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カルタータ  作者: 希矢
第十章 『裏切リノ果テ』
725/994

その725 『恐ろしい日(ライム編4)』

 恐ろしい一日だった。

 突然大きな振動と衝撃がやってきた。あれがライムたちにとってのはじまりの合図だった。動揺が船員たちの間で走ったが、そのときはまだ何が起きたのか分かっていなかった。

「航海室、聞こえるか! 何が起きている?」

 船員たちが異常に気が付き、一人が伝声管へと声を張るが、応答はない。伝声管が襲撃者にやられていたのだが、誰もまさかそうとは思わない。

「お嬢ちゃんは、こっちへ。外は危険かもしれないから、待機していて」

「はい!」

 何が起きているかは、ライムにも把握しきれなかった。ただ、新空式にあるまじき雰囲気である。不安になったが、顔には出さなかった。ここで怖がって動揺しているのは、恐らく良い子ではないと考えていた。

「暫くここで待っていてね」

「大丈夫です。はい、待てます」

 おじさんの言葉に、決まり文句で答える。待つだけなら得意だった。


 暫くの間は事態の把握さえ上手く行かず、戸惑っているだけだった。変化があったのはそれから数十分は後のことだ。

「どうにか航海室と連絡は取れないのか。それに、直接向かわせた奴はいつになったら帰ってくるんだ」

 と何度目かになる質問を一人が投げかけたそのとき、

「助けてくれぇ!」

 遠くで助けを求める声が聞こえたのだ。階段を下りる音に、悲鳴まで聞こえてくる。船員たちが顔を見合わせている。

「頼む、助けてくれ! 助け」

 声がそこで、不自然に途切れた。船員たちはいよいよ只事ではないと立ち上がる。

「何かあったのかもしれない。ちょっと様子を見てこよう」

 おじさんがそう告げてライムから離れていく。思わず手を伸ばしかけ、下ろした。胸の内に何か不気味な予感があった。

「大丈夫、怖がらなくていい」

 気づいたおじさんに言われて、ライムは心のなかで首を横に振る。煩わせてはいかないと、自制した。

「大丈夫です。はい、待てます」

 そして、いつも通りの言葉で見送った。


 きっと、おじさんは機関室の入口の扉を開けた。ライムは奥にいたから、船員たちに隠れて様子が見えない。けれど、音は聞いた。扉を開ける音と、悪魔のような声だ。


「みぃーつけた」


 そのときの男の嫌らしい笑い声は、ずっと頭に焼き付いている。

 何事かと訝しむ間もなく、熱を感じた。耐え難い悲鳴が、機関室に木霊する。

 慌てて駆け寄ろうとした船員が、崩れるように倒れた。それで、ライムにも様子が見えた。おじさんが火だるまになって、悲鳴を上げながら地面を転がっていたのだ。火の中から必死の形相が覗いている。伸ばされた手が焼け落ちていく。

 おじさんの背後で、人影がまるで闇夜から生えるように、扉の先から出てくる。一人、二人と生えたそこから、ナイフが飛び出た。おじさんを助けようと近寄った他の船員が、崩れ落ちる。ナイフにはたくさんの赤い血が滴っている。血の臭いと焼け焦げる臭いが、部屋を染めていく。

 突然見舞われた大混乱のなか、ライムは己のバクバクとなる心臓を抑えるので精一杯になった。

 何よりも、焼けるおじさんの姿がまだ脳裏から離れない。床にこぼれた灰が燻っている。その死の臭いを前に震える以外のことができない。歯の根が合わずに、カタカタと鳴っていた。

「君のお父さんとお母さんは、火傷で死んだんだ」

 おじさんの言葉が頭に浮かぶ。おじさんは灰になり、厳密にはお父さんとお母さんの火傷とは違うかもしれない。

 けれど、目の前の出来事に、ライムのお父さんとお母さんのことを切り離して考えることができなくなった。


 ライムは死んだあとのお父さんとお母さんを見ていない。

 見ていないからこそ、どこかでまだ生きていると錯覚していた。心が受け入れられなかった。お悔みの言葉を受けても海にお骨を流しても、実感などなかった。それがただの現実逃避に過ぎないと、目の前の焼け焦げたおじさんに頬を殴られた衝撃がある。


 ――――もう、お父さんとお母さんは帰ってこないのだ。


 すとんと、ライムの膝が崩れ落ちる。消失感に胸が苦しい。

 目の前で船員と襲撃者との死にもの狂いの戦いが繰り広げられている。一人の船員が襲撃者のうちの一人を扉の外へと追いやった。

 けれど、火を操る襲撃者は残っていて、船員を次から次へと燃やしていく。抵抗する時間さえ与えられない。一方的な蹂躙だ。まるで、ライムの心の内を体現するかのような悪夢だった。


「繋がった!」

 不意に伝声管に張り付いていた船員が、声を上げる。

「こちら、機関室。現在、『龍族』複数人と交戦中! 至急応援を頼む!」

 濁った音を通して、返答がやってきた。

「こちらライゼル。承知した。何とか持ちこたえてくれ。あと無茶を承知で言うが、船を飛ばす。準備を頼んだ」

「そんな、滅茶苦茶な」

 伝声管の音が途切れる。絶望するように崩れ落ちる船員の姿が、ライムの目に映った。その奥では、襲撃者である『龍族』の男が虐殺の限りを尽くしている。

 ライムのお父さんとお母さんが遺した飛行機関のある部屋が、血の臭いに染まっていく。

「飛ばさなきゃ」

 船を飛ばすという指示が、ライムに残った僅かな気力を奮い立たせる。今ここで飛行機関を動かさないと、お父さんとお母さんが遺した飛行機関は一生動かないのだ。血に染まっただけで終わってしまう。そうしたら、お父さんとお母さんが悲しむだろう。その思いを無視しては、ライムは良い子ではない。怖くとも、せめてライムの手で、空に飛ばすのだ。

 動き出したライムに驚いた顔をして、止めに来た船員がいる。

「危ないから、君だけでも隠れているんだ」

 掴まれた腕を振り払って、ライムは宣言した。

「いいえ。私があの子を動かします」

 ライムは飛行機関へと駆け込む。遅れて船員たちも動き出す。

「オイオイ。邪魔すんナヨ?」

 虐殺していた男に、他の『龍族』からの襲撃がある。助けではなく、獲物の取り合いのようだ。助けが来たと勘違いして駆け寄った船員が、蔦に絡め取られて崩れ落ちた。

 その間に、残りの船員たちが空を飛ばす準備を始める。この頃にはもう殆どが襲撃者を相手に勝てないと諦めていた。というのも、炎を扱う襲撃者以外にも廊下には多くの『龍族』がやってきていた。彼らと炎を扱う『龍族』の間に仲間意識がないのが救いだが、それで片がつくわけでもない。隙をついて助けを呼ぼうと抜け出した何人かの船員には、『龍族』たちによる魔法が襲いかかった。炎に岩に蔦。まるで天変地異を固めて投げつけたような悪夢の光景だ。あれで生き延びられるはずがない。希望を絶たれた船員たちは、だからライゼルという男からの後者の命令だけでも実行しようとしたのだ。

「ライムちゃん。君はこれを」

「分かりました」

 そして、船員たちはライムにも指示を飛ばした。そうしないともう回らない人数しか残っていなかったからだ。

 作業をひたすら続けていると、あと少しというところでまたあの『龍族』が戻ってきた。


「お待タセ」


 船員たちがぎょっとした顔を浮かべる。一人が

「今のうちに、飛行機関を!」

 と叫びながら『龍族』に飛び込んでいった。時間稼ぎのつもりだったのだろう。

 けれど、あっという間にその人物は火だるまになった。

 そして、襲撃者は何事なかったかのように、ライムたちのいる飛行機関の元へと向かってくる。

 襲撃者が手で払うような仕草をしただけで、ライムのすぐ後ろにいた船員が崩れ落ちた。その額にナイフが突き刺さっているのを見て、その場は騒然となる。

 一斉に逃げ惑う彼らを、襲撃者はさぞ楽しそうに魔法で焼いていく。狂ったように嗤う声は、まさに狂気の塊だった。

 ライムはすぐに飛行機関から離れる。襲撃者の狙いは人だ。飛行機関から離れれば、飛行機関はやられない。それを状況から掴んでいた。

「ほらほら、逃げるナヨ?」

 けれど、誰もがライムのように動くとは限らない。一人の船員が燃えながら飛行機関の前で逃げ惑っている。鬱陶しがられたのか、襲撃者がそこに更に炎を投げつけた。炎は、船員だけでなく、近くにあった飛行石にも飛び火する。

 炎の光も、飛行石にとっては光と変わらない。

 飛行石の力が引き出されるのが分かった。飛行機関の装置に設置されていたせいで、飛行石を伝って飛行船に力が伝達されていく。あっと思ったときには、浮遊感がライムを襲った。浮いてしまったのだ。よりにもよって、初飛行の引き金になったのは、狂気の襲撃者の炎だったわけである。

 飛行機関で一番難しいのが光節鏡による光の当て方の調整だ。計測器を元に計算結果をはじき出し、角度を調整していくのだ。空は飛べても安定した飛行をさせるには、そういった細かい作業が必要になるわけである。

 当然てきとうにぶつかった魔法の光では、飛行石は力をどんどん消費していく。ライムの頭に浮かんだ最悪のシナリオは2つだ。最大高度まで上がって障壁にぶつかり木っ端微塵になるか、先に飛行石の力を使い潰し急落下し粉々になるかである。

 どちらのシナリオも回避するには、正しい運用に戻すしかない。しかし、そこには襲撃者がいて、飛行機関に近づくものを焼き払っていく。ライムと同じ危機感を持った船員の一人が、

「せめて飛行機関だけは調整させてくれ! 全員墜落死するぞ!」

 と襲撃者を説得しようとしたのだが、問答無用で炭にされた。

 飛行機関には近寄れない。近付く船員が多いことを学習してか、襲撃者の脇を縫って駆け込もうとしても、すぐに消し炭にされる。

 そして、身を隠そうとしても、襲撃者に見つかり次第、確実に殺されていく。

 先程まで親切にしてくれた人たちの死体が、無惨に投げ出されたり刃物を突き立てられたりしている。そうした死体の一部は、襲撃者の気まぐれで踏み潰された。

 ライムが身を隠したときには、機関室は地獄絵図と化していた。何より血臭が酷くて気持ち悪くなるほどの死体が、心を乱す。

 それでも、ライムはまだ良い子を続けた。はきはきとし続けようとした。

 そこに、声が振りかかる。

「みぃーつけた」

 てっきり、ライムのことだと思った。

「ひっ」

 という息を飲む声がした。すぐ近くまで来ていた襲撃者の頭がその声のほうへと向かう。そうして、その手から炎の魔法を飛ばしていく。

 焦がされていく船員を見ている余裕はなかった。次の瞬間、ライムは肩に痛みを感じてうめき声を漏らす。いつの間にか、自分の右肩にナイフが突き刺さっていた。

 襲撃者の男へと視線をやると、その男は背を向けたまま右手首をくるくると回している。襲撃者が見つけたのは、燃やした船員とライムの二人だったのだろう。片方は魔法で、もう片方は後ろ向きのままナイフを飛ばしてみせたのだ。

 

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