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カルタータ  作者: 希矢
間章 『カタコトノ人生』
748/994

その748 『天才卜讃エラレテ』

 魔術書は、父と母へねだったこともあり暫くは継続して手に入った。

 けれど、長続きはしなかった。魔術を覚えてから次の魔術書を貸してもらうまでに空白な期間が存在するようになったのだ。そうした時間は苦手な裁縫や、調薬、行儀作法、貴族の名前を覚えることへと取って代わった。

 ブライトとしては大変不満である。食事の時間にいつの間にか苦手な食べ物を後回しにしてしまったかのような感覚だ。本当はもう少し好きなものをつまんでいたかったので、当然手を打とうと考えた。目標は、魔術書の継続的な確保だ。少しでも裁縫や行儀作法の時間を減らすのである。


 そしてブライトは、作戦決行のため母の部屋に出向いて相談に行ったのだ。

「魔術書は、もう手に入らないですか?」

「そうね。私達では難しくて」

 幸いなことに母はブライトの願いを聞き入れようとしてくれた。ただ、同時に困った顔をしている。

 その母の手にある布をみて、思わず聞いていた。

「あの、それは裁縫ですよね」

「そうよ。お父様に差し上げようと思って練習中なの」

 裁縫が苦手だと言っていたのは嘘でないのだろう。出来はブライトよりはマシという程度だ。そのうえ、周りには山のように失敗作が置かれているので、たくさん練習したのは間違いない。苦手なりに上手く作ろうとした努力の跡だ。

「生地は都の商人に融通してもらっているの。お父様には内緒よ」

 そう言ってウインクしてみせる母は、父のことが本当に好きなのだと意識させられる。

 それにしても、商人に貰えるものだとは知らなかった。

「魔術書はどうやって手に入れているんですか」

 商人にお願いすれば、魔術書も手に入るかもしれない。そう思っての質問だ。

「大抵は王立図書館かしら。そこで、家の名前を出すと幾つか貸していただけるの」

 魔術書に関しては商人は関係ないらしい。ちなみに、王立図書館には、一般的な魔術書だけが置かれているという。貸出表を見せてもらったが、そもそもあまり数はなく殆どは習得してしまっているものだった。

「思っていたより少ないんですね」

「危険な魔術は覚えられないように規制が掛かっているから、ここでは本当に一般的な魔術だけね」

 光で姿を隠したり、炎を出したりするのは、アイリオール家の祖先が苦労して手に入れた魔術書なのだという。一方で水で鳥の形を作ったり、明かりを灯したりといった魔術書は大体王立図書館だ。これらは難易度も低いので、ブライトには少し物足りない。

「あとはそうね、オークションで出回るときもあるけれどそれは本当に稀というし。さすがに危険なことはさせられないし。……あぁ、あれがあったわね」

 母が何か閃いたようだ。ブライトは次の言葉を待った。

「ねぇ、ブライト。協力してくれる?」

 そこでどういうわけか、母は逆にブライトに相談を持ちかける。

「はい」

 ブライトとしては断る理由などないので、即答した。

「論文を書いてみて欲しいの。魔術に関する論文を書いて提出すると、それに対して報酬をもらえることがあるのよ」

 所謂論文コンテストがあり、その賞品が魔術書なのだという。だが、ただ書くだけでは魔術書は手に入らない。魔術書を手に入れようと思ったら、なんと入賞しないといけないのである。

 ブライトは勿論論文に挑戦した。ただし、これは難しかった。魔術は使えても、それを言語化する機会が今までなかったからだ。

 コンテストがある度何回も提出した。文章の推敲は何度もハレンに頼んだ。

 はじめは中々上手く行かなかったが、頑張って書いた論文がようやく選ばれた。それで、表彰式に出ることになったのだ。




 生まれて初めての外だった。だから、その前日はドキドキしてしまって、中々寝付けなかった。

「気をつけていってらっしゃいませ」

 玄関の前でハリーの声を聞きながら、強く頷く。

 ブライトの前には、空に浮いた一枚の板がある。今回はこの飛行ボードに乗って、会場へ向かうらしい。

「さぁ、ブライト」

「はい、お父様」

 先に飛行ボードに乗った父に促されて、ブライトは再び頷く。

 けれど、足は床に引っ付いたままだ。

 正直なところ、滅茶苦茶怖いのである。今からこれに乗って高いところを移動するらしいが、一つ間違えれば落ちてしまいそうだ。せめて椅子のように座れたらよいのに、何故か立って乗るものらしい。おまけにこの板は本当にただのつるつるとした板なのだ。足など、簡単に踏み外せてしまえる。

 しかし、泣き言は言えなかった。それはちょっとみっともないだろうという意識があった。それで、恐る恐る足を上げる。板に乗ると、思いの外安定感があった。とはいえまだ怖いので、両足を乗せると同時に父の背中にしがみつく。

「しっかり掴まったな」

 確認されて、こくこくと頷く。ブライトのかわりにハリーが

「はい。大丈夫です」

 と答えた。

 ふいに身体がふわりと浮く感覚がした。思わず上げかけた悲鳴を呑み込むと、父の身体が少し前へと倒れるのが手の平越しに伝わった。

 わっと叫ぶ間もない。ぎゅっと父の背中に捕まると、熱風がブライトの顔に触れる。

「怖くないか」

 父に聞かれ、ブライトは何度も頷いた。そうしてから、ここにはハリーはおらず、父にブライトの姿は見えないのだと気がつく。

「大丈夫です」

「五分の辛抱だ」

 大丈夫といったはずが、そう返ってきた。ブライトがあまりに強く腰にしがみつくので、本当は怖がっていることがばれたのかもしれない。

 はじめての外は中庭にいるときと違い、思いのほか暑かった。じりじりと陽射しが肌を焼く。空気は乾燥していて砂っぽく、早くも飲み物が欲しくなった。

 父の背中にしがみつきながら、屋敷の間をすり抜けて進んでいく。そうすると、自分自身が風になったように感じた。ビュービューと吹き付ける音が、仲間ができたことを歓迎しているように聞こえたからだ。

「着いたぞ」

 終わりは、意外と早かった。風が止み、地面に近づいた感覚が伝わる。背中に回した手をどうにか引き離したところで、迎えにきたらしい男の姿が見えた。ブライトの前で手を差し出している。震えている足を辛うじて動かして、その手を掴んだ。飛行ボードから下ろされてふっと息をつく。早くも地面が恋しかったのである。

「ようこそ」

 簡素に挨拶されてブライトは頷いた。

「アイリオール家の方ですね。飛行ボードを預からせていただきます」

 男は、父にそう声を掛ける。

「あぁ、頼む」

 父もまた飛行ボードから降りると、男は一礼して飛行ボードを抱える。去っていく男を目で追おうとしたところで、

「行くぞ」

 と父に声を掛けられた。

「はい、お父様」

 挨拶をして父が向かおうとする方へと首を向ける。そうして見上げた先にあったのは、金色に輝く大きな建物だった。その建物の両脇を列を組んで並んでいる人々がいる。ブライトたちに向かって、恭しく礼をしている。

 ごくりと息を呑んだブライトは父が何事もないように進んでいくのを見て、慌ててついていく。父の後ろを歩いていると、

「横に並ぶように」

 と声を掛けられた。頷いて言われた通りにする。幸い道は、人に囲まれていることもあり大きな一本道になっている。迷いようもない。ただ、屋敷よりもずっと大勢いる人々の姿に圧倒されそうになる。気力を振り絞って進み、金色の建物の開かれた扉へと突き進んでいく。

 建物の中、長くふさふさとした絨毯のある道に変わったが、先は同じ一本道だった。淡々と歩き続ける。

 やがて、開けた場所に出た。部屋の中央が最も低く、取り囲むように椅子が並んでいる。それ以外は下り階段になっていた。椅子は人で殆ど埋まっている。

 ひしめき合う人の数に、ブライトは本日何度目かの息を呑む。

「ここが論文のコンテストの授賞式を行う会場だ。名前を呼ばれたら返事をして前に出るんだ」

 淡々と言われて、大人しく頷く。合わせて周囲の囁き声が耳に届いた。彼らは口々にブライトのことを噂しているようだ。

「あの子が、天才魔術師か」

「凄いわね。あの年で論文なんて」

「魔術を既に幾つも習得しているらしいぞ」

「おいおい、俺なんてやっとこないだ魔術を習得して準魔術師を卒業したっていうのに」

 どの声もブライトのことを讃えているのだと思うと、背筋がぴんと伸びた。そうしたなかでも緊張せずにすんだのは、あまりに父がいつも通りだったせいだろう。

「ブライト・アイリオール。前へ」

 名前を呼ばれて、ブライトは精一杯の返事をする。そうして前へと出て、賞状をその手に受けるのであった。



 ――――このときがきっと、ブライト・アイリオールの全盛期だった。変わってしまったのは、ここから数年後だ。


 あるときあっという間に、天と地が覆る出来事が起きたのだ。あまりにも急に変わるから、それはまるで、昼の神アグニスと夜の神パゴスが入れ替わったかのようだった。


 

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