その720 『紡げない思い出』
夜が明けないうちに、レパードたちが戻ってきた。知らない間に寝ていたイユは、家の扉が開く音で目を覚ました。刹那は変わらず布団の上で正座していた。考え事を続けていたらしい。
「一応、寝たような形跡は作っておいたら?」
正座の跡しか残っていないのでは、アグルの母は驚くかもしれない。刹那の正体をアグルの母に打ち明けたら、きっと余計に心配させるだけだろう。
刹那が頷き布団を動かすのを見送ってから、アグルの部屋から出る。ちょうど、アグルの母が起こしにやってきたところで、廊下で鉢合わせをする。
「音が聞こえたから」
言い訳のようになってしまったが、アグルの母は気にしていない様子だった。
「そう。起こしてしまいましたね。ちょうど戻られましたよ」
レパードはソファで寛いでいた。リュイスはお茶を出してもらったらしく、口にしているところだ。アグルは先ほどまで眠っていたようだ。まだ顔がぼうっとしている。アグルの父とレパードは少し深刻そうな顔をしていた。レパードが背負っていた遺体は今はなくなっている。
「どうだったの」
イユはすぐに質問をする。
「既に今回のことは村里の人間全員に伝わっている」
誰かに殺されたと分かる死体だ。念のため一人では出歩かないようにと注意もしているらしい。
「最初に村長に話してな。それからリュイスたちと手分けして一通り村里を回って確認してきた。やはりあの男は村里の人間ではないそうだ」
村里に欠けた人間は一人もいなかった。消去法で島の外の人間となる。マレイユの手紙からいって、『白亜の仮面』で間違いないだろう。マレイユはあの男に返り討ちにされたのだ。そして、あの男も瀕死の怪我を負い、最期には力尽きた。
「遺体はそのままにしてはおけないので、明日の朝、空葬をしていただけることになりました」
リュイスの補足に、イユは複雑な心境になった。マレイユを殺した男のことを弔いたいとは微塵も思っていないが、いざ目の前からいなくなってしまうと怒りの矛先をどこに向けたらよいか分からなかったのだ。最も、死体蹴りをしたいかと問われるとそれはそれで悩ましい。今の感情を胸に遺体を見つめる自分自身を想像して、これで良かったのだと思うことにした。
「朝、村里の男たち全員で事件の調査のため間欠泉周辺を捜索をすることにしています。そこで何か見つかるやもしれません」
アグルの父もそう説明をする。
イユたちでは暗がりだったこともあり何か見落としがあったかもしれない。村里の人間にとっては大きな事件なのだから、念のため調査に赴くというのは納得ができることだった。
同時にそれで気がついたことがある。
マレイユと『白亜の仮面』が乗ってきた飛行船だ。マレイユと男がいないのだから、まだどこかに残っているかもしれない。そうなると、捜索の間に見つかる可能性がある。その場合、何が考えられるだろう。
イユが思いついたのは、『白亜の仮面』がまだ潜伏している場合だった。
「危なくないの?」
もし何も知らない村里の人間がそれを見つけたら、殺されかねない。
「刀傷があったからですね。確かに犯人と遭遇する可能性があります。だから複数人でいくことになっています」
アグルの父から答えがある。マレイユのことを告げていないので、当然の発想だった。とはいえ、複数人で行けばどうにかなる相手とは思えない。
「捜索を開始するタイミングで、僕らにも知らせてもらえるようにお願いしました。僕らは大所帯なので、何か出来ることがあるかもしれませんから」
イユの心配は読んでいたらしく、リュイスからそう補足が入る。
「それがいいわね」
当然村里にタラサの位置を教えることになるが、今のところイユたちが『異能者』であることがバレている節はない。であれば、手伝うのはありだ。そう判断し、イユも頷いた。
「俺たちの話はそんなところだ。そっちはどうだ?」
レパードに聞かれ、やはり役割分担のつもりだったらしいと解釈する。
イユたちが手紙のことを話すと、レパードが驚いた顔をした。
「まさか、マレイヤが出てくるとは。マレイユはそれでうちに来たのか」
その様子からするに、マレイヤとマレイユに関わりがあることは知らなかったようだ。
「マレイユは、マドンナ経由でセーレにきたんだ。あのときはとにかく人手不足だったから、信用できるかどうかだけ気をつけて後は何も聞かなかった」
悔いるようにレパードは続ける。
「俺は船長の立場にありながら、仲間のことを何も知らなかったんだな」
イユもレパードと同じようなものだ。マレイユの一面しか見えていない。マレイユがどういう思いでセーレに入って、それまでどういう生活をしてきたかなど、全く知らないでいる。それで今までは良かったのだ。無事な仲間はこれからそういう話を聞く機会もあっただろう。もっと打ち解けて気軽に話せるようになれば、そうした機会はいつかは巡ってくるはずだった。
それが、なくなった。死んでしまったら、その先の絆も思い出も何も紡げない。死者になるということは、生きているはずの時間の流れから取り残されて、あるはずの機会も全て無に帰すということだ。そう自覚してしまって、ただただ虚しくなった。
皆も似たような感覚はあったのかもしれない。誰も言葉を紡ごうとしなかった。
しんと静まり返ったなか、耐えかねたのかアグルの父がぽつりと告げた。
「アグル。それに君たちも。歩きっぱなしだったはずだ。朝までは休んでいきなさい」
けれど、イユはマレイユのことが思い浮かんで仕方がない。仲間が空葬の準備をしているのだ。すぐに戻りたかった。
「仲間を待たせているので、急いで帰ります」
アグルもまた言い切る。
「しかし、何もこんな夜に」
言いたいことはわかる。夜の山道が危険なことも、ましてや死者が出た場所へ息子とその仲間を歩かせたくないことも、十分にだ。
「リュイスとレパードがいけるなら、早く戻りたい」
「僕は大丈夫です。それに、こう見えても僕らは旅慣れしています」
刹那とリュイスの言葉にレパードは頭を掻く仕草をした。
「こうなると言うことを聞いてくれはしないので、ここで失礼します。さすがにこの人数で厄介になるのも難しいとは思いますし」
アグルの両親はレパードが子どもたちを宥めるものと思っていたようだ。アテが外れて、唖然とした顔をする。
「私たちのことは気にしないでくれなくて構わない。村長の家なら、集会所も兼ねているから貸してもらえるだろうし」
レパードは更に帰るべき理由を足す。
「そういうわけには。それに、仲間に今回のことを伝えないといけません」
アグルの両親は、仲間に刀傷のあった遺体を見せたという話はしていない。そのために、今回村里の人間に伝えて回ったことを飛行船にいる仲間にもこれから伝えなくてはならないと解釈したようだ。渋々という顔を向けた。
「くれぐれも気を付けてくれ。万が一があるかもしれない」
「はい。子どもたちのことは守りますので」
イユはレパードの敬語を聞いていて肌が痒くなった。レパードに守るなどと宣言されると、小恥ずかしい。
とはいえ、これで話は纏まったはずだ。
「そうと決まれば、帰りましょう」
イユの言葉にアグルが頷くのを見て、アグルの母が複雑な顔を向けるのが分かった。
「せめて、村里の入り口までは送ろう」
両親の言葉にも、アグルは頷くのであった。




