その717 『手紙を探して』
アグルの家まで行くのは、先程までと同じメンバーになった。イユたちだけなら比較的早く山に下りられる。それを踏まえてのことだ。
クロヒゲたちはそれまでにマレイユを海に還す準備を進めることになった。近くで倒れていたもう一人についてどうするかの話になると、皆が複雑な表情を浮かべた。
『白亜の仮面』であるのであれば、この男こそがマレイユを殺した当人かもしれない。そう考えてしまうと、イユもタラサで同じように弔うという気は起きなかった。
「けど、こいつの遺体だけ運ぶのもな」
レパードは、経緯はともあれ死者なのだから弔いはしてもよいのではないかと言っている。レパードだけでなくアグルもそうだった。イユにはそれが理解できない。
「ただ、本当に遭難しただけの人だった場合、村里の人の可能性もあります。村里へ弔うのが良いとは思います」
仮面を被らされた村里の人間という可能性もなくはない。だから最終的には、そう述べたリュイスの意見が採用された。顔が確認出来なくとも、男が村里の人間の場合、狭い村里ならば誰なのか分かるだろうとなったのだ。
故に、イユたちは見知らぬ男の遺体を抱えて山を下りている。行きと同じ道筋だが、暗いからか行きとは全く違う道のように感じられた。
アグルは山道を迷うことなく下りていく。見失わないようにとつけた魔法石が腰元で揺れていた。その光を追いかけてイユたちも進んでいく。
やがて、森を抜けて川沿いを進むと明かりがいらなくなった。村里は寝静まっているようで暗かったが、かわりに川の周りが明るく光っていたのだ。
「蛍です」
アグルがぽつんと呟く。
蛍の光はまるで、桜花園の水面に浮かぶ明かりのようだった。あのときの明かりはマドンナを悼むときに流していたはずだ。そう思い返すと、イユの目には蛍の光がマレイユを悼むものに見えて仕方がなかった。
まだ、マレイユは海に還ってはいない。だから、これはイユの勝手な夢想だ。
ただ、その光を見て、山で息絶えたマレイユの魂が導かれてほしいと願った。
「ただいま、お母さん。お父さん」
日はとうに切り替わったので、昨日ぶりの挨拶になる。アグルが家の扉を叩くと、まもなくして両親が出てきた。夜分遅いために起こしてしまったようだ。寝着に、上着を羽織っていた。
「どうしたんだ、こんな時間に」
アグルの父の声が途切れる。二人の目は、レパードの手のなかの遺体に釘付けになっている。
「その方は一体」
「夜分にすみません。間欠泉で見つけました。仮面の下は焼け爛れていて、誰だったのかまでは分かりません。村里の者ではないでしょうか」
それを聞いた二人が顔を見合わせる。
「何分小さな村里です。誰かが行方不明になればすぐに伝わるものなのですが、そういった話は聞いたことがありません」
やはり村里の人間ではないのだろうと、話を聞いていてそう思う。
「ただ、確認はしてみます。見た限りではすぐに知らせたほうが良さそうですね」
魔物はでない地域で出る死人。事故の怪我にしては男の遺体はあまりに血生臭かった。殺人かもしれないとなると、小さな村里では一大事だろう。賢明な判断である。
「一つ確認したいんだけど、家に来たのはこの人?」
アグルが口を挾む。
「違うと思うわ。仮面で別人に見えるとかを抜きにしても、もっと体つきがほっそりしていたものですから」
アグルの母は遺体を前に顔を蒼くしていたが、そう断言する。
「私はすぐに村長に伝えてくる。すみませんが、ご同行いただいても?」
アグルの父が前半はアグルの母に、後半はレパードへと声を掛ける。アグルの母は頷き、レパードはちらりとイユたちに視線をやった。
「はい。子どもたちはここで待たせてもよいですか?」
「勿論です」
勝手に話を進めるなと言いたくなったが、思い留まる。遺体を村里の住民に弔ってもらうのも目的ではあったが、イユにはアグルの両親に確認したいことがあった。だからこれは、役割分担だ。
「僕はついていきます。人がいるかもしれません」
リュイスはそこで、手を挙げる。アグルの父が反対するような顔をしたが、レパードは許可した。リュイスが進んで言い出すときは、なるべく従ったほうがよいという今までの経験からだろう。
すぐに走り出したアグルの父とレパード、そしてリュイスを見送ってから、刹那が口を開く。
「手土産、渡す」
刹那が差し出したのは、シェパングで買い込んであった桜のお茶だ。レパードがちゃんと挨拶をするなら手土産がいると言い出して、とりあえず買ってあったものを持ってきたのだった。そんな気分ではなかったイユとしては、何故そこで急に律儀になるのかと言いたくなったものだ。
「まぁ、ありがとうございます」
アグルの母が受け取るのを見て、今度はアグルが口を開く。
「母さんに確認したいんだけど、家に来た人はマレイユって名乗らなかった?」
ほぼ断定するような聞き方だった。レパードの言っていたことが正しいと確信している様子だ。仮面の男が家に来ていない以上、考えられるのはマレイユしかないということだろう。
「それは」
「マレイユは仲間なんだ」
それを聞いた途端、アグルの母は明らかにほっとした顔をした。
「まぁ、そうだったの。あの人が」
名前を知っていたのだ。そのことに衝撃を覚える。やがてその衝撃がじわじわとイユの心に疑惑を生んでいった。
確かにイユたちは名前まで聞かなかったが、イユたちが探していたのだから伝えるべき情報のはずだろう。それを敢えて黙っていたというのだ。息子を前にアグルの母は一体何を隠そうとしていたのだろう。
「それで聞きたいんだけど、本当に庭を見ただけ? 他に何か残していかなかった?」
アグルもまた少し顔を険しくして尋ねている。黙っていたことを責めず質問を続けたのは、兎にも角にも情報が欲しかったからと見受けられた。
「そう、ね。仲間、なんですものね。言ってもよいのかしら」
一方でアグルの母は戸惑う顔を見せた。イユの疑惑は確信へ変わる。
「ひょっとして、手紙?」
アグルの確認に、ようやくアグルの母の顔から戸惑いが消える。
「実はね。危険だから落ち着くまでは絶対に誰にも見せないでほしいと頼まれたものがあったの。それできっと待っていたら、狩人という人が受け取りに来るから渡してほしいって。何か事情があるのは分かったけれど、誠実な人だから受けることにしたのよ」
イユたちの訝しむ顔を確認したのか、補足される。
「危険なことだと分かったから巻き込みたくなかったのよ」
そういうものなのだろうか。イユにはよく分からない。ただ、アグルの両親がマレイユのことを良くしてくれたのは間違いなさそうだ。
「とりあえず中へ入りましょうか」
アグルの母は家の中へイユたちを案内する。招かれるままに入ると、木の匂いがした。入口からはまず、鼠色の布のソファや淡い色の木のテーブルがあるのが目に入る。居間になっているようだ。ほんのりと暖色に染まっているのは、照明のせいだろう。薄茶色の絨毯は踏み心地が良かった。
「こっちよ。部屋を一室お貸ししたの」
案内されるままに廊下を進むと一室に辿り着いた。扉の前に文字が書かれている。
『アグルの部屋』。
「えっと、部屋って……」
アグルが戸惑う表情を浮かべていたせいか、アグルの母が補足した。
「手紙を書きたいと言われたから、このお部屋をお貸ししたの」
そうして、アグルの母は部屋への扉を開ける。
青色を基調にした少年らしい部屋だった。アグルが幼い頃使っていたと思われる青色のベッドに机がある。空色の椅子に青い柄の入った本棚もあった。壁には、時計が飾られている。硝子製のお洒落な時計だ。チクタクと部屋の主が不在な今でも音を刻んでいた。
本棚の上には、模型が置いてあった。汽車に飛行船。子供が好きそうな乗り物だ。観葉植物もあった。水はアグルの母が部屋の主に代わって替えているのだろう。
また、絵も飾られていた。見た感じでは、何を描いたのか分からない。頑張って想像力を働かせても人なのか動物なのかさえ不明だった。ただそれがアグルが子供のころ描いたものだということは察せられる。
改めて意識する。これがアグルの部屋なのだ。
「そのまま残ってる」
アグルが驚いたように、自分の部屋を見つめている。
「当たり前よ。いつでも戻ってこられるように用意していたわ」
だが、一つだけ以前とは違うものがあったようだ。
アグルは机の引き出しを開ける。そこには、手紙が入っていた。




