その775 『思ワヌ名前』
「本日はお招きいただきありがとうございます」
ブライトがお茶会に招いたのは、シェラ家の令嬢マリーナとビヨンド家の令嬢ササラだ。マリーナは十二歳なのでもうすぐ成人だ。少しぽっちゃりした体型で、大きな花をあしらった赤いドレスを着ている。ササラは二十歳と聞いている。淡い水色のドレスはササラの落ち着いた雰囲気によく合っていた。
「誰かをお招きしたのははじめてで、粗相があるかもしれませんがよろしくお願いします」
にこりとブライトは、笑みを浮かべる。お茶会に何回も参加したので、段取りは掴んでいる。笑顔を振りまいて出迎えるのが最初の手順だ。本来ならばばらばらと来る令嬢だが、今回ササラとマリーナは親しいらしく、合流したうえで訪れてきている。そのために、令嬢を一人客間で待たせてしまう心配もない。
「粗相だなんて。こんなに素晴らしいお屋敷にご案内いただき恐縮です」
マリーナは純粋に目を輝かせて、ササラもにこりと笑い返しながらそう答える。
実際は、お世辞の類だろう。屋敷こそ広いものの、ブライトには今満足に客を持て成せるほどの技量はない。料理長もいないので、ケーキ一つ入手するのも一苦労だ。都の日雇い料理人を利用する始末である。
それと、使った手はもう一つある。客間に二人を招きお茶会の支度が始まると、早速気がついたマリーナが声を掛けた。
「見たことのないお菓子ですね。こちらは?」
「お気づきになられました? それは都で流行りのお菓子を貴族のあたしたちにもどうかとアレンジしたものだそうです。商人たちから是非感想が欲しいとせつかれていまして、ご意見いただけると助かります」
魔術を覚え、お茶会を企画し、貴族たちと話をつける傍らで、ブライトは執務も続けている。書類は山のように溜まり続けていて減っている気はしないが、そうでもしないと悪評が真実味を帯びて広がり続けるからだ。
そうしたなかで偶然気になる一枚を見つけていた。それが、この新しいお菓子の企画書だ。そこには令嬢たちの意見が欲しいと書かれていた。令嬢たちにはきちんと民をみているアピールもでき、実際に民にも貴族の意見を届けることができる。この企画はブライトには美味しいものだった。
「果物が鮮やかで見た目は素敵ですね。見ているだけで涼やかな気分になれます」
マリーナが嬉しそうに意見する。甘いものに目がなさそうだ。幸せそうな顔をしているのは年相応で、ブライトから見ても可愛らしく映った。
お茶会のはじまりの挨拶をし、いよいよお菓子を手に取り始める。ササラもマリーナも気になっていたようで、口につけるのが早かった。
「冷たいお菓子なんですね! 食べたことがない味で、とても美味しいです。ですが、少し甘みがないかしら? 酸味が効いているのでもう少しお砂糖があると良いと思います」
ササラの感想に、ブライトは、
「甘みが足りないですか」
と驚いた。
「はい。冷たい分甘みが不足している感じですね」
うんうんと頷く。
「私も同意見です。折角果物が入っているのに酸っぱくなってしまっているのがもったいないといいますか。シロップをかけたら良いかもしれません」
小首を傾げて食べているマリーナを見るに、お菓子の味としてはいまいち一つ足りないのかもしれない。
「シロップですね。持ってこさせましょう」
すぐにレナードが機転を利かせて運んできた。それをクリーム色のお菓子にかけると、艶々と蜂蜜色に染まっていく。
「あ! これは凄く美味しいです」
二人の令嬢が大喜びの声をあげる。本心のようだ。ぶっちゃけると、ブライトは同じようにしてお菓子を食べてもその良さがよくわからない。料理長が作ってくれたクッキーは美味しかった記憶があるのに、今回に限らず他のお茶会で手の込んだお菓子を食べても感動がないのだ。
「貴重な意見ありがとうございます。うちの商人たちも喜びます」
だからお礼を言うに留めることにした。にこにこと笑みも振りまいておく。
「ブライト様は民の話にも耳を傾けていらっしゃるんですね、尊敬しますわ」
ササラが両手を合わせて感動してみせる。その動作一つとっても優雅さが現れており、お茶会に慣れているなと思わされた。
「お噂では苦戦されているとお聞きしましたが、とても頑張られていらっしゃいますのね」
マリーナもブライトを持ち上げてくる。が、噂はやはりここにも広がっているらしい。タタラーナが周りの力を使った上での実力といったのが、よく分かる。これほど広く噂を広げるにも、人の力が必要だろう。これは、屋敷のメイドすら不足しているブライトにはない力だ。
力量差を改めて実感しつつ、顔には出さないようにしていつものように答えを述べる。
「そんなことは。父が亡くなってから必死なだけです。妙な噂も広がっているみたいで、執務が中々進まなくて」
進まないのは、あくまで噂のせいだと責任転嫁しておく。
二人の令嬢は少し困った顔をつくる。
「お忙しそうですわよね。今日はよかったんですか。そんなときに」
「あたし、実はあまりお茶会の経験がなくて。だから皆さんのこともよく分かっていないのだと気がついたんです。お茶会については優先して時間を作って皆さんと交流したいなと思っています」
「まぁ、嬉しいお言葉です」
ササラとやり取りをしてから、マリーナに視線をやる。マリーナはお茶会にはそこまで慣れていないのだろう。お菓子を食べ始めてからは、比較的ササラから口を開くことが多い。
「ブライト様は本当にすごいです。服装もお綺麗ですし」
マリーナはブライトの視線を受けて口を開いた。とりあえずブライトを持ち上げることにしたようだ。
「そんなことは。マリーナ様もお綺麗です。香水、とても良い香りがされます」
内心ぐったりしながらも、ブライトは笑みを振りまいてそう答える。
――――そりゃそうだよ。気をつけているもん。
というのが、ブライトの本音だ。
ただでさえ指摘してくれるようなメイドがいないのに、お茶会では本当に服装に気を遣うのである。とにかくびっくりするほど、彼女たちは細かいところまで見てくるのだ。髪型や化粧、爪の先まで一つずつ確認し、おだてる材料にしたり綻びがあればさり気なく貶したりしてくる。行儀作法も完璧でないと不味いのだ。
というのもブライトに流れている噂は、領土にいる民への不満だけではない。
アイリオール家は、お金がないみたいでいつも同じ服装や香水を使っている。
アイリオール家は、人を招く余裕がないようでいつも招かれてばかりだ。
アイリオール家は、行儀作法を指導する教師に逃げられたらしい。
アイリオール家は、執務に忙しくて流行りのネックレスにさえ気を配る余裕がないそうだ。
お陰で首元のネックレスは適度に新調する必要があるし、香水を相手に合わせて都度変更する手間がある。本題ばかりでは煙りたがられるので、流行りのドレスや嵌っているお菓子についての知識を手に入れる時間も必要だ。
そうすると、時間もお金もすぐに吹き飛ぶ。
特に深刻なのが資金だ。幾ら都の半分の民から税金をとれるといえ、アイリオール家の資金は決して潤沢ではないのである。帳簿の管理も今はブライトがしているからよく分かる。シャンの宝石のときと同じでかなりの量を持ち逃げされているせいで、減っているのだ。
おまけに市民からは減税の要望ばかり届く。お菓子の企画書も、正しくは令嬢の感想だけでなく事業を立ち上げるための資金の投資依頼であった。お茶会の対策に執務にと、やるべきことをやればやるほど資金は目減りしていく。
「ブライト様のネックレスもお綺麗です。とても細工が細かくて、良い職人の手が入っているとみました」
「ありがとうございます。ササラ様の指輪は、見たことのない宝石を使われていますね。良い品というのは伝わってきます」
だからこそ、本当はさっさと本題に入りたいのに、彼女たちは中々口を割らない。警戒しているのだろう。
「そういえばブライト様はとても魔術が優秀とお聞きしました」
出方に悩んでいたとき、さらりとマリーナに問われた。
「滅相もないです。あたしは少し魔術が使えるだけで」
「披露していただくことは可能ですか?」
意外な内容にきょとんとする。試されているのだと遅れて気がついた。
けれど、下手なことはできまい。攻撃的な魔術を使ってけが人を出したら無能をアピールするようなものだ。
「この場でできるものに限られますが、勿論です」
気を利かせたレナードがペンと紙を持ってくる。ブライトは法陣を描くと、すぐに水を呼んだ。水量はごく僅かだ。そこに風を呼び、一羽の鳥の形を作る。
「巡って」
鳥に指示を与える。翼を伸ばした水の鳥は、言われたとおりに令嬢たちの周りを巡る。周囲の明かりを拾ってきらきらと飛ぶ鳥を定期的に風を呼んで誘導する。翼もなるべく動いてみえるように意識した。
「触れると濡れてしまうから気をつけて下さいね」
注意するが、あまり令嬢たちには聞こえなかったようだ。
「凄いわ! とてもきれい」
マリーナも、ササラも目を輝かせている。
巡り終わった鳥はブライトの前へと戻ると嘶き、空のワイングラスへとその姿を水に戻す。
「まるで硝子細工みたいにきらきらでした。素晴らしいものをありがとうございます」
感動のあまりに流暢になったのはササラだ。
「魔術でこんなこともできるのですね。私、水を呼び出すだけだと思っておりました」
どうやら魔術が好きらしい。これは気が合いそうだ。
「目に見える形で出したのは水ですが、実は風を主に呼び出して操っています。頑張ればこの鳥に声を出させることもできるみたいなのですが、あたしではまだまだです」
「そんなことまでできるのですね。私ももう少し魔術を頑張って覚えようと思います」
「本当、素晴らしいです。やっぱりハレンのいうことなんて嘘だったのね」
さらりとマリーナに言われて、ブライトは戸惑った。
「ハレン?」
「実は先日、今になって父が家庭教師を新たに雇うと言い出したんです。でも、私正直言って前の方が好きで。その新しい家庭教師の方はブライト様の家庭教師をやられていたなんていうんですけれど」
あり得ない話ではない。ブライトは、ハレンに暇を出した。当然、新しい勤務先に他の家を当たることはあり得る。問題は、その内容だった。
「口にすれば悪口ばかりで。ブライト様が魔術を習得できたのは全て自分の教えが良かったからで、そうでなければ全然だったっていうんです、あんなの絶対に嘘だわ。きっと自分が雇われたいからってブライト様の名前を勝手に使っているんです」
頬を膨らませて怒るマリーナは、嘘をついているようには見えない。そもそも嘘をつく理由がないはずだ。
「ハレンが?」
思わずブライトは復唱した。




