その776 『恐ロシイ提案』
「結局、真意は掴めなかったということですね」
さらりとメモに書かれて、ブライトは頭を下げる。
「ごめんなさい」
母を怒らせていると伝わったから、不甲斐ない自身を省みる。今日のお茶会で、シェラ家とビヨンド家の真意を突き止める予定だったのだ。それが達成できず、殆ど世間話に終わってしまった。唯一の進展は、思いがけない悪い情報を得たことだ。
いつものように、自分で動きを封じる法陣を描くとその中に入り込む。そうすると、垂れ幕が掛かって様子の見えないベッドの向こう側から白い手が伸びてくる。日に当たっていないことがよく分かる肌の色だった。
母はブライトが日中お茶会や執務、勉学に励んでいる間、部屋に閉じこもって安静にしている。そうして、少しでも声が再び出せるようにと心を休めているのである。
――――そのはず、なんだけれど。
ベッドのすぐ近くに積まれた魔術書の数が時折増えていることには気がついていた。母なりに何か動いているのだろうと窺えるのだ。
「はじめてください」
それだけを告げて、魔術を発動させる。声は出なくなり、ブライトの心臓へと手が触れる。途端に痛みが走った。
扇の傷を増やさないよう、意識を失わないようにだけ強く意識する。頭を空っぽにしようとすれば、痛みは多少なりとも減る。そのコツさえ覚えてからは、だいぶ楽になった。
頬に紙が当たる感触に、ブライトの意識が引き戻される。床に倒れていた身体を起こすと、いつものように文字の書かれた紙もひらりと落ちた。
メモを手にとって開けると、早速読み上げる。このときには大体声は掠れてしまっているが、自分が聞き取れれば良いと判断している。
「不利であることは勿論ですが、何よりも先にハレンの処分方法を考えなさい」
読み上げてから、意味を理解しようともう1文読み返した。そうしても頭に入らず、口だけが動く。
「処分」
その言葉を拾うのに精一杯で、まだ頭が動こうとしない。
そのとき、母から魔術書を差し出された。増やされた魔術書から一冊引き抜いたようである。そうして受け取った魔術書のタイトルを見てようやく理解が及び、頭が真っ白になる。
本のタイトルは、『呼吸を塞ぐ』。シエリの喉を掻き毟るような死が、脳裏に蘇る。更にその本のタイトルを隠す形でメモを置かれる。読み上げた声は、震えを抑えきれなかった。
「あなたの話では、ハレンが私達を裏切っている。これは死を持って償われるべきです」
今、ブライトはとんでもないことを提案されている。
驚愕を受けたままに、口走る。
「あ、あの! あたしの悪口ぐらい別にどうということは」
続けて差し出されたメモはあまりにも早かった。予め書いてあったのだろう。
「いいえ。これは、アイリオール家を侮辱しています。そもそも彼女には守秘義務がある。更に出鱈目まで言うのでは救いようがありません」
容赦のない文字だった。ぐらぐらとブライトの視界が歪んでいる。
「本業に励みなさい。これが私の望みです」
相手の息を詰まらせ死に追いやる魔術を使ってハレンを殺めるのが、まさかの母の願いだと言う。そしてそれが、『魔術師』の本業だと言うのだ。
震えのあまりに魔術書の上のメモが落ちてしまった。拾おうとする手は、中々メモが拾いにいけない。
そうなると、母の手が伸びてブライトの代わりにメモを拾った。魔術書の上へと戻ったメモは開けられて、同じ文面がブライトの目に映し出される。更に念押しするように指でトントンと文字の部分を強調される。
「本業に励みなさい。これが私の望みです」
こうなってしまうと、ブライトは何としてもその願いを叶えないといけない。母のことを一番に考えるのが、ブライトの何よりも大切にしないといけないことだ。幾ら恐ろしくとも、それは絶対なのである。
「承知しました。まずは魔術を習得して参ります」
ブライトが一礼すると、手は引っ込んだ。もう既に深夜は過ぎている。就寝するのだろう。
邪魔をしてはいけないと、再度礼をして下がる。そうして自室に駆け込むと、もらったばかりの魔術書を開き読み始めた。途中、自分の歯がガチガチと鳴る音に気が散って仕方がなかった。
「ブライト様、おはようございます」
ノック音とどこか平坦な声に起こされる。
「ブライト様、起きる時間にございます」
「も、もう少しだけ寝かせて」
ノック音に容赦がない。今までだったら、ミヤンこそが遅刻してきた。そうでなければ、眠そうなブライトを見て少し遅く声を掛けただろう。
「いけません。奥様のお望みに沿わなくなります」
けれど、ミヤンは変わってしまった。否、ブライトが変えてしまったのだ。
それに、今日もお茶会の予定が入っている。渋々重たい身体を引き摺ってベッドから出た。棚にしまった魔術書へと念のため視線を向ける。魔術書は幾ら何でも危険なため、姿を変える法陣を掛けてある。そのため、今はただの絵本に見える。
「入ってきていいよ」
許可を出すと、ミヤンが入ってきた。
「ブライト様。私には敬語をお使いください」
嘆息しかけたブライトは、着替えを手伝ってもらう。如何せん、今日のお茶会は特に見た目には煩い令嬢と聞いているので、手が抜けないのだ。
「朝食だけど、軽いもので頼める?」
ミヤンは大人しく頷いて返す。敬語についてこれ以上の言及をしてこないのは、ミヤンの元々の性格かもしれない。食事はミヤンが作る。だから、ここのところブライトはお茶会での食事以外は基本的には質素だ。ブライト自身は気にならないが、折角庶民風の食事になってもミヤンとは食べられないのが難点だ。ミヤンはブライトの食事に同席しようとは言わなくなった。誘っても断られるのである。
「最もあたしがしたことを思えば、一緒に食べたいなんて思わないか」
小さく呟いてから、ブライトは気持ちを切り替える。
ちなみに、母の分についての食事はミヤンが作った同じものをハリーが運ぶことになっている。ミヤンでは手元が震えすぎて給仕にならなかったからだ。
あれから、屋敷の人間は更に減った。ある意味当然のことだろう。皆、ミヤンの変化に気がついたのだ。ああなりたくはないと、逃げ出した。今では屋敷の掃除さえままならない。ミヤンだけが朝から晩まで機械のように動き回っている。
「そして、あたしは――――」
言いかけて、口を塞いだ。特に何か思って出た言葉ではない。ぽろっと零れただけのそれに、ブライト自身が震え上がる。
――――そして、あたしは機械のように人を殺すのだ。




