その708 『見えてきたもの』
医務室を出て機関室に向かうと、そこにはレッサとクルトの二人がいた。
「ライムは、いないのね」
何せずっと機関室にいるのでそこで寝泊まりしているものと思っていたのだ。
「今はマーサの部屋だよ。さすがに塞ぎ込んでいるみたいでさ」
クルトの説明に胸が痛い。あれほど機械が好きなライムが機関室にいない事自体、信じられない思いだ。
「私、よく知らなかったわ。ライムとジルって、そんなに仲が良かったのね」
その言葉に、レッサとクルトが顔を見合わせた。
「ん、何よ?」
「いや、仲が良いというか、ジルが振り回されていたというか」
クルトが頬を掻いている。なんとなく真面目そうなジルと破天荒なライムを思い返せば分からないでもない気はした。
「でも、大事な人同士だったのは間違いないよ。だから、僕はイカヅチって人のこと許せそうにない」
レッサの言葉にイユは目を伏せる。
「ごめんなさい、間に合わなくて」
「何でイユが謝るのさ! 刹那ならともかく」
クルトに驚かれてイユは首を横に振る。
「もう少し早く見つけられたら、間に合ったかもと思ったから」
「それは、皆そうだよ」
レッサが悔しそうに顔を歪ませる。折角ヴァーナーが目を覚ましたというのに、レッサの喜びはすぐに萎んでしまったと思うと、悲しかった。皆、助けたかったのだ。それができたら、前に進める気がした。
思い思いに皆がジルを偲び、後悔をする。そのしんと静まった空気に堪えられなかったようでクルトが口を開く。
「とにかく、ライムはまだ出てこられそうにないから一旦ボクらで機関部は見ておくよ。幸いレイヴァスト島に着いたら休めると思っているし」
必要な物資は桜花園で揃えてある。転送機能のお蔭で不足しているものは殆どないのだ。
「ライムが持ち直してくれるかは、本人次第だと思う。でも、ライムならきっと大丈夫だよ」
レッサも、気を取り直すようにそう告げた。
「何か私にやれることはないのかしら」
「今はないと思う。イユは『魔術師』とやり合える人だから、多分マレイユを助けるのに専念すべきだよ。レイヴァスト島は出るんだもんね?」
レイヴァスト島に行く面々は決めてあった。当人のアグルにレパード、イユに刹那、リュイスだ。イクシウスではまだイユたちの顔が割れていないだろうこと、万が一抗輝と遭遇したときのために対処できる者という候補で固められた。レンドは怪我が治ったばかりということで待機組に回している。
「私は出るつもりよ」
レパードにはイユがこのなかで一番無関係だから出るなと言われたが、そうは思えない。それに、抗輝の雇う暗殺者がイカヅチ一人だけではないことは分かっているので、戦える人間は多いに越したことはないはずだ。
「問題は着陸かな。目立つからね、タラサ」
桜花園や風月園ならともかく、片田舎だというレイヴァスト島では飛行船は珍しいのだという。だからタラサは目立つことが予想された。
ちなみにアグル曰く、田舎のおかげで情報は遅く、警備も厳しくないらしい。魔物も少なく事件らしい事件も起きないのだそうだ。イクシウスの『魔術師』の管轄下にあるものの、克望暗殺の容疑者としての警戒はそこまで要らなさそうだ。どちらかというと、忍び込んでいるかもしれない抗輝の部下たちに存在がばれるほうが危険である。
「考えてみれば、今まで降りたところは人が多いところが殆どよね。風切り峡谷は違ったけれど霧が多いし、シェイレスタの都はまぁ別としても」
イニシアやインセートも観光客がいた。セーレでは直接乗り込んだりそうでなかったりしたわけだが、恐らくはその地域の警戒度に応じて対応を分けていたのだろうとは考える。
今回は近くに山があったはずだ。
「山に隠れられる位置で待機するのよね?」
「それが一番だけど、そうすると人里から遠くなるからね」
イユの確認にクルトが返す。これがイユや刹那だけなら素早く山越えをして街に入れるが、今回はアグルもいる。さすがにアグルに『異能者』と同じ速度で走れとは言えまい。
「あまり離れすぎるとセーレに何かがあったとき対処ができないというわけね」
だが、堂々と姿を見せて攻められるほうが厄介だ。どうにか山壁に隠れられて且つ人里に近い場所を見つけたいものである。
「私がやれることはそれね」
双眼鏡より見える目があれば、役に立つだろう。クルトたちに外を見てくると告げて、イユは早速甲板に出た。
甲板に出た途端、小雪がイユの頬を叩いた。吹き付ける風が刺すようだ。
目を細め、手摺へと近寄る。そこに、見慣れた後ろ姿があった。
「リュイス、何を見ているの」
振り返ったリュイスは、どこか浮かない顔をしていた。ジルのことを引っ張っているのだろうことは、想像に容易い。
「あ、いえ。ちょっと空を」
イユはその隣へと収まる。
「そう。それなら、私も見るわ。レイヴァスト島の着陸地点を探さないといけないし」
リュイスは何も言わなかった。ただ、二人で空を眺める。その時間が淡々と流れていく。
「寒くないですか」
ぽつりとリュイスが呟いた。確かに、イクシウスの寒さは久しぶりに味わった。寒くないと言ったら嘘だ。
「懐かしいわ」
その寒さが、イユには遠い昔のことのように思える。灼熱の暑さがあった。ひんやりと冷たい暗がりも潜った。乾いた空に、温暖な気候も味わった。
「セーレに来てから、いろいろあったわね」
はじめは乗ることさえ拒否された。今は、あのときとは大きく状況が変わってきている。
「イユは、セーレに来て良かったと思いますか」
リュイスは空を眺めたまま、そう尋ねてくる。
「当たり前よ」
即答した。
「後悔、していませんか」
「後悔? どうして?」
リュイスは首を横に振る。
「もしセーレに乗らなければ、こうして誰かの死を見ることもイユ自身が怪我をたくさんすることもなかったと思います」
イユはすぐに答えてやる。どうせまた、リュイスのことだから余計な気を回しているのだと思ったのだ。
「仮定は無意味よ。それを言ったら、私がセーレにいなければセーレは誰も失わずにすんだわ」
元々はイユが暗示に掛かっていたせいで巻き込まれたのだから、ジルが死んだのもイユが関わっている。そう、思うのだ。
「それは」
イユの言い分に否定をしようとするから、すぐに遮った。
「たとえ私がセーレにいたことで誰かを失うとしても、私はセーレにいたいと思ったの。そこは後悔しないわ」
身勝手なのは分かっている。それでも、イユは選んだ。諦めきれなかったのだ。全てを失っても、再び皆に会いたいと思うほどには。
「リュイスは後悔しているの?」
イユの問いかけに、リュイスは俯いた。
「僕は、……していると思います」
自分のことなのに、言い方が辿々しかった。
「いつも、後悔してばかりだと思います」
「リュイスは完璧を狙い過ぎなのよ」
言ってやった。
「ちょっと器用で運が良いから、何でも出来ると思いがちなんでしょうけれど、人なんて所詮できることは限られるわ」
だから、イユはいろいろなことを諦めてきたのだ。
「多少は妥協も必要よ?」
リュイスには、それができない。全てを拾おうとする。
「そうかもしれません。ですが」
やはり煮えきらない言い方だ。
「諦めたくないです。こんなの、間違っています」
けれど、最後にはリュイスは意思をもってそう発言する。レパードが、リュイスのことを頑固というのも分かる。リュイスは決して折れようとしない。きっと、不器用で不運だったとしてもリュイスの心根は変わらないだろうとそう思える。
ただ、今回は少しだけ違った。
「だからいつか、しっぺ返しがくる。そう思うんです」
リュイスにしては珍しく攻撃的な言い方に、少しだけ不思議に思った。




