その755 『受付』
二人で廊下を歩き始めると、ジェミニは自分の短い髪を僅かに擦って、ぽつりと呟いた。
「こういってはなんですが、自分が死んだときには妻はああまでして泣いてはくれないだろうなって確信があります」
「そんなことは」
思わず否定したが、ジェミニの顔は本当にそう思っているかのように真剣そうだった。それだけ母の嘆きように驚きを受けたということなのだろう。
「お母様は身よりがいなくて、本当にお父様しかいなかったんです。だから、お母様にとってはお父様が全てで……」
少し調べればわかることだ。母は今はないギドゥル家の一人娘だった。元々小さな家で、親戚もいなかった。親は病で倒れた。そして、子供の頃から婚約予定だった男はある罪で捕まったという。もし父に拾ってもらわなければ、露頭に迷っていたと聞いている。
「今後ももし困ることがあれば、遠慮なくクルド家を頼ってください。お母様のことが心配ですし」
「ありがとうございます」
親切なジェミニの言葉が身に沁みる。
「さて、そろそろ会場ですね。私は葬儀屋の様子を確認してまいります」
ジェミニの足は、迷うことなく会場へと進んでいる。それは、この短期間にジェミニが屋敷を奔走してくれたからだろう。
「改めてジェミニ様に感謝いたします」
ブライトは去ろうとするジェミニを引き止め、頭を下げた。
「やめてください。子供に頭を下げさせるなんて、大人としては恥ずかしい。さぁ、ブライト様には届いているお花の確認をお願いしても良いですか」
大人しく頷いたブライトは、ジェミニが開けた扉の奥から熱気を感じて目を細める。
外の光が、やたらと眩しく感じた。熱気の先、中庭の開けた場所が姿を現す。動かせる植木鉢の類は既に脇に退けられ、代わりに焚き火用の木が何本も積まれている。父の遺体を保管した棺は見つからない。外が暑すぎるため、室内のすぐに中庭から出せる位置に置かれているのだろう。
「では、私はこれで」
ジェミニは奥へと進んでいく。黒服の男たちが屯している木々の近くに向かうようだ。
「ブライト様」
入れ替わるようにして、ハリーがブライトを見つけてやってくる。
「ハリー、ご苦労さま」
「はい」
葬儀屋と話していて疲れたのか、ハリーはハンカチで額の汗を拭っている。
「届いている弔花を見たいのだけれど」
「こちらでございます」
送られた花は驚くほどたくさんあった。砂漠の暑さにやられないように、水の魔法石が山ほどあしらわれている。
「これはミヤンダ家からのものですね」
ブライトが青い百合のような花に目を留めているのを見てか、ハリーが説明する。ファンレターの家だと、ぼんやりと思い出した。
「あの花は?」
クレマチスに似た花が大きく開いて美しい。
「フェンドリック家からのウルリカにございます」
フェンドリック家は、父が呼んだ家だったはずだ。
「フェンドリック家の方は、来られていないのですか?」
「はい。お呼びしたのですが、どうしても来られなかったとのことです」
フェンドリック家は歴史上、アイリオール家並みに格式高い家である。父が呼んだのは立場もあったのだろうと思われた。
しかしそれほど格式高い家ならば、当然、貴族区域にも別邸はあるはずだ。それが来られないのには理由があるのだろう。
「流行り病だと」
「そちらもですか」
国王が病に伏せ、父が病で亡くなり、アイリオールと並ぶ家もまた病で来られない。何か作為的なものを感じてしまうが、それだけこの土地に病が蔓延っているのも事実だ。実際、フェンドリック家の治める土地は、ウルリカがなければ山の呪いと呼ぶしかない謎の病により全滅していたと歴史で習った。
「受付はこちらで行います。水と風の魔法石を動かすそうなので、暑さは多少落ち着くかと」
届いている花や贈り物を確認し終わったブライトは、ハリーから受付の流れを手早く聞く。そうするうちに、バチバチと炎の燃える音が聞こえてきた。先に火を焚いたのだ。そのあとで、涼しい風が中庭を覆い始める。
中庭からみて外、窓の向こう側では、メイドたちが忙しそうに動き回っているのが見えた。そろそろ人々がやってくる時間らしい。
「あ、来られましたよ」
ハリーの声に意識を引き戻す。
「グレイス家のヴァール様です。お一人ですね」
ハリーの視線の先で、一番乗りでやってきた男が小さく礼をする。ブライトも低頭しながら、ヴァールという男の様子を探り見た。薄紫の髪に切れ長の目、全体的にすらっとした体。日焼けした筋肉質の腕は『魔術師』というよりは剣士のようだ。年は父より若いが、どことなく父に似た雰囲気を醸し出している。父が呼んだと言われて、納得だ。
「この度は心よりお悔やみ申し上げます」
声は低く、ぶつぶつと呟くように言うので聞き取りにくかった。
「本日はお忙しいところお越しいただき、誠にありがとうございます」
ブライトは予め聞いていた決まり文句を返す。お忙しいところ、という言葉を口の中で転がして、納得する。グレイス家は実際特に忙しくしている家だから、ぴったりなのである。というのも三年前から急に増えたという『異能者』を管理しているからだ。シェイレスタの都の特別区域を治めているのである。
「父とは、仲が良かったと伺っております」
「仲が良いかは分かりかねますが、よくチェスの相手は努めておりました」
父がチェスをやるとは初耳である。そうですかと流して、ブライトはヴァールという人物との挨拶を済ませた。
中庭に続く扉からは、順番に人々が歩いてくる。はじめは貴族区域からやってきた者が多く、皆暑そうにしていたが、次第に宿泊客もやってきた。
「御愁傷様です」
そうしてやってきた客人は、ブライトが受付をし葬儀会場でもある中庭へと通す。彼らは運び込まれた棺へと別れの挨拶をし、全員終わるまで整列をして待つ。
その後は全員で父の遺体が燃えるのを見届け、唄を歌い、改めて別れを告げる。それが、『魔術師』の葬儀の流れになる。
暫くして、ハリーが声を上げる。
「あ、あれはシャイラス家の方々ですね。ご夫婦でいらっしゃっています」
シャイラス家の当主の名前はヨルダだ。父が最期に呼んだ家の最後の一人である。シェイレスタの南方にあるマリカ地方を領地に持っている。距離が遠いので昨日は宿泊したようだ。ハリーの話では別荘も貴族区域に持っていて、二人共よく来るらしい。そのため、別邸から来るという選択肢はあったはずだが、今回は敢えて宿泊を選んでいたということになる。
「この度のことは、本当に残念です」
言葉は丁寧だが、ヨルダという人物は非常に大柄で威圧感がある。『魔術師』というよりは空賊の長をやっていたと言われたほうが納得感のある外見だ。
「ベルガモット様は塞ぎ込んでおられるのよね? ブライト様も無理はしないで何かあったら頼ってくださいね」
そしてヨルダの隣にいる妻だという女は、フィオナというらしい。うっすらと緑がかった白銀の髪を結い、喪服にしては派手な装飾の衣類に見を纏っていた。どこか自信に満ちた顔をしているのもあるせいか、葬儀の場では少し浮いてみえる。
「お心遣い痛み入ります。それと、母もお茶会ではフィオナ様にお世話になっているようで」
ハリーの話を思い出して、話題を振る。
「あらあら、聞いていたの? 確かに、よくお茶会に誘っていただいています。ベルガモット様には本当によくしていただいて」
母からのお茶会の話題で、フィオナのことは一度も出たことがない。ハリー伝いでなければ知りもしない情報だった。
「あっ」
後方で小さな驚きの声が上がり、ブライトとフィオナが振り返る。ヨルダは元々気配に気がついていたようで、素知らぬ顔だ。
「あらあら、エルドナじゃない」
昨夜父の部屋にやってきた母の友人である。エルドナはどことなくおどおどとしていた。
「今日は鳥を呼ばないのかしら」
「葬儀の場に鳥は、その……」
フィオナとエルドナの会話を理解できずにいると、フィオナが振り返って説明を入れる。
「エルドナは、魔術でできた鳥を自在に操れるのですよ。お茶会で披露いただきましたが、鳥そっくりの歌真似までできて、感動しましたわ」
魔術の好きなブライトとしては興味のある話題だ。
「鳥の声まで真似るのですか。それはいつか是非お聞かせください」
エルドナは小さくはにかむ。
「ふふ、年の差はあれど良い関係を築けそうね」
フィオナはにこりと笑い、ヨルダとともに去っていく。
エルドナもぺこりとが頭を下げて、ブライトから離れていった。
その間に、ブライトは二人の家について頭の中でおさらいする。まず、ヨルダとフィオナのいるシャイラス家はシェイレスタの南を統治する貴族だ。統治する規模はかなり大きく、アイリオール家とフェンドリック家の次に力を持っていると言っても過言ではない。そして、エルドナのジュリウス家はシェイレスタの都の近くにある小規模の街や鉱山を管理している。比較的近いとはいえ歩くとなると数日は掛かるので、昨日は宿泊をしていたのだろう。
受付はそのあとも続いた。大きな家は大体来ており、ブライトが初めて聞くような小さな家の人間もいた。弔辞もたくさん届いた。シェイレスタの都の商人たちからは弔花も送られた。
そうして対応に忙しくしているとあっという間に開始の時間が近くなる。そのときになって、ハリーが小声であっと声を上げた。見慣れない男とメイドのレンダが室内から走ってきたのである。




