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カルタータ  作者: 希矢
第十章 『裏切リノ果テ』
716/997

その716 『希望の言葉』

 疲れ切った身体で、アグルの家まで戻る気力はなかった。

 どのみち、マレイユはタラサで弔いたかった。だから、タラサに向かうことにした。

 夜道は、ひたすらに暗かった。誰も何も口を開こうとはしない。ただ、心のなかでそれぞれが思うことを考えるだけである。

 どうしてこうなってしまうのかと、イユ自身何度も自分に問い返した。ジルで最後にしたかった。マレイユこそは助けると意気込んでいたはずなのに、現実はこれである。

 最悪だと呟いた。抱えるマレイユの冷たい身体が、重いが故にやるせない。

「一つ、分かったことがある」

 レパードが努めて冷静な声で告げた。

「アグルの家を訪れたのは、マレイユだろう」

 その答えに、誰も否定もしなければ肯定もしなかった。皆が考えることを放棄していた。

 暫く沈黙が続く。ぬかるんだ地面を歩き続けていると、ようやく思考が戻ってきた。


 アグルの家を尋ねたのが、マレイユ。


 先程のレパードの言葉を口の中で転がす。

 あり得なくはない話だ。マレイユならば、誠実とアグルの両親が告げるのも分かる。どんと構えているというのも、『異能者』のイユにも動じないマレイユらしい性格を表している。

 けれど、マレイユの行動が分からない。それに仮に分かったところで、もう全てが遅い。

「何で? 何でこんなことになるわけ?」

 イユの疑問は、今を嘆いてのものだ。けれど、返ってきたのはアグルの考察だった。

「足がつかなくするため、だと思います。抗輝の部下でなくマレイユ自身をやれば、顔を覚えられる心配もないと思ったのかと」

 その内容に聞き捨てならないことがあった。

「つまり、マレイユはあいつらにとって使い捨てってこと?」

 ネックレスを回収させたあと、果たしてマレイユの命はあったのだろうか。顔を覚えられたくないというのならば、マレイユを手元に置いておく気がしない。かといってネックレスのことはバラされたくないだろう。抗輝は、マレイユを殺めるつもりだったと考えられる。そして、その目論見通りにマレイユは死んでしまった。

「元々間欠泉に抗輝の部下がいて、そこに戻ってくるようにとの指示だったのかも知れないです」

 けれど、それではおかしいのだ。抗輝の部下にレイヴァスト島の地図は描けない。

 そう思ったが、反論する気も失せていた。もう今更何を言っても現実は変えられないという思いが、イユの胸中を占めている。リュイスも、言い出しっぺのレパードも同じようで何も言わない。刹那に関してはどこか魂が抜けたようにぼんやりとしている。

「……海に還しましょう。悔しいけれど、私たちは間に合わなかったのよ」

 声が震えた。一つの命を失ってしまったという事実が、こうも、重たい。なんて恐ろしいことなのだろう。何もできなかった自分があまりにも情けなくて、悔しかった。




 タラサの甲板にはアグノスがいた。小首を傾げながら一同の周囲を旋回するアグノスを見て、誰も何も言えなかった。アグノスは見張りを命じられていたのだろう。一声鳴くと、イユたちから離れていった。

「帰ったのか」

 遅れてやってきたのは、ミスタだ。イユの手にマレイユの遺体があるのを見ても、ミスタは何も聞かなかった。ただ、

「そうか」

 とだけ呟く。余計なことは言わないと、そう弁えているようであった。

「他の皆さんは?」

 リュイスの質問に、ミスタは必要なことだけを返す。

「今は航海室にいる人数が多い」

 つまり、大事な話はそこでしろと言うことだ。

 航海室にはカメラの映像が送られているから、マレイユのことも見えているはずだ。そうなると、絶望が伝わっている頃だろう。想像するだけで、気が滅入りそうだった。

「行くぞ」

 レパードはそう告げるが、顔色は誰がどう見ても蒼白だ。冷静さを保とうと必死になっているのが手の震えから分かる。

 いたたまれなくて、直視できなかった。




 廊下には誰もいなかった。イユたちの足音だけが響いている。角を曲がった先で、船長室の扉が見えた。

「間に合わなかった」

 ふいに、刹那が足を止めてそう告げた。震える声に、悲しんでいることが伝わる。

「助け、られなかった」

 本当は謝りたいのだろう。

 けれど、以前同じ場所でレパードが「謝るな」と言っている。だから、刹那はレパードを前にして、謝ることができないのだ。

「……こんなの、あんまりで」

 リュイスの沈んだ声が、不自然に止まる。イユもまた、足音に気がついた。

 暫くして先ほどイユたちが曲がったそこから金髪が見えた。ありえない人物の登場に自分の目が見開かれるのが分かった。

「セン……、目が覚めたの?」

 センはイユたちを見つめて驚いたように目を瞠る。

 イユはすぐに気がついた。センの視線は、マレイユに注がれている。事情を説明しなくてはならないと感じた。目が覚ましたばかりのセンがどこまで話を聞いているかは分からない。ただ、セン自身は『魔術師』に記憶を覗かれ、更に鳥籠の森の主にまでやられたのだから、肉体的にも精神的にもかなり疲労しているものと思われた。そこで見た仲間の遺体である。ショックが大きいと想像をする。そのショックが折角目覚めてくれたセンの身体や心をさらに傷つけることになるかもしれない。

「手紙は」

 けれど、イユが説明をしようとする前にセンから呟かれたのは、意外な一言だった。

「手紙は見たのか」

 何を言っているのか分からなかった。その表情が伝わったのだろうか。センは続けて告げた。

「マレイユの手紙を受け取ってはいないのか」

 イユたちは顔を合わせる。誰もが何を言っているか分からないと言う顔をしていた。

 そもそもセンはついこないだまで意識がなかったはずなのだ。マレイユの手紙などという知るはずがない情報を、何故口にできるのかが分からない。

「マレイユの手紙って、何のことだ?」

 レパードの質問に、センは顔を硬直させた。自分で自分がよく分からないというように、しきりに顔を手を当てる。そうしてから、一言告げた。

「すまない、忘れてくれ」

 そう言われるが、イユとしては無下にするのも憚れた。先ほどの様子は、意外な内容であったもののどこか真実味があった。それにそもそもセンという人物は、必要なこと以外はそう簡単には口にしない。無口な印象が強いのだ。だから、何か重要な意味を持っている気がしてならなかった。

「マレイユは何も持っていなかったと思うけれど」

 イユは抱えたマレイユの身体を見やる。改めてみると、とても穏やかな顔をしていた。死んでいるというのが嘘のようだ。

「もしあるとしたら、アグルの家かもな」

 レパードがぽつりと呟く。

「忘れてくれと言ったはずだ」

 センは首を左右に振ってから、踵を返した。

「セン?」

「休む。もう一度医療用ベッドを借りてこよう」

 ふらふらと廊下を歩き出す様は、見ていて心配になった。

 けれど、追いかける前に後方で扉の開く音がして、イユの注意はそちらに引き付けられてしまった。

「今のは、センか?」

 振り返ると、航海室から顔を出しているクロヒゲがいる。

「いや、それよりも。船長、ご無事で何よりって感じじゃないでやすね。とにかく、中に入ってくだせぇ」

 ちらりと廊下を見やったがそのときには、センの姿はなかった。医務室に戻ったのだろう。

 渋々招かれるままに中に入ると、ベッタがつまらなそうな顔でふらふらと歩いているところだった。他には人がいない。航海室ならば人がいるとのことだったが、通信を含めての話だったのだろう。

「だからこういうスリルは求めてねぇんだって」

 ベッタはそう言いつつも足を止め、何やら機械を弄り始める。迷いが見えないあたり、もう完全に使いこなしているようだ。

「レッサ、聞こえているか? 先の連絡の通りだが、船長から詳細があるだろうよ」

「うん、聞こえているよ。今は僕とキドだけしかいないけど」

「機関室のほうも勉強させてもらっているので、来ています。それどころじゃない雰囲気ですけれど」

 レッサの声が暗い。続けて自身が機関室にいる理由を説明するキドの声も覇気がなかった。

「いるのは四人か」

「いや、ミスタも甲板から聞けやすぜ。後は皆寝ちまっておりやす」

 外が真っ暗なうえ空を飛んでいるわけでもない。だから、皆休んでいるらしい。

「医務室に戻ったセンのことは、後で人をやっておきやす。きっとリーサ嬢ちゃんは寝ちまっているでやすから」

「分かった。とりあえず、現状を話そう」

 レパードの話が始まる。マレイユがどこで倒れていて、もう一人の男は誰なのか語っていく。

 イユは半分以上聞き流していた。それよりも抱え続けるにはあまりに重いその姿が、イユの心にしがみついてくる。

「間に合わなくてごめんなさい」

 心のなかだけで告げる。腕の中のマレイユは何も答えてはくれなかった。

「仮面のこの人も、マレイユもネックレスは持っていませんでした」

 話が終わったタイミングで、リュイスがぽつりと告げる。その言葉にイユが抱いたのは反感だ。今更ネックレスなどどうでも良いと声に出して言いたくなった。

「ここを発つ前にもう一度、アグルの家へ寄っても良いでしょうか」

 リュイスの相談が続いたので、イユは口を閉じることになる。リュイスは、イユが抱く反感などちっぽけなことだったと気付かされる、リュイスなりの考えを告げたのである。

「センの言っていた手紙がそこにあるなら、マレイユが遺したかったものがあるのかもしれないです」

 それは、イユには希望の言葉に聞こえた。失ってもまだ、マレイユの思いが生きているかのような錯覚がある。つい、縋りたくなる言葉であった。

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