その730 『ぬくもり(ライム編9)』
次に気がついたとき、いつの間にかおじさんがライムの近くにいた。おじさんはライムの手元を見ているようだ。レパードの説得のおかげか、ライムを怒る気配はなかった。
「あっ、ライムって言います。えっと」
ライムと一緒に飛行機関を見る人であれば、せめて名前は知っておくべきだ。そう思って話しかけた。
「ジルだ」
普通に名前が返ってきて、内心ほっとする。やはり怒っていないようだ。何か話したほうが良いのだろうかと、ライムは頭を悩ませる。聞きたいことならば、ああった。
「あの、これどう思いますか?」
「どうとは?」
「何をつけたら、光量をより正確に数値化できると思いますか」
ジルの目つきが変わった。その目を見て、何故かライムの頭にはお父さんの顔が浮かんだ。少しして理解する。あれは、何かを考えるときの目だ。お父さんがよくしていた。
「これは、計測器ではなくて集光器か?」
ライム独自の発明だ。だからこそ、言い当てられたことに驚きと手応えがあった。
「あっ、こっちはそうです。ゆくゆくはこっちも進化させて、飛行石にあてる光をもっと細かく指定できるようにします」
そう説明をしていたら、おかしなことに気がついた。これでは効率が悪いのだ。設置したガラスの形が良くない。
思いつくままに手を動かす。そうしていたら、また全てが置き去りになった。
気がついたら、おじさんの寝息が聞こえた。ライムは自分の手元にある集光器を見つめる。今までで一番良くできている。思いついただけはあった。
きっかけがあると、意外と進みやすいのだと気付かされる。ジルとの会話で凝り固まっていた何かが解れたのだ。
いつか、倒れたことがある。
そのとき、目を覚ますと飛行機関があって、その前にはジルもいた。
「倒れていたんだ。過労らしい。とにかく、そこにおいてあるものを食え」
そう言われて、ぽりぽりとご飯を食べる。頭がぼうっとしていたが、栄養をつけると少しずつはっきりしてきた。
飛行機関が、変わらずライムの前にある。そこに行かなくてはならないと意識が向いた。
「何がそんなにお前を機械に取り立てるんだ」
そのとき尋ねられた言葉は、ライムの意識にすっと入り、その場に漂った。憎しみ、愛情、楽しさ。いろいろなものがごちゃまぜになり、言葉にするのが難しかった。
「お前の父と母はこの機械に関係しているのか」
問われ、頷く。それは、答えられる質問だった。少しして、ジルからの視線を感じた。何か答えを求められている。それが分かってもはきはきと返す気力は湧かなかった。だから、ぽつりと呟く。
「この動力機関は二人が作ったもの」
呟きはジルの耳に届いたらしい。すぐに否定された。
「動力機関を今の人間が作る技術はないはずだ」
そんなことは、ライムは知らない。だから、淡々と事実を告げる。
「お父さんもお母さんも、動力機関を作ってから亡くなっちゃったんです」
これからライムと一緒に過ごしてくれるはずだった。そう思い返すと、悔しさに胸がまた苦しくなる。
「だからどうしても見たくて、こっそり飛行船に乗り込んじゃいました」
胸の苦しさを取り除きたくなって、良い子を繕うのを敢えてやめた。
「船長も良い人だったから、本当は普通にお願いすれば良かったんだけど、私、お願いし忘れちゃって」
普段ならそんなことは絶対に言わなかった。都合の悪いことは黙っておき、ずっと我慢してきた。
「おい」
だからか、さすがに呆れたような声を出される。
幻滅される。煩わしさを相手に抱かせる。どれも、ライムが避けてきたことだ。けれど、敢えてそこに踏み込んだとき、不思議なことに嫌な感情は浮かばなかった。むしろ心のバケツの水が一気に減った感覚がある。
「だから、こうして一緒にこの子といられて楽しいです」
そう口にしたのは、それだけ口が軽くなったからだ。楽しいのは本音だ。いろいろな思いは渦巻いているものの、それだけは確実に言える。
「それなら、こいつのために倒れるのは違うだろう」
ジルからは指摘がある。
「そんなふうに倒れたら、お前の両親もこいつも悲しむ。お前はいつもどおりにしていればいいんだ」
レヴァスと同じことを言われている気がした。それはそれとして、きょとんとなる。いつも通りと言われて、それがなにか分からなかったからだ。
今までは、良い子になることだと思っていた。だがジルが来てからライムは一度も良い子として振る舞ってはいない。恐らくジルの言ういつも通りとは、飛行機関に没頭することだろう。そのくせ倒れるなと言っている。倒れたら、飛行機関のためにならないと。
新しいモノの見方だった。飛行機関のことを、ライムはこれまで手放すとすぐに死ぬ赤ん坊の印象でいた。淡々とシッターをすることが全てだと考えていた。飛行機関がライムのことをどう思うかなど想像したこともなかった。
そもそも相手は機械だ。普通に考えたら、飛行機関に心はない。けれど、ライムにとっては手の掛かる赤ん坊なのである。ライムにとっての弟か妹である以上は、相手の思考も考えるべきだったのかもしれない。
そしてそれが、ジルにとってのいつも通りなのだろう。
「はい! いつも通り、可愛がります!」
相手の思考と言われて浮かんだのは、お母さんの作ったオムライスとお父さんの作ったスープの味だった。美味しくなくても、あたたかい忘れられない味だ。そういえば、あの時期と同じ季節だと気がつく。
「そうだ、そろそろこの子にクリスマスプレゼントあげないと。何にしよう? 思い切って、速度二倍になる機能開発できないかな」
思いを馳せていると、意外な言葉が掛かった。
「その前にお前の分があるだろう」
それはもう、ライムには決して与えられることのない言葉だ。そう、思っていた。
「メリークリスマス、ライム」
だから、飛んできた箱を思わず受け取ったときも、まだ信じられないでいる。
ライムにとってのクリスマスは、お父さんとお母さんとのご飯だけだ。プレゼントとは、学校の友達が次の日にライムに自慢するものでしかなかった。お父さんとお母さんはいつも研究に夢中だったから、プレゼントを買ってほしいと言えなかったのだ。
「開けてみろ」
するするとリボンを外す。はじめて感じたどきどきに胸が高鳴った。ゆっくりと箱を開けると、中からペンギンのぬいぐるみが出てくる。そのペンギンのぬいぐるみはサンタ帽を被っている。ペンギンが大事そうに抱えているのは、温度計だ。
かわいい。
声には出さなかったが、嬉しさに頬が紅潮していくのが分かった。
「機関部の作業は暑いからな」
照れくさいのか、そんな風にジルから付け加えられる。
「温度計! ありがとう、ジル!」
はじめてだった。誰かに贈り物をされるということが、ここまで嬉しいものだとは思わなかった。ついでのように、ジルが呟く。
「大切なものがあるなら、いつも元気にしていてくれ」
ジルは優しい。寂しさに耐えられなくなると飛行機関を弄ってしまうが、ジルといるときは心のバケツの水かさが減る。それにジルはライムが無茶をすると怒ってくれる。クリスマスのときにはプレゼントをくれる。だから安心して、飛行機関に触れていられたのだ。




