その706 『若者たち』
「リーサ、いる?」
廊下は賑やかだった分、医務室はとても静かに感じた。
「イユ、もう終わったの?」
「えぇ、今はレイヴァスト島から数時間離れた場所にいるわよ」
先程の転送の感覚は医務室にいたリーサも味わっているとは思うが、そう聞かれ頷く。
「皆の状態はどう?」
部屋の奥で、刹那が調薬をしている音は聞こえてくる。リーサがここにいるのは、眠りについている皆の転送時の負担を心配してだ。
「今の転送で何かあったってことは、ないと思うわ」
「そう、それは良かったわ」
相槌を打ちつつも、イユはリーサの様子を確認する。目元は赤いものの、ジルのことを考えると意外と元気そうにみえる。
「ヴァーナーとジェイクが目を覚ましたって聞いたけれど?」
何気なく聞いたつもりが、何故か少し顔を逸らされた。
「えぇ。すぐに眠ってしまったけれど、ちょっと安心したわ」
刹那はイユたちと行動していたので、恐らくはリーサが看病しているときに目を覚ましたのだろう。そこまでは分かるが、何故だかいつもと比べて反応がおかしい。
「何かあったの? 顔が赤いような気がするのだけれど」
「な、何でもないわ!」
どう見てもなにかあった反応だ。思いつくといえば、これしかない。
「ヴァーナーと何かあったの?」
指摘されたリーサはみるみるうちに赤くなった。てっきりヴァーナーの片思いどまりだと思っていたので、意外な反応だ。顔がにやつき始めるのを止められない。久しぶりの面白い話題に飛びつきたくなった。
「何よ? 勢い余って目が覚めたヴァーナーに抱きつかれたとか?」
「だっ! そ、そんなのじゃないから!」
ついつい、からかいたくなってしまう。リーサの反応が初々しいから仕方がない。
「ただ、ちょっと謝られただけよ。えぇ」
自分に言い聞かせるような言い方をされるのが、見ていて面白い。
「ふぅん?」
「本当だってば!」
慌てるリーサがいじらしい。そう思っていたら、イユの格好の的になっていることに気づかれたらしい。
「わ、私。食事の仕込みしてくるから、あとはよろしくね!」
あからさまな逃げっぷりに思わず突っ込みたくなった。しかも動揺してか、手元の替えの布を何度も落としている始末だ。
「まだそんな時間じゃないでしょう」
「お弁当!」
数時間後にレイヴァスト島を探索することになるメンバー用らしい。イユの分もあるとなれば、あまりからかうのもやめておくべきかと躊躇する。
結局医務室の外へと逃げてしまったリーサを見送り、ふっと息をつく。静けさが再び訪れたように感じるが、イユにははっきりと分かっていた。
「それで、いつまで寝たふりをしているわけ?」
「参ったなぁ、寝たふりには自信があったんだぜ」
格好つけた言い方をされるが、内容が寝たふりではいまいち格好がつかない。本人も分かっていてふざけているのだろう。
「怪我だらけでも元気そうで安心したわ、ジェイク」
「いやいや、寝込んでいたら目の前で青春されるわ、女同士の話されるわで、俺様の心中は元気とは言えねぇよ」
そう言ってジェイクは身体をイユの方へと向けた。確かに、ベッドから起き上がる元気まではないようだ。それに、魔物に齧られたせいであちらこちらに包帯を巻かれた有り様は、明らかに痛そうである。
それにしても先程のジェイクの言葉から察するに、リーサとヴァーナーのやり取りも聞いていたらしい。
「で、何があったのよ? あの二人」
噂に蓋はできないというが、イユの好奇心も同様だ。
「いや、俺様がそれ話すの?」
ジェイクは渋ったが、視線をぶつけるとようやく口を開いた。
「そんな凄いことはしてないぜ? ヴァーナーがお嬢の手を握る勢いで謝った。額をその手に擦り付ける勢いで、『ごめん、俺……、結局お前を心配させて』なんて、声震わせてだ」
「あいつが?」
イユはヴァーナーのベッドを見た。ピクリと肩が動いたので、起きているかと思ったのだ。
だが、普段なら絶対に止めに入るはずのことを止めにこないあたり、どうもまだ微睡んでいる状態のようだと解釈する。夢だと思ってうなされているとしたら、少々かわいそうかもしれない。
「『何もできなくてごめん』だと。それをお嬢が否定した。『違うわ。ヴァーナーのお蔭で助かったのよ』って、手を握り返してな」
イユの視線がヴァーナーに逸れたせいか、ジェイクが口を噤んだ。
「なぁ、なんか教師にチクってる餓鬼臭くて嫌なんだが? 妙に意識し出したお嬢の様子とかこれ以上話せそうにないんだが?」
ノリノリな声真似だった割に、罪悪感があるらしい。とはいえ、大体のことは理解できたので、ジェイクを解放することにする。
「分かったわ。意外と進んでなくて、ヴァーナーご愁傷さまってことね」
ジェイクの呟きが漏れた。
「ひでぇ」
仕方ないだろう。ヴァーナーには過去突っかかれたのでこれぐらいやり返してもバチは当たらないはずだ。というのが、イユの意見である。
「それでジルのことも乗り越えられるなら、良いと思うの」
本当だったら、リーサのことだ。引きずりそうである。それにヴァーナーも恐らくは衝撃を受けるだろう。同じ機関部員だったのだ。関わりは浅くないはずだ。
「ジル? 何のことだ」
ジェイクにも伝えてなかったと思い出した。
「海に還ったのよ。イカヅチにやられて、助けられなかったわ」
イユの言葉に、包帯を巻かれたジェイクの顔は明らかに歪んだ。
「ジルとは長かったの?」
そう思わず聞くほどには、ショックを受けていることが伝わってくる。
「カルタータのことがあってすぐだから、十二年だ」
それは、短いはずがない。機関部員たちが特に衝撃を受けていると思ったが、そうではないかもしれないと思い直す。少なくともイユが詳細を話す間に、ジェイクは何度も崩れそうな顔を直そうと必死に繕おうとしている。その表情の動きが、包帯の隙間からでも分かる。
話し終えたイユは言うことにした。
「今、自分の顔が見えていないようだから言うけれど」
繕おうとする姿を見て、自分が普段強がっていたことを思い出したのだ。他人から自分の姿はこう見えていたのだと感じると、黙ってはいられなかった。
「はっきり言って、ジェイクの顔、酷いわね。魔物に齧られて包帯だらけ。表情なんて全く見えないわ」
だから、取り繕う必要はないのだと暗に伝えたかったのである。
「それはひでぇな。俺様のイケメン面が酷い有様だって?」
きっと、元気ならば肩ぐらい竦めてみせただろう。今は包帯の隙間から覗く表情で察せられる程度だ。
「ついでに声もがらがらよ。泣いても分からないかもね」
ふっと、ジェイクに笑われた。
「なんだよ、分かってるじゃねぇか」
ジェイクの声はがらがらというより震えていた。ジルのことを聞くまではよく通っていたが、魔物にやられた傷ならば急に声ががらがらになってもおかしくはあるまい。
暫くの間、震え声が溢れる。
イユは聞こえないふりをした。




