その714 『死因』
銃声とともに、ドサリと何かが崩れる音がする。すかさず、レパードが撃った木の元へと駆け寄る。
一足先に辿り着いた刹那が、見知らぬ男の首根っこを掴んで引きずってくる。それを見て、足を止めた。
「抗輝の部下よね?」
確認を取る。
男は、仮面で顔を隠している。『白亜の仮面』の一員かもしれない。見た限りでは、ぐったりとしていて引きずられるがままだ。死んでいるのか生きているのか、遠目には判断しにくい。周囲に生き物が多いせいで、間欠泉のような大きな力でないと、イユの異能では判別が難しいのだ。
「多分、そう」
刹那が、そう答えつつも首を傾げる。
「急所、外した?」
「当たり前だ。せっかくの情報が聞けなくなる」
後方から歩いてきたレパードの返答に、刹那はぽつりと呟く。
「でも、死んでる」
ぎょっとしたイユたちは、慌てて駆け寄った。
刹那の手元で伸びている男は、見た限りでは足以外に外傷はない。けれど、血の匂いが湯気に混じって漂ってくる。
「一体、どうして」
リュイスの戸惑いの声を受けてか、刹那が男の仮面を外し始める。出てきたのは、火傷で腫れ上がった顔だ。これでは元が誰だったのかもわからない。あまりの酷さに顔を背けたくなる。
「服毒ではなさそう」
「これで?」
刹那の判断に、イユは驚いた。
「服毒なら、もっと顔色に出る。影響が出ているのは皮膚だけ。口周りは何ともない」
詳しい説明に、納得はできた。ただ、毒を飲んだわけではないとなると、どうなるのだろう。
「死因は、レパードの銃?」
イユの疑問の声に、レパードは気まずそうだ。
「足を撃たれていますよね、逃げられないように」
リュイスの言葉は、レパードのせいではないと告げている。実際、レパードは急所ではなく足だけを狙った。事実として、男の足は撃たれており血も流れている。相手が逃げなかったのもあって、的確に当てられたのだろう。これであれば、命を奪った主要因ではない。
「何か、持ってる」
刹那は男の上着を脱がせに掛かる。死者を相手に容赦なく行動を移す刹那に、アグルとリュイスが複雑そうな表情を向けていた。
けれど、必要な確認だ。イユは傍観することにした。二人も思うことこそあれ、口には出さない。それで仲間への糸口が見つかるのであれば、容認せざるを得ないということだろう。
「これ」
刹那の声と、男のべっとりと濡れた上着で気がついた。男の背中には深い刀傷がある。傷を上着で隠していたようだ。
「誰かとやりあったのね」
それで、怪我を負った。背中なので、やり合ったというよりは不意打ちにあったというほうが正しいだろう。男の死因は、失血死かもしれない。先程まで生きていたのだから、息絶え絶えなところで、間欠泉の音に紛れて逃げようとしたのだろう。けれど、気配を漏らしただけで満足に動けるほどの状態ではなかった。逃げ切れず、レパードの銃で足を撃たれた。その結果、足りない血が更に不足して意識を喪失した。
そう推理すると、まだ納得感がある。
「あと、これ」
刹那が見つけたのは紙だ。男のズボンのポケットにささっていたらしい。広げると、そこには地図が描かれていた。
「これ、間欠泉までの地図ですか」
レイヴァスト島が載っている。アグルの言うとおり、間欠泉と思われる場所に丸が打ってあった。そこから矢印が伸び、紋章らしき絵が描かれている。
はっとした。この紋章は、紛れもなくカルタータのものだ。
「まるでこの人は、この地図を元にここまで来たかのようです」
リュイスがそう告げる。
「誘導されていた?」
付け加えられた刹那の言葉に、イユは混乱した。
「何でよ、誰がこいつを?」
レイヴァスト島の地図を渡して誘導する。その相手に心当たりがない。
「もしこの男が嘘を掴まされたのならば、その相手は誰だ?」
レパードが先程のイユの言葉を噛み砕くように、疑問を口にした。
一つ浮かんだのは、ネックレスを欲しているのは抗輝だけではないということだ。イクシウスにいる『魔術師』で、カルタータに詳しい人物ならば、もう一人いる。
――――サロウだ。
例えば、抗輝の部下であるこの男が、ネックレスを手に入れようとした。けれどそのときにはネックレスはサロウの手に渡っており、かわりにあったのは地図だけだった。しかもそれは、実はサロウの手で加工された地図だった。この男はそうと知らずに間欠泉までやってきた。そうして、不意をつかれた。
「その理屈だとおかしいです。目的の品をサロウさんが手に入れたのなら、抗輝の部下であるこの人を殺す理由がありません」
イユの予想はリュイスに反論される。
「煩わしい敵を倒したいっていう理由かもしれないじゃない。あと、サロウにさん付けはいらないから。余計なお節介よ」
「だとしても、アグルのご両親は数刻前に男の人が来たとだけ仰っていました。その前にサロウさ……、サロウの部下の方が来ていたらそのことも話すと思います」
イユの睨みでどうにかさん付けはやめさせたが、予想については見事に論破されている。
「じゃあ、逆にこいつはサロウの部下なのよ。抗輝にネックレスのことをちらつかされて偽の地図を掴まされたんだわ。仮面は瀕死のところを後からつけられたから、外す余裕なんてなかったんでしょう」
我ながらてきとうだっただけに、すぐにリュイスに否定される。
「ですが、肌が爛れる毒のついた仮面です。無理矢理につけられたなら外そうとすると思います。そしてこの人はさっきまで生きていました。間欠泉の音に紛れて逃げようとする力があるならば、先に仮面を外そうとすると思います」
加えてアグルには不可解だと眉を顰められる。
「もし抗輝の仲間であれば、暗殺のプロです。よほど殺しそこねることはない気がします」
実際に用心棒として所属していたアグルの断言は、嘘には思えない。
けれど、それならばどういうことだろう。
「ネックレスは持っていない」
物色を続けていた刹那が、そう告げる。つまり、ものはないのだ。
イユたちの預かり知らぬところで何かがあった。そう分かるのだが、それがなにかが分からない。
「気になったことがあります」
そこにリュイスが疑問を投げかける。
「この地図、この方が持っていたにしては黄ばんでいて汚れの痕跡がありませんか」
確かに地図は古めかしかった。リュイスの言う通り汚れを取り除いたあとのような痕跡もある。
「もう一つ、気になったのですが」
アグルもまたおずおずと手を挙げる。
「レイヴァスト島の地図をここまで詳細に描けるのは、村里の人間だと思います。抗輝たちにサロウたちにも、難しい気がするんです」
どの疑問も、捨て置くには不可解な情報だった。
「つまり、この古い地図は村里の人間が描いたってこと?」
それで、いくつかの可能性が減ることに気が付く。つまり、この男がどちらの出身にしろ、抗輝かサロウの部下のどちらかが事前に村里に訪れて地図を貰いでもしない限り、この男を誘導できないのだ。
この件には、誰か村里の人間が直接噛んでいるとしか思えない。或いは、村里の人間の誰かがサロウの部下でなくては成立しない。
「本当はこいつを連れて行って、アグルの親たちに見せるのが良いけれど」
顔が爛れているので判別がつかないかもしれない。アグルの親たちは誠実な人といったのだ。男は仮面をつけたまま訪れたわけでもないだろう。少なくともイユには、仮面をつけた男を誠実と判断できる気がしない。そうでなくとも仮面はかなり特徴的であるから、つけていたら仮面の男が来たと教えてくれたはずだ。
「服装も変えられている可能性はある。家を尋ねた奴か聞いても分からないかもな。とはいえ、さすがにこのままにしておくのもあれだ。行き倒れていたのを見つけたという話で運び込んで、空葬はしてもらうのがよいかもな」
もしこの男が『魔術師』の部下ならば、敵を丁重に弔うことになる。抵抗はあったが、何も言わなかった。かといってこのまま置いておくのも躊躇われたからだ。
「誰が運ぶの」
とはいえ、敵だったかもしれない死体をわざわざ背負いたいかと言われると別だ。死体に触れることにどうこういうつもりはないが、もしサロウの部下だとしたらなどと考えてしまう。
「安心しろ、俺が運ぶ」
イユの嫌悪感を察してか、レパードから返答がある。悪い気がしたが、大人しく頷いた。子供っぽいと思いつつも、心情的に譲れなかったのだから、仕方がない。
「待って、あそこ見て下さい」
アグルが何か見つけたようだ。指で示した先に、確かにきらりと光るものが落ちていた。駆け寄ったイユたちはそれがナイフだと気がつく。血がこびりついていたから、男の刀傷はこれが原因かもしれない。
そう思ったとき、視界の端に何かが映った気がして固まる。鼻が血の匂いを捉えている。見てはいけない何かだと直感的で悟る。
けれど、見ないという選択肢はなかった。
視線を向けると、そこには茂みがあった。その茂みから這い出るように、僅かに伸びているものがある。
「人の、指!」
誰かがいるのだ。しかも土気色のその男のものと思われる指は、既に生きている者の力を感じさせない。何かの罠かもしれない。その思いが一瞬過る。
すぐに頭の外に追いやった。何より、イユにはそれが赤の他人とは思えなかったのだ。
だから、茂みに飛び込んで、見つけてしまった。
「イユ、待て……!」
後ろからレパードたちが追いかけてくる声がする。止めるべきだった。せめて、心を強くして覚悟を決めてから見に来いと言うべきだった。
けれど、目の前の現実に喉がからからに乾いてしまって、声を出そうとしているうちに追いつかれてしまった。足を止め、息を呑む仲間たちの気配だけを背中に感じている。
「嘘だろ」
レパードの枯れた声。遠くで、間欠泉の再び噴き上がる音が聞こえてくる。轟々と轟く音が、湯気の合間に見える現実が事実であると突きつけてくるようだった。
全員がその場に転がった男の存在を確認する。そうして誰かが呟いた。
それはありえない現実を、現実として縫い留める言葉だった。
「マレイユ、何でこんなことに……」
見るも無惨な姿に変えられた仲間を前に呆然とする。そうしたイユたちへと、間欠泉から飛び散った水が雨の如く降り掛かった。




