顔で妹をお茶会に送り出したのだろうと言いたくなる。
「その様子だと、よほどあり得ないことだと考えられていたみたいですね?」
ネネの確認にマリーナは、刻々と頷いた。
「お兄様とサフィール様は、私とササラ様と同じくらい仲良くしているんです」
マリーナがササラと一緒にお茶会に来たのは仲が良いからだ。それと同じくらいと聞けば、余計に驚きたくなる。
「とはいえ、正確にはメイドに魔術を掛けたのがサフィール様というだけです。グレン様を亡き者にされようとしたかは定かではありません」
ブライトが言うと、うっすらとマリーナから頷きが返る。
「そう、ですよね。決めつけるのは、まだ早計です、よね」
マリーナの声の響きには、現実逃避に近い願望が込められているようであった。
「……失礼ながら、グレン様とサフィール様だけでなく、マリーナ様がサフィール様と仲が良かったのでしょうか?」
ブライトは気になって確認した。マリーナにこくんと頷かれる。どうやら、シェラ家とビヨンド家は思っていた以上に親しい関係であるらしい。マリーナはきっと、兄が二人ともいなくなったような気持ちを受けたのだろう。
「こうなると、あまり気は進みませんが、どなたか記憶を覗ける魔術をお持ちの方にメイドを見ていただくのが早いかと」
ネネの提案に、マリーナはおずおずと頷き返す。
「そうですよね。そうしたら、どうしてサフィール様がメイドに魔術を掛けたのか、分かるんですよね……」
メイドに掛けられたのが、グレンのポケットに息を塞ぐ魔術の描いた法陣を入れることであれば、サフィールが犯人だ。しかしそうなると法陣を予め発動させておくか、ポケットに入れるタイミングを見計らって発動する必要がある。
ブライトは、ううんと唸った。何かしっくりこない。
「ちなみに、あたしならメイドの記憶を見ることができます」
ブライトの提案に、マリーナはぎこちなく頷く。
マリーナの歯切れの悪い様子を見てか、ネネが進み出る。
「ブライト様。マリーナ様。ご相談があります。今回の件、貴族裁判に掛けるべき案件です。それまでは本件、外には漏らさないようにお願いします」
貴族裁判は、貴族間の揉め事を解決するための場だ。ブライトもことが明るみに出ればそこで処されるのである。
「裁判ですか」
表情の抜け落ちたマリーナにネネは続ける。
「はい。決して私事で解決するようなことではないと思います。私達で本件について報告し、公の場で調査、強いては裁いてもらいましょう」
ネネの発言は正しく聞こえた。メイドの記憶を覗くのも含めて、公の場で調査しようというのだ。確かにブライトたちが勝手に人の記憶を覗いて判断するよりも良い。
しかし、ブライトは頷けなかった。
発言者が他でもないネネだからだ。もし母の言う通りビヨンド家が敵ならば、ビヨンド家はジェミニの傘下にいることになる。それはネネの家と同じだ。つまり、外に漏らさないと約束をさせながら、影でネネがサフィールを逃がす可能性が消せない。
ブライトにはネネが何をどこまでする人物なのか読めないでいるのだ。確かに、タタラーナとのお茶会を騙し討ちのようにセッティングしたり、当主のことでブライトに噛み付いてきたりはした。だが、人殺しに加担するかどうかは別の話だ。
平然と嘘をついてサフィールを逃がすのか、それともブライトたちに告げるように悪事は悪事だとサフィールのことを裁こうとするのか、どちら側の人間なのかが分からない。
「どうしても、しっくりこなくって」
そこでブライトは一つ、提案することにした。
「あたしからお願いがあります。本日、サフィール様はこられているのでしょうか。せめて様子だけでも確認しませんか。勿論調査は公の場ですればよいとは思いますが、そうなるとサフィール様の様子を確認する機会がなくなります。たとえサフィール様が本当に犯人だったとしても、違ったとしても、サフィール様の思いが分かればマリーナ様も納得できると思うのです」
ブライトの提案に、マリーナは予想どおり食いついた。裁判がどうのといきなり言われて途方に暮れているようにも見受けられたのだ。
「ブライト様の仰るとおりです。もし本当にサフィール様の仕業だとしても、私、納得がいきません。是非、サフィール様の、せめてご様子だけでも確認したいです」
マリーナは更に葬儀に参加していたと声を上げた。ネネもマリーナに気を圧されたようで頷く。
「そうですね。私たちで勝手に調査するのはどうかと思いますが、サフィール様の様子を確認するぐらいであれば問題はないかと」
ブライトは、まず二人を急がせることにした。思いの寄らないところでビヨンド家の長男の顔が拝められるのである。
「ただ、葬儀は終わったので帰られているかもしれません。行くのであれば急ぎましょう」
窓の向こう側では、既に行列ははけてしまっている。実際、捕まえられるかは微妙なところだ。




