その698 『明暗』
アグルの案内は、動けるものでいくことになった。
「イユは本気でついていく気か」
休めと言われたが、イユは動けるので頑なに意見を通す。
「急いだほうがいいわ。あいつ、最後にアグルの暗示が解けたことに気がついていたもの。場所を変えられるかもしれないわよ」
口論するほうが時間の無駄だと思われたようで、レパードにはため息を吐かれる。
「そうはいっても、また毒が仕掛けられている可能性もあります。少なくとも怪我人は連れていけないです」
「セーレの場所さえ聞けば、俺は一人で戻る」
リュイスの言葉にレンドが手を挙げる。
「幸い、見かけより傷は浅い。こんなザマだが、家にも帰れないような餓鬼になったつもりはないんでな」
足手まといになりたくないのだろう。レパードは悩んだ顔をしていたが、最終的には折れた。レンドが風月園に詳しく、いざ追手に追われたとしても一人で行動したほうが逃げ切れる可能性があると踏んだこともあるようだ。
「その代わり、何かあったら合図を出せ」
刹那から狼煙かわりの魔法石を受け取ったレンドは苦笑いした。
「こいつは合図というより、凶器だろ」
だが、それぐらいしないと不安なのだ。
「こちちです」
アグルの案内で早速レパード、イユ、リュイスと刹那の四人は動き出す。目立つ四人だが、桜花園のような変装はしていない。レパード曰く、風月園は治安が悪くお尋ね者が多いために呼び止められることもないだろうとのことだ。
実際、警備らしきものを見ることはなかった。リュイスがフードを被るくらいで、特に対策もいらずに進んでいける。
「風月園は、セーレが滞在することは少ないの?」
ラビリがあまり詳しくなかったことを思い出して、イユは聞いた。
「何だかんだで女子供が多いからな。セーレには治安が悪すぎる」
『異能者』や『龍族』は溶け込めそうだが、確かにリーサやマーサには厳しい場所かもしれないと、納得する。イユも風月園に来たばかりでスリらしき現場に鉢合わせている。あれが日常的ならば、危なすぎる。
「あれです」
あまりにも早く、アグルが指を指すので面食らった。
「え、どこ?」
おまけに狭い通路を抜けて広い場所へは出たものの、そこには何の建物もない。あるのは風月園の外観でもある壁だけだ。
「あの壁です。梯子が見えますよね?」
指摘されて気がついた。確かに梯子が伸びている。けれどその梯子は途中で不自然に切れていた。
「なるほど、隠し扉か」
アグルは頷く。
「はい。分かりにくいですが近づくと扉があります」
梯子を登ると、確かにそこには扉があった。レパードが先に登り、扉を開けて中に入る。
「これは、トンネルか?」
薄暗い廊下が続いている。定期的に照明はあるものの、もうすぐで切れるのか、ばちばちと点滅を繰り返しているものが殆どだ。近くに水場があるのか地面がしっとりと濡れているおかげで、異能を使わなくとも辛うじて進める明るさになっている。
けれど、この薄暗さは奇襲にもってこいだ。暗殺者を雇う抗輝を思い出し、もっとよく見ようと目を凝らす。
それで、少し歩いた先に鉄格子があるのを確認できた。
「ねぇ、あれ。牢じゃない?」
イユの指摘にレパードが真っ先に向かう。
「これは、空か」
「鍵、掛かってない」
刹那もレパードの隣で鍵を確認している。
「この中の何処かにベッタがいるはずです。そう話していました」
イユは名前を呼んで進むかどうか悩んだ。返事があればよいが、もし抗輝が潜入していたらこちらの場所を知らせるようなものだ。
「しらみつぶしに探すしかないな」
レパードの結論に頷く。
一つ目、二つ目と、牢を順に覗いていく。どれも空いていて、人気がない。
「何でこんなに牢ばかりなの」
克望のときもそうだったが、『魔術師』は牢を作る趣味でもあるのだろうかと言いたくなる。
「治安が悪いから」
刹那がぽつんと呟く。
「でも、今は空でしょう?」
刹那は首を横に振る。
「逆、かも」
言われた意味が分からないでいると、補足があった。
「空にしたから、治安が悪化した」
大罪人を牢から解放したのだと、そう言いたいようだ。そんなことをしてどうするのかと言いたくなったが、口を噤んだ。抗輝はその気になれば何でもやりそうな男だ。そのせいで、普通はやらないこともやりそうに思えてくる。
「声が聞こえませんか」
リュイスの言葉に全員の足が止まった。イユはすぐに耳を澄ませる。抗輝の罠かもしれない。部下の誰かがやってきた可能性もある。少しでも多く情報を探ろうとする。
「退屈だぁ、暇だぁ、やることねぇ」
呻くような口調とは裏腹の内容に、イユは思わず半眼になった。
「せっかくワクワクしてきたっていうのに、おいていかれて早何日。ドッキドキのサバイバル生活が待っているのかと思いきや、飲み物も食い物もあるときた。暇だ、暇だ、スリルがねぇ」
イユ以外の者にも声が聞こえたようで、顔を見合わせせる。一同、疲れた顔をしていた。
「無事を喜ぶべきなんだろうが」
「まだ本人に会うまでは警戒は怠らないようにしましょう」
リュイスに言われ、それもそうだと気を引き締める。声が聞こえてくる牢の前までくると、その声はずっと大きくなっていた。
「これはあれだな、退屈で俺を殺そうという魂胆だな!」
「なんで、そうなる」
思わず呟いたレパードの言葉が聞こえたようで、声が止まった。
イユは牢の中を覗く。たくさんの大樽がごった返すなか、黒い服を着せられた男の背格好がある。レパードの声に気がついたはずなのだが、顔を見せない。代わりになにか呟いている。
「これはあれか? 幻をみせる魔術か? となると、これは新たなスリルか!」
「……帰るか」
レパードの言葉にイユは頷いた。
踵を返し、歩き出そうとする。
「待てぃ! マジで船長たちじゃねぇか!」
イユが振り返ると、そこには黒髪を乱した彫りの深い青年が必死に手を伸ばしているところだった。




