その694 『道化を踏みにじる者(刹那編2)』
「――――許さない」
足に力を入れて一気に距離を詰める。まっすぐにぶつけたナイフは刀とぶつかり、抗輝の顔面すれすれまで追い込む。
「甘いな」
だが、押し切る前に肘に衝撃が走った。刹那の身体が軽々と後方に飛ぶ。蹴られたのだ。
「動きが真っ直ぐ過ぎる。怒らせると弱くなるタチか」
「人形の癖に、単純な奴のようで。やりたいなら冷静なときのほうが好みだと思いますぜ?」
二人のやり取りでやはり試されていたのだと、気がつく。
「何が目的?」
「何とな。やるからには強い奴と、という程度か」
返ってきた答えには、しかし理解ができない。それが伝わったのか、抗輝の解説が入る。
「イカヅチは強い奴と戦うほど強くなるタチでな。そしてそこにいるアグルは、誰かを守ろうとすると強くなるらしい」
その間にも抜き放った刀を撫でながら、近づいてくる。
「人間というものは強さに波があるものだ。最も強い状態の相手と戦い打ち負かすほど、面白いこともあるまい?」
言外に、『人形のお前もその真似事ができるらしい』と言われた気がした。
「……戦闘狂」
ぽつりと呟いたら、にやりと笑みを深められた。自分の長所を褒められて喜ぶ子供のような顔をするが、その実はただの獣だ。魔物より質が悪い。
「しかし、現状人形が一体とはつまらん。もっとマシなのが掛かると思ったが」
そう言いつつも、落ちていた黒装束を再度纏い始める。一見隙だらけにみえるが、向かったところで刀で弾かれるのが分かった。視界の端ではアグルもどう入り込んだものか躊躇う様子で近付いていくのが見えるが、その先にはどのみちイカヅチがいる。レンドを抱えながらでは駆けつけられないだろう。
「それなら、掛ける網をもう少し減らせばよかった。生憎、人手不足」
「情報戦から愉しまなくては、つまらないだろう?」
本心でそう思っているのだろう。この『魔術師』は物理での戦いだけが全てではないのだ。
それならば、口での戦いもまた乗ってくるとみた。
「皆は、無事?」
思い切って聞いてみる。何か反応がないかと窺う。乗ってくるなら、何らかの反応を見せるはずだと見込んだからだ。
ところが、その反応は意外なものだった。
「お前の主からの贈り物のことか? ふふ、思い出すだけで笑えてくるぞ」
何が面白いのか、抗輝どころかイカヅチまで笑い出したのである。その笑みの理由がわからないだけに不気味さがあった。
「何故、笑うの?」
「これが笑えずにいられるものか。お前の主は間抜けがすぎる」
「克望のこと、侮辱しないで」
反射的に否定するが、抗輝は取り合おうともしない。
「するとも。それが、どれほどの存在かも知らずに自分にホイホイ渡すのだから」
嫌な予感があった。何かを見落としているような感覚だ。克望がしたことは、セーレの面々を抗輝に送り込んだことだ。そうせざるを得ない状況を作られた。当然、カルタータの関係者は除いて送っている。
だが、それは抗輝も分かっていたはずだ。それが、何故か間抜けだと言われている。
「お前の主の目的は、カルタータの大いなる力をイクシウスに奪わせないようにするためだろう。それがあったから、我らも克望をすぐに殺せなかった」
やろうとすれば、いつでもやれたのだと言われた気がした。
「でもそれは、シェパングを守るために大切なこと」
サロウは危険だ。その時点では、克望も抗輝も一致していたはずである。
「そして、他国と手を結んだ証拠を突きつけて脅すネタをくれたわけだ」
淡々と言われて、どの口が言うのかと言いたくなった。克望は抗輝に梯子を外されたようなものだ。弱みを握られて、セーレを襲う羽目になった。少しでも時間稼ぎをしようと、口止め料として、攫ったセーレの面々を差し出した。それが交換条件だったのだ。
「そのせいで、克望は!」
「そう怒るな」
刹那が飛び出さなかったのは、抗輝が再び刀を構えるその動きに全くと言っていいほど隙がなかったからだ。
「お前の主が愚かなのはここからだ。どうせ時間稼ぎなのはわかっていた。だから要らない人間ならその場で切り捨てるつもりだった。ところが、だ」
ちらりと抗輝が視線を向ける。その先にいるのは、アグルだ。
「アグルが、何?」
アグル自身も何のことかわからないようで、きょとんとしている。
アグルが何なのか、気になった。ただ抗輝の目に適う程に強かったというだけとは、思えない。含みを感じた。
同時にもう一つ気づくことがある。
「用があるのがアグルなら、他は?」
要らないなら切り捨てるといったのだ。それがどういう意味か、想像に容易い。
目の前の抗輝の黄金色の瞳に、刹那がぽつんと一人だけ映り込んでいた。
「もとよりそのつもりで送ったのだろう?」
絶望が胸の中で疼き始める。生きていると願っていた。何故なら、セーレの仲間たちは、大怪我こそあれ真に『こわれた』人間はまだいないからだ。心は壊れてもまだ身体はあった。魔物に襲われても、動けてはいた。
あってはならない現実だ。だからこそ、否定しなければならない。それも早急にだ。
「何かしてたら、ただじゃおかない」
引き抜いたのは、札だ。札は何も結界の効果があるものだけではない。火の魔法石を込めたものもある。ただ、破壊力があるために、普通の人間相手に使う予定はあまりなかった。今回に限っては、そうもいっていられない。
「ようやく、本気が見られそうだな」
刀を構えた抗輝は空いた手で招く仕草をした。
「来い」
刹那は真っ直ぐに駆け込んだ。抗輝の落胆したような顔を確認し、そのまま抗輝の横を通り過ぎる。通り抜けざま、廊下に向かって札を投げつけた。
イカヅチはアグルの方へと向かっていたし、抗輝はまた刹那が突っ込んでくると思っていた。だから、廊下の先に穴を開けるのが目的とは思わなかったようだ。
札は狙い通り爆風を呼び、廊下の先の障子を突き破る。煙に飛び込んだ刹那は、すぐに投擲用のナイフを抜き放った。視覚を奪ってからの一撃は、やり方としては抗輝と同じだ。意趣返しのつもりである。
とはいえ、それぐらいでやられる相手ではない。不意を打っても防がれていることは音で分かる。そこに向かって飛び掛かれば、先に法陣らしき光が灯った。
目の前から風が吹き付け、刹那は距離を取る。せっかく起こした爆風に煙は、刹那をすり抜けて掻き消えていく。光に風、ブライトに比べれば小規模だが、二種も使えるとなると脅威だ。
更にそこから踏み込んでくるのが抗輝である。刀が見えたかと思うと、すぐ眼前に現れたのだ。刹那の反射神経をもっても、速すぎて追いきれなかった。ナイフで防ぐのが精一杯だ。
「いい動きをすると思ったが、やはりお前もいまいちだな。所詮あの男の人形か」
そう勝手に落胆しながら、抗輝の猛攻は続く。右に左にとナイフで防ぐ刹那は防戦一方だ。そこに、抗輝の蹴りが飛び込む。
「克望を貶めないで!」
読んでいたから、横に避けた。そして振り向きざまナイフを投げつける。
「だが、事実だ。あいつはただの偽善者よ」
話しながら、いとも容易く抗輝が防ぐ。
刹那は、くるりと身を翻した。再び抗輝にナイフごとぶつかりにいく。
「誰のせいで!」
勢いをつけたから、押せた。抗輝の額にまで迫る勢いだ。
だが、まだ足りない。刹那はすぐに力を抜き後方に下がるふりをした。かわりに半歩身体を反らし、くるりとナイフを構え直してその首へと斬りつけようとする。
読まれていたらしい。あっと思ったときには、刹那は背中を抗輝に向けさせられる形で腕を掴まれている。逃げようともがいたが、力では負けていた。片手で抑え込まれてしまう。抗輝の刀の感触が、刹那の首に伝わった。
「我のせいとでも? それこそ責任転嫁よな。シェイレスタやイクシウスの『魔術師』と好んで手を結んだのは事実だ」
薄皮を一枚ずつ剥がされるように、少しずつ刀が刹那に食い込んでくる。
「それは、必要なこと。あなたが、それを利用した」
そのなかでも、問答は続く。
「そうではない。どのような理由であれ、選んだのは本人だ」
刹那が如何に力を込めようとも、やはり外せない。故に囁くようなその声がはっきりと耳に届く。
「あやつは惨めな死を選んだ。暗殺者に殺されて、戦争の種になる散々な未来を掴み取った。我はそれを芽吹かせてやっただけだ」




