その689 『機械仕掛けのクリスマス(ジル編1)』
飛行船での住み込みは、何も珍しいことではない。変わっていたのは、案内された機関室に子供が一人でいたことだ。金髪碧眼の見目麗しい少女である。はきはきとした物言いには、知性を感じさせられる。
けれど、その子供がまさか飛行船の機関部について全任されているとは思いもよらず、驚愕したのである。
「どういうことですか!」
思わず踵を返し、船長だとかいう男に食い掛かる。
「子供がたった一人で、一切寝ずに飛行船の機関部を管理していると?」
普段、ジルは無口なほうであった。話し上手のほうが世渡り上手だと思うことがあるものの、どうにも人付き合いというものは自分には合わないと感じていた。会話というものはとかく脱線しがちで無駄が多い。会話が好きな人間は作業の手が止まりやすく、生産性が悪い。だから、黙々と作業をするほうが好きなのだ。
そうした考えのジルが、驚愕のあまりに船長を問い詰めることなど、人生においてあのときしかない。
マドンナに紹介された仕事だったが故に、騙されたという気さえしていた。
このセーレを名乗る飛行船は、普通ではありえないことをしようとしている。いつ墜落してもおかしくない船だ。
「だから、お前を雇ったんだ。口が堅く、俺らを見ても物怖じしない、信頼できる人間だと聞いているからな」
船長、レパードからの答えは、マドンナの評価だろう。胸にくるものがあった。
ジルには、それなりに腕の立つ機関士だという自負がある。口下手なかわりに、真面目で実直、勉強熱心なのが取り柄だ。そうして取り柄を伸ばしていった結果、知識をつけ、腕を上げていった。
それが、認められていたというのが感慨深い。顔も見たことがない相手だろうに、マドンナはちゃんと見ていたのだ。
けれど、それとこれとは話が別だ。これから起こりうる出来事を予想して、ジルはすぐに顔を引き締めた。
「それならもっと人を増やすべきでしょう」
「人ならいる」
レパードの視線の先に誰がいるか分かり、こめかみを抑える。
「それは、子供でしょう」
しかも、機関室にいた少女よりも更に幼い二人組だ。少年の一人などとても横着そうである。いたずらに機関部を触られたら、墜落するかもしれない。
「もっとましな……、せめて大人はいないんですか」
ジルは自分がおかしなことを言っているとは到底思っていない。機関部には普通この規模の飛行船であれば三、四人は配属されて然りだ。当然全員子供ではなく経験豊富な大人であるべきである。子供というのは大抵小間使いのような仕事や甲板に回されるのが普通だ。
「残念だが、それは無理だ」
レパードは意志を曲げなかった。
頑固な男だと思ったが、そうではないことは船内を一通り案内されてから気がついた。何よりもその飛行船には航海士の数が少なく、出会う殆どが子供だった。恐ろしいことに赤ん坊もいた。それをあやしているのも子供だった。医者が一人在中しているのが幸いだが、副船長でさえ雇われたばかりと聞いて開いた口が塞がらなくなった。
船長が『龍族』故の訳ありとは聞いていたが、どうもそれだけではない。そもそも、疎開でもしにきた村民の集まりにしかみえない。
言いたい文句も言えなくなってしまって、ジルは一度機関部に戻った。
金髪碧眼の少女が機関部で変わらず仕事をしていて、玉のような汗を額から搔いていた。
その様子を見ていたら相変わらず酷い扱いだと、またしても船長に押しかけたくなった。
そうしなかったのは、先にすべきことがあったからだ。
「ずっと働いていたと聞いている。休憩していいぞ」
ジルの言葉に返事はない。先程もそうだった。ハキハキしていると思ったのもつかの間、ぱたりと会話が途絶えた。そのせいで、相手の名前さえ聞いていない。
「聞いているのか」
返事がなければ休みもしない。いい加減返事を待つのに疲れたジルは、仕方なく子供の様子を確認する。
機関部での仕事は、基本的に体力勝負だ。というのも、意外と暑いのである。暑いなか延々と作業を続けるのは思いの外過酷だ。そのうえ、作業は精密でなければならない。計器類を見張りつつ、必要に応じて光量を調整するのが主だが、ほんの少しずれるとそれだけ燃料を無駄にしやすい。逆に言うと、良い腕の機関士がいれば航行距離が延びるのである。
だからこそ、子供の手際の良さに驚きを感じた。動作は的確で無駄がなく、一流の機関士でもこうはいかない。それが、朝から晩まで寝ずに続けられているという。それどころか、隙間を見て何か製作をしている形跡があった。置かれた計器類を見る限りでは、どうも計器を自作しようとしているらしい。
「あっ、ライムって言います。えっと」
脈絡もなく唐突に自己紹介をされて、面食らう。手も止めず、視線をジルに向けることもなく、急に発言されたのだ。
「ジルだ」
おかげで、答えるのにやっとだった。
「あの、これどう思いますか?」
ライムの視線の先にあるのは、自作中と思われる計器だ。
「どうとは?」
「何をつけたら、光量をより正確に数値化できると思いますか」
勉強熱心なことだとは、感心できなかった。ライムが示す計器類は、見たことのない構造をしていたからだ。
「これは、計測器ではなくて集光器か?」
計測器の精度を確かめるために、わざと光を集める機械を作ってある。
「あっ、こっちはそうです。ゆくゆくはこっちも進化させて、飛行石にあてる光をもっと細かく指定できるようにします」
ライムの宣言に唖然となる。簡単に言うが、そう宣言できるものではない。そもそも、機械とは地面に埋まった古代文明の掘り出し物だ。古代遺物なのである。故に分かっていないことも多く、人々はあの手この手でいろいろ触りながら、使いこなしているに過ぎない。そうそう、自作などできるものではないのだ。
「凄いな」
思わず溢れた言葉に返事はなかった。ライムを見ると、何かぶつぶつ呟いている。
「あっ、待って。ひょっとすると、あそこを」
「おい」
まさかと思って声を掛ける。案の定、返事はない。
ただ、ぶつぶつと呟き続けるだけである。その間も、手だけは確実に作業をこなしていた。
「一体、何なんだ?」
つい没頭してしまうなどというレベルではない。こうなったライムは、ジルが何を言っても反応がなかった。とんでもない自由人である。
コツコツと作業のする音で目を覚ます。いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。目を開けるとライムが、眠りにつく前と全く同じ状態で作業を続けていた。慌てて時計を見れば既に数時間が経っている。
さすがに、バツが悪くなった。子供に働かせて、自分はといえば見張るどころかいつの間にか眠ってしまったのだ。
「そろそろ、交代するぞ」
声を掛けたが、返事はなかった。聞こえていないのかと思い、近付く。ライムの顔を捉えたとき、ジルの足は止まった。
碧い瞳に機械が映り込んでいた。飛行石の光に当てられたその目は、淡々と計測器の数字を追っている。その動きはあまりに規則的だ。
まるで、この少女こそが機械のようだ。
「ほら、一睡もしていないだろ」
乾いた舌で、どうにか言葉を口にする。
「自然光ほぼなし……、向かい風」
しかし、返ってきた言葉は、――――恐らくは定期的に航海室に確認する天候の状況を指してのことだろうが――――、意味不明だった。
過去、ジルは会話をする機械というものを見たことがある。故郷から離れたシェパングの学び舎で特別に見せてもらったのだ。ボタンを押すと、決められた言葉を話すのである。それ以外は何を言っても同じことしか繰り返さない。
会話が通じないような感覚は、そのときの機械とそっくりだ。
本当に、機械かもしれない。
そうした馬鹿げた発想が浮かんだ。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、顔が引きつって一笑できなかった。
「倒れても知らないぞ」
休ませたかったがそれもできないので、何かがあったときだけすぐに対応できるよう近くで寝ることにした。
そうした生活が何日間も続いた。やはりライムは殆ど寝ずに作業をし続ける有り様だった。風呂にも入らないのでどんどん汚れていくし、食べ物も片手で食べられるものしか口にしない。それも無理やり持たせないといけなかった。
気付けば、ジルの仕事の大半はライムの世話になっていた。機関部での作業は、時折うつらうつら寝落ちするライムに代わって数分交代する程度のものだ。
また時折子どもたちも来たが、ライムのために食事を持ってくるのが主だった。機関部で作業もできるといわれたが、ジルが触らせなかったのもある。ライムが特別なだけで他の子供にそうした事ができるとは思えなかったからだ。
それにしても、的確に作業をし続けるライムをみていると、不気味である。ブツブツとつぶやきながら自分の世界に入り込み、延々と作業を続けるのだ。自分とは違う異質なものが、同じ部屋にいるように思われた。感心の前に、恐ろしさがある。目の前の少女が、どうしても機械仕掛けのように思えて仕方がなかった。
変化があったのは、それから二週間が経ったある日のことだ。
目を覚ますと、計器を抱え込むようにして寝ているライムを見つけた。珍しい様子に呆けてから、船の揺れで意識が立ち戻る。飛行船の墜落だけは避けようと作業を引き継ぐ。飛行船が落ち着いたところを見計らって、風邪を引かないように毛布を被せてやった。さすがに疲れが出たのだろう。
「おとぅさん、おかぁさん」
ライムらしからぬ寝言に、手が止まった。
「そろそろ、クリスマスだよぅ」
愛おしそうに抱いている機械を撫でる光景はやはり異常だったが、何かが引っ掛かる。そもそもライムからクリスマスなどという子供らしい言葉が溢れるとは思わなかった。なにせ口を開けば、計測器の相談か意味不明な言葉ばかりなのだ。
気にならないかといえば、嘘になる。
クリスマスがどうかしたのか。まさか、サンタクロースを待っているのか。
そう言葉に出したかったが、ライムは珍しく眠ったままだ。そして、それ以上寝言を言うこともなかった。
目を覚ました気配がしたので、早速聞いてみようとしたが、返事はなかった。ジルの会話も聞かずに、ジルから作業を奪ってしまう。
数時間経って、子どもたちが持ってきた食事を口につけたときも駄目だった。口をもぐもぐ動かしながらも淡々と動き続けるのだ。
「おい、聞いているのか!」
ついに怒鳴ったが、返事はない。
こうなると、聞き出せるタイミングなどあるはずがなかった。
そうして、また何日間も過ぎていく。いつ話せるかと悩んでいるうちに、ずるずると日付だけが変わっていった。
世間は確かに、クリスマス気分だった。久しぶりの補給のため、小さな島に下りたジルは寒さのあまりに息を吐く。たちまち白い息が空気と混じり合って消えていった。
その先で島の子どもたちがはしゃいでいる。クリスマスの飾り付けを手伝っているらしい。手にガーランドを持っていた。大人たちがはしごに登って子供から渡されたガーランドを木の高いところへと飾り付けている。赤と緑の鮮やかな色が雪の町に浮かんで、華やかになっていく感覚があった。
本当は子供とはこういうものなのだと、置いてきたライムのことを思い比べた。
かたや到着しても反応のなかったライムは、まだ機関部にかじりついて計器類をいじっている。仕方ないので備品の買い出しはジルが請け負うことしたのだ。
ため息を吐くと、途端に白い息が視界を覆った。すぐに晴れた視界の先で、店のショーケースが並んでいるのが見えた。こちらもすっかりクリスマス気分のようで、色鮮やかな商品が、買ってくれとばかりに並んでいる。
「クリスマス、か」
ジルはぽつりと呟いて、歩き始める。
必要なものだけを買うと、飛行船セーレは次の目的地に向けて出発したのだった。
そしてそれは、久しぶりの陸地での補給の後、比較的すぐに起きた。ばたんと大きな音がして、目を覚ます。ライムの作業を眺めるうちに、またうつらうつらしていたのだ。
「なんだ?」
すっかりライムを眺めるだけの生活に慣れたジルはこのときまだ寝ぼけていた。目を擦って視界をしっかりさせてから、ようやく見つけたのだ。
――――倒れているライムの姿が、そこにあった。




