その78 『(番外)ヴェインの作戦(レンド編5)』
ヴェインの提案する訓練がはじめられたのはそれから三日が経った後だった。新入りたちは教育の合間に主船での甲板仕事を任されている。どうせなら新入り全員一斉でやりたいというヴェインの我儘に付き合ったせいで、時間の都合がすぐにつけられなかったのだ。
最もヴェインの言いたいこともわかる。レンドとしても魔物を前にする新入りたちの反応を見ておきたい気持ちはあった。檻の中にいる魔物に怯えるようでは、前に出せないことが明白になるからだ。しかし一組だけ先にその訓練をしてしまうと、どうしても他の組に噂としてその概要が伝わる。それでは二組目以降に新鮮な反応を期待できない。
――けれど、目の前で魔物を見せるだけの訓練ねぇ……?
なるべく狂暴そうなものも選んだが、それだけで本当に訓練になるのだろうかとレンドは首を傾げる。
「さてと、全員集まったか」
訓練室に集められた新入りたちは、一列に整列していた。彼らは、自分たちの目の前にある黒い布を掛けられた五つの大きな箱を興味深そうに見ている。今から何が始まるのだと不思議そうだ。
レンドはわざと訓練室の鍵を閉めた。まさか新入りが怯えて逃げることはないだろうが、こうして閉めると緊張感が増す。しかも今回は指導役たちには席を外してもらっていた。まるで試験のような雰囲気がその場に漂って、空気がぴりっとする。それぐらい静かにしてもらわないと、黒い布で隠された箱、檻の中には気付いてもらえない。
「さぁさぁ、新しい授業を始めようか」
ヴェインが全員の目の前、檻の後ろに立って声を張る。申し訳ないが、檻が高すぎてヴェインの姿は殆ど見えていない。
それでも、全員が大人しくヴェインへと向いた。
レンドの耳には既に魔物の息遣いが聞こえている。夜目の効かない魔物を選んだから、暗い布に隠されて大人しくはしているが、寝ているわけではないらしい。外の様子を慎重に窺っているのだと察せられた。
その檻の正体に気付いたのか、アンナが腰のナイフに手を当てている。他の新入りたちには特に動きはない。いや、もう一人背の高い少年はナイフをいつでも抜かんばかりだ。確か、初日に動きが全くなっていなかった人物だ。最近では意外なほどめきめきとその腕を伸ばしているらしい。確か、名前をテラといったはずだ。
レンドは気にかかってアグルを見た。彼はぼうっとした様子で魔物のいる檻を見ている。なんとなくだが、気づいている気がした。しかしアグルは死を怖くないと言っていた。だから無理にナイフを構える必要も感じていないのだろう。
「まずはこいつを見てもらおう」
そう言って、ヴェインが黒い布を一気に払った。途端に光を浴びて周りの様子を見て取ることができるようになった魔物たちが騒ぎ出す。元気があるせいで、早速檻に突進する始末だ。その勢いで檻が前方、新入りたちの前へと進む。
驚いたようにナイフを抜いたのはテラだった。ナイフを構えて魔物を見ている。
――檻の中でその反応かよ。
一抹の不安がよぎる。この少年はひょっとして怯えているのではないかと。その証拠にナイフの切っ先が僅かに揺れているのだ。魔物狩りギルドを目指す理由は人それぞれだが、魔物に家族や友人を殺されたことからこの道を選ぶ者も多い。テラもそのクチかもしれない。そういう人物は魔物への恨みだけではなく強い恐怖を抱えている。それこそ、檻の中の魔物相手でも手が震えるほどのだ。
「誰がもうナイフを抜いてよいなんて言ったんだ」
ヴェインも咎めるように、テラを注意する。と思いきや、続けてこう言った。
「まぁ、フライングは多めに見てやる。全員、ナイフを構えろ」
十人全員が腰のナイフを引き抜いた。
「さぁ、今ここには五体の魔物がいる。イメージしろよ? その五体全員をこの場にいる皆で相手にする姿を」
いきなりイメージしろと言われても難しいらしい。戸惑った新入りたちが、顔を見合わせている。
これは確かに課題だったなとレンドは思う。人間対人間でも間合いが異なるが、魔物については更に幅がある。魔物学の授業は開いているが、実物をあまり見たことのない新入りたちはこの魔物を相手にどれぐらいの間合いを詰めればよいのか、あまりわかっていないのだ。レンドたちにとって魔物とやり合うのは日常茶飯事だから忘れがちだが、新入りたちは普段魔物の姿をまじまじと見る機会は少ない。辺境は別だが、普通の街中で毎日のように魔物が出るということはなくなっているし、飛行船で移動する機会も減っている。今の世代はレンドたちと違い平和なのだ。
おまけにここでの戦いは複数対複数だ。ナイフの訓練ではまだ一対一の方が圧倒的に多いと聞く。
「イメージしたな? じゃあ、それぞれ好きな位置で構えろ!」
好きな位置と言われて悩みながらも、新入りたちが、今いる位置から移動する。
その様子に、これはこれで良い刺激になるのかもしれないとレンドは思い始める。ただ訓練に打ち込むだけでは培われないこういった刺激は、今後の糧になるだろう。こうして実戦と訓練の違いについて気づかせることができれば、新入りの上達速度は断然変わってくる。ヴェインはここまでわかっていて、実際の魔物を連れてくることを提案したのだろう。
「なんでこの位置にしたんだ?」
「あぁ? それは論外だろ。お前は魔物が噛みつくことしかしないと思ってんのか」
「そうかそうか。けどな、この魔物は放たれると誰よりも早く動くぞ? 今は確かにその位置でも良いが、また直ぐ様変えないと尻尾にやられるだろうなぁ?」
何人かの新入りに立ち位置を選んだ理由を聞き、その選択と構えの姿勢に対して忠告を行っていくヴェインを見ながら、レンドは感心した。いつも思うが、ヴェインはてきとうな割に要所要所を抑えていて、的確だ。
「なるほど、なるほど。てきとうに決めた奴がいないってのが分かったのはよかったな」
ヴェインは一通り聞き終わると、そう感想を零した。それから何かを思いついたように、にやりと笑みを浮かべて、とんでもないことを提案した。
「折角だから、ここでその立ち位置があっているかどうか確認したくねぇか」
そう何気なく言ったその瞬間、魔物を捕えていた檻の鍵の一つがカチっと鳴った。レンドが最後に捕まえたあの魔物が、先ほどまでの興奮状態と変わらぬままに、檻へとぶつかっていく。そして、あまりにもあっけなく、檻が開いた。
魔物から最も近くにいたテラの口から、
「ひっ」
という引き攣ったような悲鳴が漏れる。ナイフの切っ先は辛うじて魔物へ向いていたが、その手がすでにぶるぶると震えているのをみれば、戦意など皆無であることが見てとれる。
「おい、ヴェイン!」
実戦をさせてはあべこべになるといっていたのは誰だったのかと、レンドは声を張る。
ヴェインは一歩退いて、
「おかしいなぁ? 鍵はしっかりかけていたはずなのになぁ」
としらばっくれている。新入りたちを助けるつもりはないのだろう。一歩後ろに下がっていた。
レンドは声を張りながらも、腰のナイフを抜き放ち、血染めの虎へと駆け付ける。しかし、圧倒的に距離たりない。何せ鍵が開いたのはレンドがいる場所から一番遠い檻なのだ。
床にナイフが落ちる音が聞こえた。その後を悲鳴が聞こえ、魔物に背を向けて逃げ出すテラの姿が目に入る。
魔物がその激しい動きにつられて、テラを見据えた。真っ先に魔物に背を向けるのは自殺行為なのだ。魔物は、本能のままにテラへと飛びかかっていく。
よりにもよって、テラが逃げ出した先にいたのはアグルだった。アグルはナイフを構えて魔物に相対する姿勢を取っていた。そこにテラがぶつかっていく。魔物ならばいざ知らず、同じ新入りを刺すわけにもいかないアグルがテラに気を取られて、態勢を崩す。
テラはアグルを置いて奥へと進むが、アグルは置いていかれた状態だ。そこに魔物が突撃してくる。
まさに、魔物に立ち向かう勇気を持たない者が船に一人混じっていると何が起きるのかを体現するような悪夢だった。本来なら死ななくてすむ者が、味方のはずの人間の予想外の動きによって、その命を晒すことになる。
――――間に合わねぇ!
レンドは駆け寄るが、その距離は到底縮まりそうにない。アグルは態勢を戻せておらず、他の新入りたちの動きには期待できそうになかった。
魔物がアグルに目前まで迫る。その爪をアグルに振り下ろそうとする。
アグルはどうにかナイフを手元に引き寄せたが、それで守りきれるとは到底思えない。
絶望の瞬間が訪れる。
そのとき、断末魔の声が部屋中に響いた。人間のものではない。魔物の叫び声だ。
――何だ?
魔物が崩れるようにアグルへと倒れていくが、逃げる時間を得たアグルはそのまま後方へと跳んで避ける。
魔物の体が地面へと崩れたので気が付いた。
魔物の体の向こう側に、アンナがいた。その手にナイフが握られていない。
魔物を後ろから刺したのだと分かった。そして、その勢いで手放したと。或いはナイフを投げたのかもしれない。しかし、それで悪夢の瞬間から逃れることができた。
初めて会ったときアグルとやりあっていた青年が、アグルの横から飛び出てきて、叫び声をあげながら魔物に斬りつけた。
腕を斬られた魔物が唸る。それを聞いて、突然の事態に放心していた新入りたちが、同じようにして斬りつけにかかる。
意外な新入りたちの猛攻に、レンドは正直なところほっとした。仮にも魔物狩りギルドを志望した若者だ。少々見くびり過ぎていたようだ。
しかし、どれもこれも傷が浅いのが見てとれた。あれでは魔物はまだ動ける。
レンドの不安を裏付けるように、突然魔物が腕を左右に振った。それに薙ぎ払われる形で新入りたち数人が後ろへと跳ばされる。
「アグル、喉を狙え」
レンドはアグルにそう指示を出す。
アグルは既にナイフを構えて魔物に近寄ろうとしていた。魔物が薙ぎ払ったその隙をつこうと動いていたのだ。レンドの指示を受けて魔物の腕を潜り抜ける。そして、そのままその喉元へと突き刺した。
新入りの誰よりも容赦のない一撃だった。悲鳴の声をあげることもなく、魔物が絶命する。
そして、魔物はその体をアグルの方へと預けてきた。
「うわっ、重っ……」
焦ったアグルの声を聞くのは、初めてだったかもしれない。
「急いで助け起こせ!」
魔物はレンドの倍はあった。それに潰されることの危険性をレンドは把握している。
新入りたちが、慌てた様子で魔物を持ち上げにかかった。数人がかりでも重いらしく、やっとのことで僅かな隙間が生まれた。
そこから、アグルが這い出てくる。喉元を突き刺したのだ。返り血で随分悲惨な状態になっていた。辛うじてという様子で出てくるので、怪我をしたのではないかと新入りたちが慌て出すほどだ。
幸いにして、無傷だった。ほっとする一同のもとに、拍手の音が響く。
音の出処を見て、レンドは嘆息をつきたくなる。全く、良い性格をしている同僚だ。
その同僚は、新入りたちの注目を一通り浴びた後、拍手をやめると呑気にこう言った。
「いやぁ、初めての魔物退治、おめでとうさん。どうだい、中々快感だろう」




