その690 『いつもどおりのあなたに(ジル編2)』
「おい! 大丈夫か!」
慌てて駆け込む。寝ているのかと思ったが、それにしては、あまりに呼吸が浅い。おまけに揺すっても、反応がない。
焦りとともにはじめて、後悔の念が沸いた。今まではずっと、ライムのことを機械のように思っていたのだ。それがいつの間にか当たり前になって、ジルは自分で仕事さえしようとしなくなった。
けれど、よくよく考えればそんなはずはない。こうして倒れている以上、ライムは無理をしていたのだ。
叫んでいたら何事かと子どもたちがやってきた。彼らに頼んで、医者を呼んでもらう。すぐに駆け込んできた医者が診始める。
医者の見立ては、過労だ。やはりと思いつつも、どうしようもなかった。
「外は寒い。温度差にやられた面もあるんだろう。過労はこの船ではよくあることだ。歯痒いことにな」
医者は悔しそうに告げた。
「すまないが、先程医務室が満席になった。故に、定期的に点滴を打ちにいく形をとることにしようと思う」
医務室で休むこともできないと聞いて、唖然とした。同時に怒りが湧いた。子供がこの船のために過労で倒れたというのに、セーレはなんて冷たい対応をするのだろうと思ったからだ。
「倒れた人間にベッドもないのか」
レヴァスと名乗った医者は、ジルの憤慨に動じなかった。
「最後まで聞くように。医務室の空きについては、魔物による怪我人が出たのだからどうしようもない」
かわりにと、レヴァスは続けた。
「客室に余りのベッドがある。そこまで運ぶことはできるだろう。あとは子どもたちで定期的に看病を」
改めて、この飛行船の事情に嘆きたくなる。
「またこいつらか? 何でここには子供しかいないんだ」
こいつらと言われて気分が悪かったのか、少年が反発する。
「なんだよ、おっさん! 何様だよ!」
それには、ジルもレヴァスも取り合わなかった。
「大人たちの大半は身寄りのない子供のことなど捨てて、飛行船を出ていった。残っているのは子供を身籠った女と行き場をなくした子供、怪我人、面倒を押し付けられた少数の男たちと、変わり者だけ。それがこの船の実情だ」
諭すように言われて、ジルは唇を噛む。この頃になると、セーレの事情は詳しく聞いていた。
けれど、どこかで理解していなかった。ジルはただ雇われただけの身の上だ。今までも飛行船の事情など気にしたことがなかったから、その延長であった。
飛行船に乗ることになったら、そのときの船を全力で航行させる。ジルにあったのはそれだけだ。余計な事情には首を突っ込まず、それ故に深い付き合いになることもない。ただ、目の前の機械を弄り続けてきた。それで、口が固いと評価されてきたのだ。
ふと、思った。
それならば、ジルとライムに違いなどあるだろうか。ライムのことを機械仕掛けだと思った。それはライムが機械だけに夢中だったからだ。
けれど、ジルも航行のことしか考えていない。実はジルこそが機械だったのではないのか。
「とにかく、この子を客室に運び込もう。看病はラビリに任せる。彼女も子供だが、こいつらよりは年上だ」
「だから、俺らでもできるって!」
レヴァスの言葉に、少年から反論が上がる。
「待ってくれ」
ジルは気がついたら口を開いていた。
「俺が看る。ベッドだけをここに運んでくれ」
レヴァスは呆然としてから、慌てたように顔を顰めてみせる。
「何を言っている。君には機関部の仕事があるだろう」
「分かっている。両立させよう」
容易いようにいってみたが、騙されてはくれなかった。
「すすめない。君こそ過労で倒れるぞ」
ジルは首を横に振る。
「寒さも影響しているんだろう? それなら、ここにずっといたほうがまだ良い。ラビリという子供もどうせ忙しいだろう」
的をついていたらしく、レヴァスは黙った。ジルはレヴァスを見つめる。それではじめて、目の前の医者もライムと同じ金髪碧眼なのだと意識した。
「全くこの船は頑固者ばかりだな」
根負けしたように、ため息をつかれる。肯定と受け止めた。
「悪いが、ベッドを運び込んでくれ」
すぐに子供に指示を出す。今まで相手にされなかった少年は不満そうな顔をしていたが、その顔を引っ込めて部屋を出ていった。
「すまない。俺は機関部の人間失格だ」
次の日にやってきた船長には、そう告げた。
「せめて陸についたときぐらい機械から引き剥がすべきだった。俺の配慮不足だ」
「気にするな。俺も、手を打てなかった。さっきの島で機関士を確保できたら良かったんだが」
その言葉はあまり慰めにならなかった。
「だが、俺自身は呑気に陸に下りていた。こいつを放り出して」
「何か買っていたんだろ? 備品の補充もしていたはずだ」
レパードは仕事だからと言うが、ジルは首を縦には振れなかった。
船長が出ていき、ジルはライムと二人っきりになった。ライムは、一向に目を覚まさなかった。今まで寝ていなかった分を取り返すかのようだ。
ごめんなと、心のなかで呟いた。
落ち込んでいると、今度は子どもたちが入ってくる。
「食事なら数時間前に運んでくれただろう」
横着そうな子供は、明らかに怒った顔をした。
「そうじゃない。おっさん、ライムの看病でずっと寝てないだろ。俺等が代わるから」
「そうか。かわりに看てくれるのか。それなら、頼む」
そう言って機械に近付いたジルを見て、子供は怒鳴った。
「違う! そっちじゃない。おっさんは休むんだ。俺らが代わりに機関部を見る!」
その言葉に、耳を疑った。
「何を言っているんだ、これは機械だぞ。船を墜落させる気か?」
「そう言って倒れられたほうが困るだろ」
横着そうな子供は文句を言い、その子供の後ろにいた大人しそうな子供が手を上げた。
「あの、僕らもライムほどじゃないけれど、できます。ジルさんが来る前は僕らがやってたことだから」
「とにかくまずは触らせろって! 文句は見てから言え」
当然、ジルは止めようとした。
けれど、子供の言う通り寝不足だったのだ。足がふらつき、止めきれなかった。
作業に入った二人を、ひやしやしながら見ることになった。ライム程ではないが、意外にも二人の手つきは慣れていた。素人に毛が生えた程度だが、二人一緒であればどうにか形になっている。本人たちの豪語だけはあった。何より、機械に対し非常に丁重だ。
「起きてたら意味ないだろ! 寝とけ!」
そう言われても心配なのである。怒られたが、どうにか目を閉じるぐらいになるには、その後ニ時間は必要だった。
子どもたちに身体をゆさぶられて、いつの間にか寝ていたことに焦る。
「起こして悪い。俺ら、そろそろ食事を運びに行くから」
その言葉で、飛行船は墜落していないことを理解した。
「あぁ、大丈夫だ」
そう答えて、真っ先に飛行石のストックを確認しに行く。驚くことに、あまり減っていなかった。これならば、許容範囲内だ。
「な? 任せても問題ねぇだろ」
子供の言葉に、恐る恐る首を縦に振る。
ジルは自分の頭が固かったのだろうかと、問い質す。ライムという子供に、今ここにいる子供二人にと、ジルよりもずっと小さい彼らはこうして自力で機関士の仕事を成し遂げている。
はじめから頼っていれば、ライムは倒れなかったのかもしれない。
「すまない、ありがとう」
そう反省したから、感謝の言葉が言えた。
それから数日間後に、ライムが目を覚ましたときには大変ほっとした。
そのときは機関部で計器類を弄っていたときだった。起き上がったライムを、ジルは背後に感じたのだ。まだ寝ぼけているようで、いつものようにすぐに機関室に駆け込んではこなかった。
「倒れていたんだ。過労らしい。とにかく、そこにおいてあるものを食え」
何をしていいか分からなかったから、それだけを告げた。暫くして、ライムがもぞもぞと食事を始める音がした。
その音が、じわじわとジルの心を逸らせた。医者に連絡をすべきか、子どもたちがやってこないかと、そうしたことばかり考える。
そのうち音がしなくなった。また眠ったのかと思ってちらりと振り返ると、ライムがぼんやりとジルの方を向いていた。少ししてそうではないと気が付く。
ジルは機械へと視線を戻した。ライムは、正確にはジルではなくジルの背後にあるこの機械を見ているのだ。
「何がそんなにお前を機械に取り立てるんだ」
思わず尋ねたその言葉に、反応はなかった。今回はぶつぶつ呟いていないのだから、聞いているはずだ。意図的に無視しているのだろう。挫けそうになったが、聞き方が悪いのかと思い直した。再び、ライムへと視線をやる。
「お前の父と母はこの機械に関係しているのか」
頷きが返った。先程も頷いてはいたのかもしれないと思い直す。機械に向き直ってライムを見ていなかったから分からなかっただけだろう。そう思ったから、ライムから視線を外すのを止めた。
ライムは、口を開いた。
「この動力機関は二人が作ったもの」
それはジルにとってはとんでもない驚きであり、納得でもあった。
「動力機関を今の人間が作れる技術はないはずだ」
そう既成の事実を告げつつも、ライムが機械に夢中な理由が分かった気がしていた。
「お父さんもお母さんも、動力機関を作ってから亡くなっちゃったんです」
ライムの言葉は反論ではなかった。ただ、自分の思ったことを口にしているだけのようだ。はきはきした口調だからこそ騙されるが、相変わらず会話にはなっていない。
「だからどうしても見たくて、こっそり飛行船に乗り込んじゃいました」
その結果、生き延びたのだという。
「船長も良い人だったから、本当は普通にお願いすれば良かったんだけど、私、お願いし忘れちゃって」
「おい」
思わぬ内容に突っ込んだ。簡単に言うが、やっていることは密航だ。犯罪である。そうしたことにまで踏み切るとは、自由人ここに極まれりである。
とはいえ、その結果、この飛行船は落ちずにすんだのだ。密航者に助けられる飛行船とは、わからないものである。
「だから、こうして一緒にこの子といられて楽しいです」
この子と、ライムは言うのだなとジルは思った。ライムにとって、この動力機関は妹や弟のような存在なのだろう。
「それなら、こいつのために倒れるのは違うだろう」
ジルは指摘した。
「そんなふうに倒れたら、お前の両親もこいつも悲しむ。お前はいつもどおりにしていればいいんだ」
きょとんとしていたライムだが、ニコッと笑った。その笑みは年相応の可愛さがあり、同時にどきりとする美しさをもっていた。
「はい! いつも通り、可愛がります!」
そして、何か思いついたように手を合わせる。
「そうだ、そろそろこの子にクリスマスプレゼントあげないと。何にしよう? 思い切って、速度二倍になる機能開発できないかな」
何かズレていく話題にジルは焦った。本当に、ライムは自由人だ。少しでも自分と似ているかもしれないと思ったことはなかったことにする。
本当は聞きたいことも山程あった。クリスマスと呟いたのは何だったのか。両親はどうして亡くなったのか。そもそも、もう起き上がって大丈夫なのか。挙げだしたらきりがない。そんななかで、ジルは一つだけ確実に告げたいことを選択した。何より、今を逃したらきっと時期が過ぎてしまって、渡せなくなる。
「その前にお前の分があるだろう」
意外な言葉だったらしく、ライムはきょとんとする。ライムが自分の世界に入る寸前で、呼び止めることに成功したのだ。
建前などライムの前では完全に無駄だ。それが分かっているから、ジルは手早く済ます。
「メリークリスマス、ライム」
そう言って、ポケットからそれを投げた。受け取ったライムの手にプレゼントの箱が乗っている。
「開けてみろ」
ジルの言葉に、ライムは珍しく従った。するするとリボンが外れて中からペンギンのぬいぐるみが出てくる。これは、この前の島で買ってきたプレゼントだ。そのペンギンのぬいぐるみはサンタ帽を被っている。ペンギンが大事そうに抱えているのは、温度計だ。
「機関部の作業は暑いからな」
体調管理を少しでもしてほしいと思っての、プレゼントだ。
「温度計! ありがとう、ジル!」
そこは女の子ならペンギンのぬいぐるみに反応すべきじゃないかと思ったが、ライムを相手に今更だ。
それに、跳んで喜ぶ自由人の表情を見ていると、不思議とジルも笑顔になる。
だから、機械になんてなるなと言いたかった。不器用な男はそれが言えない。
「大切なものがあるなら、いつも元気にしていてくれ」
とだけ、告げた。
飛行船の外は雪が降っているらしく、扉の隙間から冷気が入り込んでくる。その冷気はすぐに、機関室の熱にさらわれて消えていった。
どこかで、クリスマスを告げるベルの音が聞こえてくる。きっと、世間ではサンタクロースがやってきて、子供たちに夢を配るのだろう。
今までは、そうした世界のことなど無関係だと思っていた。
けれど、そうではないことを、それではいけないことを今回知らされた。
誰か任せで知らないふりをして、一人できることを自負するだけの自分は、まさに狭い世界しか知らない機械そのものだった。
しかしながら、そうした人間にもクリスマスはやってくる。足が向けば、口を開けば、手を伸ばせば、意外と近いところにそれは転がっているのだ。




