その710 『領主の考え』
森を抜けると、途端にしっとりとした空気に包まれた。
目の前に広がるのは大地だ。湯気が、次から次へと風に流されていく。合間から一筋の川が流れているのが見えた。
「川沿いを進みます」
アグルの声に従い川沿いを行く。せせらぎの耳に心地よい音を聞いていると、やがて村里が見えてきた。森の淡い色合いの木を伐採して組み立てた家が、小川を跨いでぽつぽつと点在している。川を渡る橋や地面にも木が使われ、徐々に足場の悪さが気にならなくなっていく。木の隙間からは時折深い湯気が立ち込め、風に攫われて消えていった。独特な匂いが鼻につく。
人の数は、家の少なさに反してちらほらとある。恐らくは大家族が多いのだろう。子どもたちが小川ではしゃいでいるし、男たちは鍬を持っていた。畑を耕しているようだ。
「畑が盛んなのか?」
レパードの質問にアグルは首を横に振る。
「逆です。中々植えても育ちません。ですが食べ物がなくなると困るので、皆で調査をしているんです」
「調査?」
鍬を持ってする調査が分からず、イユは首を傾げる。
「土を調べているんです。外から手に入れた種を一定の間隔で植えて、育つか調べるとも言っていました。少しずつ植える種を変えてみたり外から土を持ってきたりして細かく調べています」
それはいつからはじめた調査なのかと聞いたら、アグルが生まれる前からだと答えがある。
「そんな前から?」
「見る限り、あまり上手くいっていないようですが」
リュイスが枯れた苗木を見つけてそう呟く。
「食糧不足、深刻?」
刹那の問いかけにアグルは頬を掻いた。
「木の実とかもあるので、そんなことは。ただ、そうなったら困るから日頃から調査するようにと聞かされています。正直、食べ物がなくて困ると言うよりは、いつの間にか染みついた習慣といったほうが良いかもしれません」
確かに必要なことなのだろうが、アグルの『聞かされる』という言葉に違和感をもった。自分たちの意志でやっていることにしてはあまりに他人事に聞こえたのである。
「これって、『魔術師』の命令なの?」
イユの疑問に、アグルは頷く。
「はい。元々はこの島の領主の命令です」
『魔術師』は何をそんなに調べさせたいのだろうと、怪訝になる。イユの知る『魔術師』はただの親切で村里の住民に調査を命じる存在ではない。何か意図があるはずだ。村里の住民は『魔術師』の利点になることを、そうと知らずに手伝わされているのだろう。そう考えると、憐れに思えてならない。
「無為なことをやらされているようにしか見えないわ」
イユの酷評に、アグルは苦笑する。
「意外とそうでもないんです。この件に関しては」
訝しむイユの視線に気づいたようでアグルから説明がある。
「実際上手く育つ場合もありました。それで、温泉とかけ合わせてもっと美味しいものを作ろうとする取り組みも出てきていました。確か、温泉でトマトを作ろうと言っていたかと。今なら、もう少し進んでいると思います」
アグルの言い方に気がついたようで、レパードが口を挟む。
「ひょっとして、今は手紙のやり取りをしていないのか?」
アグルはきまり悪そうに頬を掻く。
「その、里帰りもずっとしていません。俺はヘクタのことがあって……、家族に何も相談せずに飛び出してきてしまったので」
それは気まずい里帰りになるかもしれない。
そう察した一同の視線に耐えかねたのか、
「あ、あの、手紙は受け取っていませんが、仕送りはしているので、大丈夫です。ギルドから定期的に送金するようにしてもらっているので、ギルドにいることは分かっているはずですし」
と、アグルに言い訳をされてしまった。
そのときちょうど、バスケットを持ちながら井戸端会議をする女たちの横を通り過ぎた。その声を耳が拾う。
「ねぇねぇ聞いた? 大変なことになっているみたいよ」
「もちろん知っているわ。びっくりよ」
「オスマーン様が処刑されたって」
「信じられない。あんな素晴らしい方なのに」
片方ではアグルがまだ言い訳を続けている。それは無視することにし、異能を使い井戸端会議の内容を聞くことを優先する。女たちとは徐々に離れていく形になるので聞こえにくいが、微かなやり取りは拾えた。
「平和を愛する『魔術師』で有名なお方だったのに、まさか戦犯だなんて」
「ねぇ、それよりさっきの見た? 珍しい、余所者よ」
「でも先頭にいたの、確かイーゼルトさんの息子さんでしょう? ずっと会っていなかったけれど、面影があるもの、間違いないわ。きっと周りにいた人は仕事仲間なのよ。ほら、確かギルドに入ったって」
「ギルドって美男美女揃いなのねぇ。それに凄く小さい子もいるし。時折やってくる商人たちも愛想の良い人たちばかりだし、印象変わったわぁ。もっと危険なお仕事だと思っていたもの」
「でも、なんか悪そうな顔の人が一人混じっていない? ほら、眼帯なんてしていて。ひょっとしたら、あの人が若い男女をこき使っているのかも」
「いやぁねぇ。それはあんたさ、想像力が過ぎるってものでしょうよ。そんな風だったら、イーゼルトさんの息子さんが、仕事仲間を連れて里帰りなんてしないって」
遠ざかる会話がとうとう聞こえなくなる。レパードの言われようが気になったが、大人しく諦めることにする。かわりに、まだ言い訳を続けているアグルに声を掛ける。
「なんか、慌ただしいみたいだけれど」
口を挟まれたことに驚いたようで、アグルは口を閉じる。暫くしてから、イユの言いたいことを察したようだ。再び口を開けた。
「元々田舎なので噂話は好きな人が多いんですが、確かにざわついていますね。今頃マドンナのことが伝わった、わけでもなさそうですし」
女たちの会話は聞いていなかったようだが、ざわつきは感じていたらしい。
「オスマーンが処刑されたらしいけど」
さり気なく言うと、アグルがぎょっとした顔をした。
「処刑? ニデルビア家の領主が?」
ことの大きさがいまいちピンとこない。
「そんなに凄いことなの?」
「はい。この島を治める領主という意味もありますが、イクシウス内の『魔術師』たちのなかでもかなり力を持っていたはずですのでその領主が処刑となると」
「なると?」
「すみません。どうかなるかは実際のところよくわからないっす」
アグルは『魔術師』事情に疎いらしい。とりあえず大変ということだけ分かるようだ。
「どうもきな臭いのはシェパングとシェイレスタの仲だけじゃなさそうだな」
レパードもそう腕を組む。
「処刑したのは新しい王か?」
「はい。イクシウスの国王は崩御したということでしたからそうなるはずです。確か、女王だったかと」
レパードの問いにリュイスは肯定する。国王の跡を継いだ女王とやらは、力を持っている領主の処刑をするあたり血の気の多い人物らしいと、イユはそのやり取りを見ながら感想を抱く。
そこに、
「おぉ、アグルじゃねぇだか!」
アグルの知り合いか、声を掛けてくる男がいた。




