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カルタータ  作者: 希矢
間章 『カタコトノ人生』
759/994

その759 『頑張レナイヨ』

 ブライトが部屋を出ると、ハリーが困った顔をして待っていた。

「ブライト様。とりあえずベルガモット様にはお部屋に入っていただきましたが……」

 その後どうしたら良いか分からないでいたようだ。ブライトはすぐに指示をする。

「ハリーはミリアの傷を診てあげて。必要ならお医者さんも呼んでね。あたしがお母様のところにいってくるから」

 ハリーの顔は途端に安心しきったものに変わる。父のことがなければ知らなかったなと気がつく。ハリーは誰かの指示がない限り安心できないのだ。


 そうして、ハリーと別れたブライトは父の部屋を振り返る。

「念のため、やっておこうかな」

 ささっと法陣を描いてから、母の部屋へと向かった。ノックしようとしたところで、扉一枚隔てた向こう側から声が聞こえてくる。

「私の……が、……にもお嫌い……たか?」

 言葉を全て聞き取ることはできなかったが、泣き腫らしたあとにこぼれた本音のように見受けられた。

 ノックしないかわりにブライトは耳を澄ませる。

「……あの子が……の子でなかっ……ら、私たち…………捨……の……か?」



 私のことがそんなにもお嫌いでしたか?

 あの子が男の子でなかったから、私たちを見捨てたのですか?


 途切れ途切れの言葉でも、組み立てることはできた。そのうえで、浅はかだったと気づく。母の怒りを、悲しみを、よく理解できていなかったのだ。

 きっと、父が母のことをどう思っていたのかだけが問題ではないのだ。弟がいたという事実があったこととも、また異なる。経緯はどうであれ、母は父にブライトと母の二人を見捨てられたことがより辛いのだ。

 改めて、思い出したことがある。ブライトの名前は、父がつけたと言う話だ。ブライトの名前は、一般的には男につける名前だ。ブライト自身はこの名前であることを嫌と思ったことはなかったが、これには父の密かな願いが込められていたのだろう。

 だから、母が時折悲しそうにブライトが男の子でないことを零していたのは、父のためだ。日記の全てが母に伝わることはなかったが、父の『男の子が良かった』という思いは感じていたのだろう。

 逆に父はそんな思いを持っていることを普段は全く垣間見せなかった。父はブライトの努力ではどうにもならないところで、ブライトを見限っていたのだ。




「ブライト?」


 扉を開けると、暗い部屋で母の声が返る。目を凝らせば、母が一人ぽつんと椅子に座っているのが見えた。散々抵抗したのか、腕には痣をたくさん作り、髪は乱れて、服も着崩れている。ブライトのことを振り返ったその顔は蒼白のままだ。目は真っ赤で、悲しそうで、何か言わなくてはと焦らされる。


「ごめんなさい……、あたしのせいで」


 謝罪しか浮かばなかった。

「あたしが男の子じゃなかったから、家族を悲しませたんだよね?」

 俯いたブライトを母の手がそっと包み込む。母が立ち上がり駆け寄ってブライトを抱きしめてくれたのだ。

「違うのよ。あなたは何も悪くないわ。悪いのは、周り。あなたじゃないの。だからごめん、ごめんね」

 そう言って、何度もブライトに謝る。優しい言葉だった。


 ――――だから、安心してしまった。


 母の顔を見上げて気がついた。その顔は悲しみとは真逆の怒りに燃えていた。

「そうよ。悪いのはあの女よ。ミリアがきっと誘惑したんだわ。許せない。こんなこと、許せるはずがないわ」

 そのギラつく目が、途端に平坦になった声が、怖かった。

「ミリアを怒らないであげて」

 と言いたかったのに、怖さのあまりに舌がまわらない。

「お母様?」

 辛うじて呟けたのは、それだけだ。

 それで、はっとしたように母がブライトを見下ろす。

「ねぇ、ブライト」

 打って変わり、その声は猫撫で声になった。同じ人物とは思えない変化に、ブライトの肌がぞくりと粟立つ。

「私ね。もう信用できるのはあなたしかいないの。あなたのお父様にも裏切られて、あなたしか残っていないの」

 ブライトの頬を母の指が撫でる。冷たい感触があった。

「だから、あなたにみせてほしいの」

 何をと、聞く機会はなかった。


「こちらへいらっしゃい」

 言われるがままに部屋の奥へと入ると、甘い香りが頭を刺激した。何故だろう。どこかぼんやりしてくる。しっかりしなくてはいけないと思っても、瞼が重くなっていく。

 母の後ろ姿が遠い。揺れる視界のなか、足を動かさなくてはとばかり考える。そうしていると突然耳元に息が掛かった。冷たい手がブライトの首から前へと伸びてくる。そこで母に後ろから抱きつかれていることに気がついたが、母の手を触れようと腕を上げることさえままならない。

「ブライトは私のことを愛してくれる?」

 耳元でそっと囁かれる。返事をしようとして口が中々開かなかった。辛うじて、重たい唇をこじ開ける。

「はい」

 耳元で母の息遣いが聞こえ続ける。視界も覚束ないままだ。身体が鉛になったように重く、頭もはっきりしない。母に抱きつかれていなければ、倒れてしまいそうだ。

「良い子ね。本当に良い子」

 何が起きているのか、ブライトにはよく分からない。ただ息苦しさは感じていた。

「それなら、ちゃんと証明して見せて」

 瞼の下で法陣の光を見つけた。それで、ブライトの身体は動けなくされたのだと理解した。けれど、それが分かっていてもあまりにも頭がぼうっとしているせいで、母の動きを感じるだけで精一杯だ。

 後ろから伸びた母の手が、ブライトの心臓のある場所へと優しく触れる。

「あなたの記憶、私に差し出して」

 指の先を当てられて、すっと何かが入り込む感覚があった。思わぬ感覚に悲鳴を上げかけて、声が出ないことに気づく。ヒューヒューと、息を切るような音だけが、辛うじて喉から漏れた。

 声を上げられない状態はとても怖かった。震え出したいのに、震えることもできない。涙だけは耐えず溢れてくる。

 あまりの苦しさに、何もできない。身体中を駆け巡る不快感に、耐えることしかできない。


 長い拷問のような時間が過ぎると、段々意識が朦朧としてくる。次の瞬間、頬に痛みが走った。

「あっ、う……」

 いつの間にか足元から崩れ落ちていた。見上げた先で、母の赤い目が見下ろしている。

 意識がないと思われたのか、再び頬を扇の平で叩かれた。

「ご、ごめんなさい」

 この仕打ちは、やはり母が怒っているせいだろうと思って、ブライトは堪らず謝罪した。倒れたせいで魔術の効力が切れて声が出るようになっていることには、発言した後もあまり気が付かなかった。

「違うわ。ブライトが謝ることは何もないの。とてもよくやってくれているのよ」

 確かに、その発言のとおりに、母の声は優しいままだ。だからこそブライトはどうしたら良いか分からなくなった。

 母の目は、変わらずぎらぎらと鋭かったのだ。

「さぁ、頑張って。続きを見せて」

 応援されて、まだ終わっていないのだと気付かされる。震えて中々力の入らない足でどうにか立ち上がると、母は素直に褒めた。

 そうして、再び母の指がブライトの心臓へと向けられる。びくりと身体が強ばるのを避けられなかった。

 そうすると、耳元で囁かれる。

「大丈夫よ。さぁ、頑張って」


 こんなの、頑張れない。


 弱音を吐きたかったが、ブライトに魔術が掛かったようで動くことも、声を出すこともできなくなっていた。再び指が入ってくる感覚に、悲鳴を上げられずにひたすら耐える。涙で母の顔も見えなかった。


「さぁ、もう一度」

 頬の痛みとともに、意識が引き戻されると、再び自らの足で立ち上がる。


「さあ、頑張って」

 ひりひりと痛む頬に構う時間もなく立たされる。もう、おかしくなってしまいそうだった。


「やめてください」

 泣きながら懇願しても、母は、

「大丈夫よ。頑張って」

 としか言わないのだ。

 一体、何をされているのかも分からない。ただ頬を叩かれて意識が戻ったら立たされて、痛みと恐怖の中に晒され続ける。延々と続く地獄の中で、泣き叫ぶこともできずに、

「頑張って」

 などと、応援され続けるのだ。

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