その702 『ささやかな』
部屋に戻ったが、眠れそうになかった。
ライムの泣き声が耳に残っている。ジルを弔うばちばちと燃える炎が、目を閉じても見える気がした。
本当のことを言えば、今まで人の死はイユの中でどこか軽いものだった。油断をすればあっという間にやってくるもので、異能者施設でいえばそれこそ毎日のように訪れる。
だから、大切な誰かの死が来ることがただただ恐ろしく、生き続けることの難しさも知っていたつもりだ。
今は、少し違う。
ジルの死が重くて息が詰まりそうだ。誰かを失うことがとても大きな意味を持っている。それはイユが掲げた無謀な目標が破られたからではない。全員が無事なのはもちろん望むものであり、届かなくなってしまったが、それとは違う気がした。
言うならば、衝撃があった。もしここにイカヅチがいたら、首を絞めていただろうと断言できる猛烈な怒りがあった。それが叶わぬことによる無念と、悲しみと寂しさがあった。
全てを投げ出したくなって、イユはベッドに突っ伏した。
「こんなの、眠れないわ」
昂っているのとも少し違う。言葉にはできないなにかが、イユを突き動かそうとする。
動き方もわからないのに動きたい気持ちだけがあっても、どうしてよいかが分からない。
泣き疲れたライムはマーサに任せられ、イユがどうこう言いにいける雰囲気でもないはずだ。
リーサに会いに行っても、逆に慰められてしまうだろう。
いろいろと考えた結果、吐息をつく。頭を冷やすしかないと立ち上がった。
廊下を出ても、静かだった。夜遅いということもあるが、皆、喪に服しているのだろう。イユには一人部屋で故人を偲ぶということができそうにない。
意味もなくふらふらとする。そこにはじめて人影を見つけた。刹那だ。レパードの部屋の前にいて、ノックをするところだった。
「レパード、いる?」
声を掛けるつもりだったが、扉が開くのを見てつい隠れてしまう。
「どうした?」
部屋から出てきたレパードの静かすぎる表情が垣間見えた。あまりにもその顔に色がなく、ジルのことを悔やんでいることが伝わってくる。
「ごめんなさい」
刹那もそうだったのだろう。すぐに謝罪の言葉を述べている。
「俺に謝ってどうにかなることじゃないだろ」
「……」
「いや、いい。八つ当たりだ。お前のところは、あいつと敵対していたはずなんだしな」
レパードはそう言って刹那から視線を逸らす。刹那はそれでは納得できないのだろう。言葉を続ける。
「けれど弱みを握られた克望が、引き渡してしまったから。……元々は私のせい。そもそもこんなことをしなければ」
「良いって言っている」
有無を言わせない口調は、一つ間違えればお前を撃ち殺してしまいそうだから黙ってくれと言っているようにさえ聞こえた。それぐらい、レパードは感情を抑え込んでいるようにみえた。
「それより何だ。ここに来たってことは用があるんだろう」
「抗輝が変なことを言ってた」
刹那の言葉はイユにも初耳だった。
「どれほどの存在かも知らずに自分にホイホイ渡すって」
「どれほどの存在?」
「克望のこと、間抜けだって言ってた。何も知らずにアグルを渡したって」
レパードは考える仕草をした。
「アグルに何かあるのか?」
「マレイユに繋がるヒントになるかも」
刹那のその言葉に、刹那はまだ諦めていないのだと察する。ジルは助けられなかったが、ベッタは無事だった。だから、マレイユはまだどうなるか分からない。
「アグルに聞いてみるか。まだ医務室だったよな? 起きているといいが」
頷く刹那にレパードを見て、イユは思わず前へ出た。
「待って。私も行く」
レパードと刹那がきょとんとした顔でイユを見ている。それを感じて、バツが悪くなった。
「立ち話を聞いたのは、その、悪かったわ。でも、眠れなくて」
何で言い訳みたいになってしまうのだろう。しどろもどろな自分が嫌になる。
そう思っていたら、レパードに吹き出された。
「ちょっと! 笑うところじゃないでしょうが!」
たまらずに怒る。一応周囲に配慮して小声で留めた。
「悪い悪い。いや、なんか安心した」
何が良かったのか、レパードの表情が和らいだことに気がつく。
「分かった。イユも行く」
刹那には、何でもなかったようにいつも通り頷かれた。
三人で医務室に向かい始めると、刹那がぽつんと告げた。
「いい忘れてた。ヴァーナーとジェイク、目を開けた」
明るい話にイユは、「えっ」と声を上げる。
「私が帰ってきて見たときには、まだ寝ていたけれど」
「うん。二人共すぐに寝た。起きていたのは、私たちが出てたとき。でも、事情はマーサからある程度話したって」
イユたちが抗輝と対立しているときに、セーレでは進展があったのだ。
「そう。でも良かったわ」
少しでも明るい知らせがあって、ほっとできる。その気持ちのままに医務室の扉を開けた。




