その76 『(番外)課題を前に(レンド編3)』
「……ちっ。酒臭さが服にうつってやがる」
絡んでくるユアンにもう一杯酒を奢ったレンドは、逃げ出すように自室に帰還していた。酒好きな癖に、驚くほどに弱いあの男には付き合っていられなかったのだ。それよりも、考えることがあった。
「今日の感じだと、使い物になるのは五人か」
頭の中で人員配置を考える。現在五隻の船を所持しているわけだから、一隻に一人配置すればよいとはいかないのが世の中だ。ナイフが扱えるものだけで絞って五人。だが主力は大砲だ。そちらの才能がなければ、てんで残念なことになる。
厄介なのは、新入りを雇うのと同時に、大砲を二門も増やしているということだ。ちょうど一隻に一門ずつ配備される形になるだろう。これは、ヴェインと話したときにも言った通り、新入りを抜いた今の人員でカバーできる数を超えることになる。ただでさえ、大砲は重いのだ。そして、魔物は大人しく撃たれるのを待ってはいない。逃げ回る魔物に照準を定めるためには、複数人で大砲を動かす必要がある。照準を定める者、大砲に弾薬を積む者、そして大砲を撃つ者。普通に考えて、三人は欲しい。否、回転率をあげるならば従来と同じ四人だ。それが二門なので八人は必要になる。これに、船を動かすうえで最低限必要な人材、例えば甲板長に見張りなどが必要になる。
レンドはそこで、先ほどまでいたカウンターを思い浮かべる。つい先程生温い水を飲んだばかりだが、その水を提供する者も当然いる。魔物退治とはいえ、戦えない事務員も大勢必要になるわけである。特に魔物退治の職業柄、医務室はなくてはならない存在だ。
冗談も大概にしろと言いたくなった。一体どこから大砲二門も動かせる人数がでてくるのか。レンドの計算では、どうあがいても新入りを最低でも六名は配備させる必要がでてくる。しかしスナメリの鉄則を守るのならば、今の段階で五人に減っているのだ。
「スケジュールだと……、明日から弾道学の授業が入るわけか」
――――聞きたくねぇなぁ。
心の底から呟く。後方から生徒たちを見るだけのことだが、眠くなることが予想された。この手の知識はレンドにはお手上げなのだ。
それから、レンドのような船員もいるせいで、今いる船員たちを大砲組に回すことができないのだと気が付いて、ばつが悪くなる。今は新入りを選ぶ権利があるが、昔はそうもいっていられなかった。だからレンドのような学のない者ばかりが今のスナメリには大勢いる。
「……聞かねぇでもいいか」
あとで指導役に意見を聞くだけにするかどうか悩む。だが、弾道学の授業はナイフの授業と同様で差が出やすい項目だ。大変不本意だが、その目で見ておいた方がよいだろう。
「本当はとっくに抜け出している予定だったんだよなぁ……」
頭目の態度に揺らいでしまったことを、今頃になって後悔した。
弾道学の授業は、専用の教室で開かれる。正面には黒板。生徒たちは椅子に座り、机を前にしている。まるで噂にきく学校だ。唯一違うのは、その机や椅子が嵐の際に投げ出されないように地面に固定されていることだろう。
レンドは教室の一番後ろに立ち、欠伸を噛み殺しながら生徒たちの様子を観察していた。授業が始まってから一時間は経過しているためか、数人の生徒が船をこいでいる。
気持ちはよくわかると、レンドは共感する。黒板には訳の分からない公式がずらりと並んでいるのである。このような難解な式を見せられては、人間、眠くなるのが摂理というものだ。退屈しのぎに、頭の中で読み上げてみる。
――――えーっと、十二掛ける横風の強さ、かっこ飛行時間引くことの飛行距離分の……?
再び欠伸がこみあげてきて、首を左右に振った。やはり何を言っているのかさっぱりだった。
その難しそうな公式を前に、何やらすらすらと手元のノートに計算式を書き上げている女がいる。素振りの練習がなっていなかった赤毛の女だ。指導役の質問にすらすらと答えているのを見るあたり、頭はよいらしい。
レンドは事前に読み込んできた資料を思い返す。
名前は確か、アンナ。年は十八。苗字がないところを見ると、出身はシェパングだろう。シェパング特有の字を充てるならば、杏奈あたりと思われた。シェパングの民族衣装は着ていない。最も国外に出てまでシェパングの文化を重んじる者は最近では少数なので、別におかしくはなかった。昨日の素振りを思い返してもわかる通り、武器を扱った経験はない。その代わりに、シェパングの学校を出ている。
学校にいたのならば、よりにもよって魔物討伐の仕事などやらなくてもよいのにおかしな選択をするものだと、感想を抱く。
そこで、志望理由欄に書かれていた内容を思い出した。そこには「昔、『スナメリ』に助けられたことがあるため」と書かれていた。魔物討伐の際に、民間船を救うことは過去に何度かあったので、アンナもその中のどれかに乗っていたのかもしれない。
――――まぁ、頭が良いなら使い道はあるだろ。
経理に回してもよいかもしれない。あいつらは大砲を買うだけ買って人員配備の計算もできないような奴らだからな、と憎々しく考えた。
これ以上教室にいても、眠くなるだけだ。そう判断したレンドは早々に引き上げて、ヴェインのいる部屋へと向かった。扉を開けると、部屋の中央で固定された机の上に、脚を乗せて寛ぐヴェインの姿があった。
「お疲れっさん。で、どうよ」
その態勢に小言を言いたくなるが、ぐっと堪える。一々ヴェインの態度に目くじらを立てていたらレンド自身がもたなくなる。ヴェインはずっと昔からこういう奴なのだ。割り切るしかない。
「散々だな」
レンドは指導役にもらったレポートを見せた。十人に減った新入りたちの能力分布が記載してある。ナイフさばきに、銃の適性、砲弾の扱い方の習得具合。レンドが確認したナイフさばきと弾道学の授業以外にも何項目か印がつけられていた。
「あぁ、なるほどねぇ」
ヴェインもそれを見て、合点がいった顔をした。
実は各々の成績は、それほど悪いわけではない。項目によっては抜きん出て最低ランクにいる者もいるが、平均してみれば例年より高いぐらいだろう。
しかし、その能力がばらばらなのである。アグルのようにナイフさばきが長けているものは、銃の適性か砲弾の扱い方がさっぱりである。鉄則を鑑みると五人に減っていることは述べたが、その五人に関しては特に他の項目が慮しくない。逆に平均値が軒並み高いのはアンナだが、肝心なナイフさばきと銃の適性は致命的だ。
「適材適所、これに限ると言いたいところだが」
この条件だと鉄則が邪魔をする。せめて、ナイフではなくて銃の扱いを鉄則にあてがうことができれば……。そこまで考えてレンドは首を横に振った。
人の能力が不足しているからといって、ルールを歪めてしまっては船は海に墜ちることになる。それこそ、最も危険な選択肢だ。
レンドはふと『スナメリ』の由来を思い出した。このギルド船の名前は、水の中にいる生き物の名からとっているという。船が墜ちたらその名の通り、海獣たちの仲間入りをするわけだ。
「互いに生き延びることを考えようぜ? とりあえず、こいつらの能力をどう引き延ばすかだ」
時間は三週間を切ったところだ。まだ零ではない。ヴェインの言葉に、その通りだとレンドは頷く。
まずは新入りたちの現状の適性を見る。それが今の段階だ。課題が分かったわけなのだから、今度はその課題を解決することを前提に置いて考えていかねばならない。やる前から言い訳は言えないだろう。
問題は、大討伐作戦までに新入りを鍛え上げる方法だ。画期的な方法があればよいのだが、中々そう簡単にはいかない。
「大きな課題は、最低限のナイフの扱いをマスターしてもらうことだろうが」
ナイフの訓練時間を増やして少しでも手を打つか、少人数に分けて適性ありと判断した五人にはナイフ以外の成績を伸ばしてもらうのが妥当だろう。
そう思案するレンドを前に、ヴェインは何か思いついたのか、意味深に人差し指を突き立てて見せた。
「さぁて、ここで問題。『スナメリ』がナイフの扱いを鉄則としている理由はなんでしょう」
体を少し起こしながらも、足を変わらず机の上でぶらぶらと揺らしている。ふざけているにもほどがある態度に、苛々しながらもレンドは答えてやった。
「ナイフも扱えない奴じゃ実戦で逃げ出すだろ」
「はい、正解。じゃあそれを銃にしてはいけない理由は」
「あらぬ方向に乱射されたらたまったものじゃないからな」
恐怖のあまりパニックに陥った新入りを想像しながら、レンドは答える。銃は手軽な分、むしろ危険だ。新入りに撃ち殺されたらたまったものではない。
「正解、正解。そして籠手だと魔物の牙に負ける可能性があるから格闘技も認めていないと」
今更それがなんだというのだと言いかけたレンドを制し、ヴェインは続ける。
「それなら逆に、ナイフを持たせた状態で魔物から逃げなくなればよいってことっしょ」
「おい、まさか」
ヴェインの言いたいことを想像して、唖然とする。
「実戦に出すつもりか」
大規模作戦の前にいち早く他の魔物と戦わせる。その可能性を口にしたのだが、ヴェインには人差し指を左右に振って否定された。
「ノンノン。それじゃあ、あべこべになっちまう」
確かに、実戦に出すための鉄則なのに、鉄則をクリアするために実戦に出したら元の子もない。
「なぁに、ちょっとした『肝っ玉鍛え作戦』をやろうと思ってな」
そこまで聞いても、ヴェインが何をやりたいのか理解できなかった。




