その752 『訪問シタ魔術師』
気になって扉を開けると、そこには美しい女がいた。母と同じくらいの年齢に見えるが、身長は成長期のきていないブライトより少し高いぐらいだ。喪服を着ているものの、カールの掛かった豊かな金髪のせいか地味な印象は全くない。白磁のような肌に、落ち着いた香水の香り、清楚な出で立ちからは気品が漂ってくる。
「あ、あの、すみません。ベルガモット様のことが気になって……、しまって……」
澄んだソプラノの声は震えており、後半から聞こえなくなった。人目を惹きつける空色の瞳がうるうると揺れている。父の死の間際、部屋にいた客人だろうと結論づける。気付かなかったのは、身長のせいで周囲の人だかりに埋もれていたからだろう。
それにしても、不思議だった。ブライトはたった九歳の少女なのだ。まさか親子ほど年の離れた子供を相手に気後れされるとは、思うまい。
ブライトの戸惑いを読み取ったようで、女は顔を赤くした。それからゆっくりと深呼吸をする。
「あ、すみません。私、ジュリウス家のエルドナと言います」
そうして、突然名乗られた。ブライトが思わず開いた口を閉じるだけの理性を残したのは、ジュリウス家に聞き覚えがあったからだ。
「確か、お茶会で母と懇意にされている……」
「あ! ご存知でしたか」
突然、ぱっとエルドナの顔が明るくなる。童顔ではないはずだが、身長のせいか表情がころころ変わるせいか、どこか幼さが抜けていない印象を受ける。
「はい。母がいつもお世話になっております」
こういうときの受け答えは学んでいた。一礼をすると、エルドナに破顔される。
「お世話なんて、そんなぁ……。むしろ私こそ、よくお声を掛けていただいていて」
社交辞令の言葉に、全く貴族らしくないにやにや顔で返されて面食らう。これだと、ハリーたち相手に会話するより砕けている。
しかもその態度のままに、目の前で自分の手を合わせてぐいぐいと迫られた。
「だから、ベルガモット様のことは尊敬しているんです!」
ソプラノの声が大きく響き渡る。本人にも驚きの声量だったようで、エルドナは途端に顔を赤くして小さくなった。
その勢いに押されたわけではないだろうが、ブライトは反射的に、
「ありがとうございます」
と答えた。正直なところ、そう言ってくれる相手がいてほっとしたところもある。というのも、ブライトはいつもハレンに貴族らしいふるまいと態度を行儀作法の時間に説かれていた。そこには人前で泣いてはいけないというものがある。だから、母の態度と学んだことがちぐはぐで、心配になっていたのだ。
「あの、それでその……、ベルガモット様のことが気になって。できればお会いしたいのだけれど」
合わせた手を下ろしたエルドナはこねこねと指を動かし続けている。落ち着かないその動きと、ブライトと身長が大して変わらないのにもかかわらず上目遣いをする様子から、これがエルドナの言いたかったことなのだろうと気がついた。
父はハイエナと称したが、母の友人であれば話は別だろう。母も友人が心配してきてくれたとなれば、喜びそうだ。少しは気が紛れるかもしれない。
「えっと、少々お待ち下さい。母に聞いてみます」
とはいえ、今の母の耳に友人の言葉が入るかは分からない。ブライトはそそくさと戻ると、母に声を掛けた。
「お母さま。ご友人のエルドナ様が来られています、どうなさいますか?」
母からは答えが返ってこない。ずっと父の遺体に顔を押し当てて、泣き続けている。揺すってみたが、駄目だった。
ブライトは肩を竦め、エルドナの元へと戻る。
「すみません。母はずっと伏せっていて多分会っても……」
「そこをどうにか。せめて一声だけでも掛けてあげたいんです」
申し訳ない気持ちで断ったが、意外とエルドナは引き下がらない。
「お気遣い痛み入ります。けれど、母はエルドナ様の言葉に反応できる状態ではなさそうで」
「構いません。反応してほしいのではなく、私の声を届けて少しでも安心してほしいのです」
強いエルドナの声に、母は良い友人を持ったものだと感動する。ブライト相手に気後れしていた性格を思うと、エルドナが母のために無理をして声を上げていることがよく伝わってきたからだ。
「分かりました。それなら」
だから、ブライトはエルドナの入室を許可したのである。
「失礼します」
開けられた扉へと一歩進み出たエルドナは、少しほっとしてみえた。視線を彷徨わせて母の姿を見つけると、
「ベルガモット様!」
と声を張る。
「ベルガモット様。私です。エルドナです」
すぐに駆け寄って声を掛け続けるものの、やはり母からの答えはない。エルドナは母の隣に腰を下ろすと、そっと背中を撫でた。
「私には何の力もございませんが、ベルガモット様のお力になりたいのです。今は御辛いとは思いますが、どうか」
母は全く反応しない。友人でもダメなのだと、見ていたブライトは悲しくなった。
「会わせていただきありがとうございました」
母への声掛けを済ませぺこりと頭を下げるエルドナには、失意の表情はなかった。むしろ晴れ晴れとしてみえる。
「こちらこそ、お声掛けいただきありがとうございました」
同じくぺこりと頭を下げると、エルドナに恐縮される。
「いえいえ、私のわがままにつきあっていただき助かります。家族だけがお別れをする場に、私だけ入り込んでしまいましたし」
エルドナは母だけでなく父にも挨拶をしていた。そのことを言っているようだ。
「我儘なんて、とんでもないです。母のこと、気にかけていただき助かります」
本音で、そう告げた。急な父の死で混乱していたが、エルドナのような人がいると分かりほっとしたのも事実である。
「これから大変でしょうけれど、何かあったらお声かけ下さい。私では何の力にもならないかもしれませんが」
エルドナは再度ぺこりと礼をした。
同じように頭を下げ見送りながら、ブライトは呟く。
「『これから大変』かぁ……。そうなんだよね」
ブライトもこれからどうするか不安だったが、周囲の人間にもそのように映るらしい。それならば、父に恥じないよう、精一杯やるしかないだろう。




