その769 『勝手ニハジメラレタ』
「けれど、アイリオール家も大変なことになってしまったわね」
食事に手を付けながら、フィオナがそう切り出した。前置きもなく早速話題にしてくるとは、余程気になっているのかもしれない。
「そうですよね、わたくし驚いてしまって」
「急でしたものね」
二人の令嬢も話を合わせている。ブライトも眦を下げて発言した。
「あたしも驚いています。まさか、あんなに元気だった父が急に病にかかるなんて……。国王様も病気で臥せっておられるでしょう? 流行っているのかもしれません」
予め考えておいた返答だ。話をそっと国王へとずらすことで、追及を躱すようにと母から指示がされていた。
「そうよね」
と言って同意するのはミミルだ。ネネは何か言いたげな顔をしつつ頷いている。
「あたし、実を言うと今回は参加するかどうか悩んだんです。けれど、お母様が折角なら行ってきなさいと息抜きを勧めて下さって」
「まぁ、そうだったの」
ブライトの話に驚いた顔を作るのは、フィオナだ。ブライトはさり気なく母が健在のように振る舞った。それをどう受け止めたのか、フィオナの表情からは窺えない。
「お優しいお母様ですのね」
「ええ。自慢の母です」
ネネの相槌ともいえる言葉に、ブライトは頷いて返した。
「そういえば、ブライト様は変わった香水をつけておられるわよね。それもお母様の?」
ミミルの問いかけに内心唸る。それほど変わった匂いをつけているとは思っていなかったからだ。
「はい。母からお借りしたものです」
「折角ならご自身用に作ってみては? わたくしは専用の香りを職人に作らせているわ」
なるほど、ミミルという人物は自分の香水に拘っているらしい。お陰で話が逸れた。
「まぁ、そうなんですか。あたし、あまりよく分かっていなくて」
「あら。淑女たるもの香水のことはきちんと理解しなくては。もしよければ今度わたくしの屋敷へいらっしゃいな。紹介してあげるわ」
「ありがとうございます。是非お願いします」
正直なところ、ブライトはさっぱり香水に興味が持てる気がしない。そんなことをするぐらいなら、魔術書を一冊手に取ったほうがずっとましだと感じる。
けれど、この会話ならしきりに感心するだけで良いので、気楽だ。
「あら、ずるいわ。私もブライト様をご紹介したいです」
ネネがあくまで上品な顔を崩さずに、むくれてみせる。
「まぁまぁ、ブライト様は人気者ですこと」
フィオナはくすくすと笑う。そうして、あくまでも何気ないように告げた。
「そうそう、そんなブライト様に私、聞いてみたいことがあったの」
手に持っていたフォークを置いて、ブライトへと視線を向けてくる。
「ブライト様はお若いけれど、将来の夢はあるのかしら」
ブライトは内心戸惑った。家のことを聞かれるだろうと思ったから、それは答えを用意していた。ミミルのように相鎚を打つだけでよい会話ならば、気楽に対応できた。
まさかここでそんな質問が飛び出るとは思わなかった。ミミルもネネも気になるのか、ブライトのほうをみている。
これは、フィオナがブライトを測るために用意した質問なのだろうと気がついた。飾りの言葉でなく、少しでもブライトの本音を引き出そうというのだろう。
そうであるならば、ブライトなりの答えを提示すべきだ。けれど、将来など本気で考えたことがなかった。少し前までは魔術をたくさん覚えて、家族の手伝いができたら、本当にそれで良かったのだ。
「将来、ですか。今はまだ……」
濁すと、小首を傾げられた。
「あら? わたくしはてっきり当主になるのが夢かと」
中々に斬り込んでくる。母からの忠告を思い出し、確かに警戒が必要な人物だと納得する。
それにしても、これにはどう言い返せばよいのだろう。ブライトの頭に二つの選択肢が浮かぶ。
――――まだ父の死が受け入れられなくて……、すみません。
これを選ぶと、当主になることに否定的な姿勢であるとみられる可能性がある。逆に、無神経に聞いてくるなと牽制しているようにも受け取られるかもしれない。
――――あたしはもう当主のつもりなので。
と言ってみる選択肢もなくはない。ブライトはまだ未成年、つまるところ準魔術師になるので当主の座は仮であるが、当主の座を譲る気はないという宣言になる。
何を答えてもフィオナは何かしらの答えを得ることになる。その可能性に気がついたからこそ、どう答えるべきか慎重に吟味したかった。
けれど、いつまでも黙っていることもできまい。悩んだ末、ブライトは考え方を変えた。
「あたしはもう当主のつもりなので。どのような当主になりたいかと言う話であれば、もう少し答えられますが」
この話題を振ってくるということは、既にフィオナがブライトの弟に関して何か知っているということかもしれない。敢えて言い切ることで、相手の反応を見ておいたほうがよい。その思考から、ブライトは後者を選んだ。相手が腹を知りたがるというなら、答える代わりに情報を引き出そうと思ったのだ。
「まぁ。ですが、まだブライト様は未成年であられるでしょう? 当主は無理なのでは」
ネネは驚いたような声を出した。ブライトの言葉の後半には食いつかないあたり、ブライトがどのような当主になるかは興味がないらしい。当主になるという発言自体に抵抗感があるように感じ取られた。
「あいにく、他に継ぐべき者がおりませんので」
どう答えるか躊躇したのは、一瞬だ。分家もいないのだから、ブライトが継ぐ以外にない。そして、まだ父の死から数日間しか経っていないのだから、弟の存在が伝わっていない前提で話を進めにいったのだ。
しかし、すぐに三人が顔を合わせた反応から、弟のことは知られているらしいと気がついた。情報の広がりの早さに改めて驚きを感じる。
「その、弟様がおられるとの話を聞きましたが」
ネネが戸惑いの声を隠さずに聞いてくる。気のせいか、ブライトの家に一番関心が強いようだ。
「あたしも、おかしな噂が出ているなと思っていました。我が家に子供はあたししかいない認識です」
「噂」
ネネがぽかんとした顔をする。
「それでは、あくまでそんな存在はいないと」
ブライトはこくんと頷いた。
「ブライト様は男こそが後を継ぐべきだと思わないのですか」
そこでされた質問に、面食らう。このネネという人物、ブライトの発言を信じていないらしい。ブライトが当主の座に着きたくて、弟がいない風に話していると思っているようだ。
――――ええと、どうしてそうなるんだっけ?
聞いてみたくなるほどだ。何故ならブライトは父のノートを見られないように扉に魔術を掛けていた。だから、ジェミニがミリアの子供のことをアイリオールの跡継ぎだと告げたところで証拠はないはずなのだ。
「よくわからないのですが、継ぐに値する者が継げば良いと存じます」
「それがブライト様だと」
ブライト自身としては、今までの生活が約束されれば当主の座など本当はどうでもよい。けれど、それはもう無理だと理解している。第一、母も望んでいないだろう。
「アイリオール家に関しては」
だから、そう答えた。
「そう、そういうおつもりなのですね」
ネネの声は、もはや断定だった。まるで、ブライトがアイリオールの跡継ぎになることをこの場で宣誓したかのような確信ぶりである。
「あの、よく分からないのですが、どうしてそういった架空の弟の存在が広まっているんでしょうか」
こうなれば聞くしかない。ブライトは精一杯困った顔を作る。本当に困っているのだから、伝わっているだろうと信じた。
フィオナがあらあらと声を上げる。
「その様子だと、本当にご存知ないみたいね」
それで、説明してもらったのだ。
「なんで、あたしの知らないところでそんなことが」
説明を聞いたブライトは頭を抱えたくなった。これは、母の望みでない事態だとはすぐに分かった。本人たちを差し置いて、勝手に盤上が出来上がっていたのだ。しかも、力のある貴族が味方に多いほど、有利かどうかが変わるらしい。
はじまりは、ジェミニで間違いない。やはり、ミリアを連れてアイリオール家の息子がいると宣言したらしい。あちらこちらの貴族たちにこのことを触れ回ったという。
証拠がなければ動かないと思っていたが、ここでミリアとともに逃げたメイドたちの証言があると、ジェミニは説明したようだ。証言などどうとでもなりそうだが、ミリアの記憶が公開されれば話は別だ。貴族の何人かがそれを確認し、さらなる証言となった。元々ジェミニの位も高いこともあって、この数日間であっという間に広がっていたのだ。
「体の弱いミリアが、この数日間で記憶を読まれ続けたってことだよね?」
絶対にミリアの意志ではないだろう。ミリアが召使いと呼ばれていたことを思いだして苦々しくなる。ジェミニはきっと、ミリアを都合のよい召使いとしてしかみていないのだ。そうでなければ、体の弱いミリアの記憶をいろいろな相手に読ませるわけがない。ブライトでも辛いのだ。ミリアではきっと持たない。
とはいえ、困ったことに、ブライトが父の死後対応に苦慮している間に弟の存在が周知されてしまった。
しかも、既に周囲ではどちらが跡継ぎになるかという話が持ち上がっているのだという。通常であれば弟だ。シェイレスタは男が跡継ぎになる。
けれど、ミリアは召使いだ。そして、ブライトは既にその才能を周囲に認知されている。故にその才能を惜しみ、女が当主でもよいのではないかと意見する『魔術師』もいるのだという。
当の本人が蚊帳の外である事態には唖然とするしかない。けれどこれで、手紙の返事がこない理由も分かった。ジェミニはブライトたちと直接やり合うのではなく、外堀から埋めていくことにしたのだ。




