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カルタータ  作者: 希矢
第十章 『裏切リノ果テ』
727/995

その727 『お返し(ライム編6)』

 

 それでは何のためにライムは良い子を続けていたのだろう。ライムが過ごしてきた日々は何だというのだろう。ライムの人生は何だったと言うのだろう。


 ライムのなかの心のバケツには、いつも水が張っている。寂しさという名前の水は、どんどん増えていって溢れそうになることがある。

 今、バケツの中の水は溢れきった後、ぐつぐつと沸騰していた。

 バケツの形を歪ませるほどの熱とは、憎しみだ。そして、熱は力になる。今まで耐えきれなかった痛みは、ライムの感情を前に吹き飛んだ。立ち上がったライムは目の前の状況を冷静に分析する。

 すぐ近くで、二人が戦っていた。どちらかというと、助けに来たほうが押されている。このままだとやられてしまうことだろう。そうしたら、飛行石は燃え尽きて飛行船は墜落する。

 ライムは自分に刺さったナイフを引き抜いた。どくどくと血が溢れるが、手で抑えて立ち上がる。視界が明滅し意識が遠のきそうになったが、足に力を入れて耐える。

 そうして、その手にナイフを持った。

「えいっ!」

 このとき、ライムにできたのはがらんどうに見えた男の背にナイフを投げつけることだった。甘いことは分かっていた。けれど、飛行機関に駆けつけたところで、襲撃者が残っていたら直ぐに駄目にされてしまうことは理解していた。僅かでも助けに入った『龍族』に魔法を使わせる隙を用意すること、それがライムにできる唯一且つ最善のことなのだ。

 襲撃者は、さも当たり前のように背を向けたまま、ライムが投げたナイフを弾く。

「へぇ、返してくれるんダ?」

 気分を害したように不機嫌な声を出しながら、足で落ちたナイフを蹴り上げてみせる。その勢いで飛び上がったナイフが、襲撃者の左手に収まる。その時間、僅か数秒。まるで曲芸でもみているかのようだ。

「逃げろ!」

 そこに警告が入る。

 襲撃者から逃げられなどしない。ライムはそれを痛感していた。ぐつぐつと煮立つ力は一見何でもできるようにみえて、バケツという名の総量は変わることはない。ライムの視界はちかちかとして戻らないどころか、足に力が抜けて崩れ落ちてしまったのである。このまま動こうものなら倒れてしまうことは分かっていた。正直意識を保つのもやっとの体だ。

 襲撃者がライムに向かってナイフを投擲してくる。それだけは、不思議とわかった。

 目の前に自分の命を狩るナイフが飛んでくる。避けられるほどの猶予はなく、そのくせ何故かやたらゆっくりと飛んでくる。

 助けにきてくれた『龍族』の魔法は間に合わないのかもしれない。そうなると、ライムは助からない。そうしたら、そこまでだ。飛行機関はライムの助けで結局どこまで生きられるのか、分からないままだ。

 ただし、できることはした。それは何もしないで死ぬよりはずっと、良いことだ。そう感じられる。

 ライムの心に浮かんだのはお父さんとお母さんの顔だ。会えることを予感して目を閉じる。

「あ、れ?」

 いつまで経っても訪れない死の瞬間。思わず出てしまった独り言は、確かに今この場に漂って消えた。ライムは恐る恐る周りを見回す。そうして気が付いた。ナイフが後方に飛んで、転がっていた。

「無事、だな?」

 ライムを助けた『龍族』がそう声を掛ける。黒髪の男だった。片目は眼帯をしていて、過激な戦いをしてきた痕が見受けられる。ライムが無事なのは、黒髪の男の魔法が間に合ったからだろう。

 頷きかけたそのとき、黒髪の男がライムの視界から消えた。

「狩りは、楽しいナァ?」

 はっとすると、いつの間にか起き上がった襲撃者が、ゆらゆらと身体を揺すっていた。黒髪の男がその襲撃者から少し離れたところで柱を背にして倒れている。襲撃者の魔法で弾き飛ばされたとしか思えなかった。

 僅かに顔を上げたのが見えたので、黒髪の男がまだ生きていることを知る。けれど、まだ意識がはっきりしないらしい。すぐに立ち上がることまではできない様子だ。そして、襲撃者もそれが分かっているように男へと駆け寄っていく。ゆっくりした足取りだが、確実に狩ろうとする意志が見えた。本人が言うように襲撃者にとっては、狩りなのだろう。

 助けに行きたいが、下手なことはできない。ライムのことは視界の外のようにみえるが、先程から後ろに目がついているかのような動きをされている。恐らく次襲撃者の目に留まれば今度こそライムの命はない。

「お前は、何故狩ろうとする? 虐殺が楽しいからか?」

 黒髪の男の問いかけが聞こえ、ライムはそろそろと這いずる。ばれていようが危険と思われない行動ならば、ライムに攻撃はしないだろうと思い込む。ライムに魔法を使えば、黒髪の男の魔法が襲撃者を襲うはずだからだ。あの襲撃者は狂っているが、戦い方を知っている。だからこそ、しぶといのだろう。

「なんだァ、もう終わりカ? もっともっと、楽しませてくれよ?」

 楽しそうな声だなと、冷ややかに感じ取る。再びナイフを拾ったが、汗が伝って床に溢れた。嫌な汗だ。せめて止血を優先すべきだったかもしれないが、状況はもうライムを待ってくれない。

「あぁ、残念だナァ」

 呟きとともに、世界が白く照らされた。電気が走るのを感じて、黒髪の男の魔法だと気付かされる。止めの一撃を放ったのだろう。男は、痙攣して倒れたようだった。

 そして、視界は真っ暗になる。天井の明かりが全て落ちたのだ。暫くして、うっすらと明かりがついた。非常電源に切り替わったようだ。

 これで終わったのだと思った途端に、意識がはっきりしてきた。飛行機関に駆け寄ろうと、ライムの意識が向く。

「嘘だろ……」

 そこに、黒髪の男の驚愕の声が届いた。

「我慢比べといこうぜぃ?」

 すぐに止めを刺したはずの襲撃者がまだ生きていると気がつく。恐らくは、黒髪の男に魔法を使った何かしらの我慢比べを仕掛けたのだ。それが何かはライムには分からないが、早くしないと黒髪の男がやられることは理解できた。

 立ち上がろうとするが、壁の力を借りないと無理だった。しがみつくようにして、どうにか立ち上がったときには身体中に熱を感じていた。

 うっすらした明かりの中で、黒髪の男の足を掴む襲撃者の背中が見えた。苦悶の表情を浮かべる黒髪の男は、周囲の熱さから判断するに熱に耐えている。あと少しで火だるまにされることは、今までの様子から分かっていた。

 だから、ライムの足は動き出す。襲撃者の男の背中がすぐ近くにあった。がらんどうのそれは、今度こそ隙だらけに見える。躊躇いはなかった。無我夢中で、その背にナイフを突き立てた。

「今度こそ、お返しですよ」

 飛行機関を血まみれにしてくれたお返しだ。晴れ晴れとした飛行船のはじめての飛行の日を、こんな最悪な結果にしてくれたツケは返して欲しかった。

 手に深々と入り込む肉の感覚に、ライムはやはり良い子でいる必要はないなと感じ取る。

「なんだァ、終わりか」

 男は何を考えたのだろう。手で自分の体に触れた。

 ライムの目に赤い光が映った。男の体から、炎が走っていく。

「離れろ!」

 黒髪の男に突き飛ばされた。ナイフから手の離れたライムは、男に押し倒される形で、柱に背をぶつける。衝撃に息が詰まった。

 そのとき、目の前で立ち昇った炎の明かりが、ライムの目に届く。それはまるで、命を焦がす炎に見えた。男の命の輝きが、今このときだけは光っている。あんな襲撃者にも当然だが命はあったのだと、意識する。

「大丈夫、か?」

 声を掛けられて、ライムは黒髪の男へと視線をやる。

 男の紫の瞳と、目が合った。

「私は、無事です」

 別に良い子を続けようと思ったわけではない。ただ自然と口に出た。

「ありがとうございます」

 ライムの礼に目の前の男は首を横に振る。

「俺も、おかげで助かった」

 立ち上がった男に手を差し出され、ライムはその手をとる。ふらふらとしていたが、どうにか立てた。

「はい、あの……」

 そうして、目の前の男の名前を知らないことに気がつく。

「レパードだ」

 名乗られて、名乗り返した。

「私は、ライムです。よろしくお願いします」

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