その688 『汚れた手(レンド編3)』
「おいおい、折角迎えに来てやったんだ。それなのに、これか」
声を掛け、刃物の向こう側にいる相手の様子を窺う。
「あ、俺。その、一応……、用心棒なので」
声はいつもの通りのアグルだ。だからこそ、読みにくい。こうして襲いかかってくる以上、暗示に掛けられていると見るべきだ。けれど、どこか陰はあるものの、普通通りに見える。顔色も悪くなく、体に異常があるようにもみえない。キドのときと一緒かもしれない。
「足はもういいのか? スズランの島で石にされていただろう」
「はい、お陰さまで」
会話しながらも、互いにナイフは下ろさない。
レンドがナイフを引いたところで、アグルのナイフがレンドの首を狩ろうとするとわかっていた。だから、思いっきりナイフを弾く動きをする。
アグルがそれに合わせて一旦ナイフを引き、すぐにナイフを構えたまま突き進んでくる。
レンドはそれを受けて弾き、再度振り回されるナイフを再び受け弾き、を繰り返す。数回はなんとかなったが、段々相手の速度に負けてきていると気づく。狭い廊下のせいでやりづらさがあるのだ。細身な分、この場所ではアグルが有利である。このままでは押し切られて懐に入られる恐れがあった。
すぐにレンドは身を低くしてアグルの一撃を避けると、畳のある部屋へと駆け込む。アグルが追いかけてくる気配がした。振り返ると、アグルを迎え撃つ姿勢を取る。そうしながらも告げた。
「やり合ってても仕方ないだろ」
「じゃあ、ナイフを下ろしてください」
レンドはナイフを下ろさずに、突き出した。暗示にかかっているのならば、レンドではどうにもならない。一度連れ帰る必要がある。そう思っていたからだ。
「他の仲間はどこにいる?」
「それは、抗輝様のですか」
言い方が気に食わず、眉をひそめる。ぶつかりあった刃物から火花が散った。
「なんでそうなる。ジルとベッタ、マレイユのことだ」
「それは」
言いづらそうなアグルの、ナイフがはじめて揺らいだ。すかさずナイフをぶつけると、はっとしたようにアグルが下がる。惜しかった。もう少しで相手の手からナイフを飛ばせたことだろうが、アグル相手では中々隙がつきにくい。
「答えられないのか」
アグルの返答はわからないではなく、意図的に答えたくないように聞こえた。だからこそ、訝しむ。
だが、悩んでいる間はない。アグルはナイフを切り返し、レンドに向けてくる。
それを受けながら、半歩下がった。タイミングを見て横に避ける。アグルが突き出したナイフが、障子を突き破った。
「抗輝に暗示を掛けられたんだろ。直せる奴がいる。お前だけでも戻るぞ」
レンドの予想では、四人共が同じ場所に捕らえられている可能性は低い。囮に使うならば一人で十分だからだ。万が一取り返された場合や、四人が結託して脱走する可能性などといった諸々のリスクを踏まえると、そう結論が導き出された。
むしろ、アグルが残りの船員たちの行方を知っていそうなのが意外だ。言いたくないのが暗示のせいなら、早いところ連れ帰るのが一番だろう。
けれど、アグルは当然首を縦に振らない。
「それは、できないんです。俺は、戻れない」
と、苦しげに告げる。
その顔のままに、ナイフだけはしっかり引き抜いてレンドの刀身に当ててくるあたり、可愛げがない。
「できないなら、無理やり連れ帰るだけだ」
レンドは右に左にとアグルへナイフを突き出す。それに応えながら、アグルは苦い顔を崩さない。
「そうじゃないです。暗示には掛かってないと、思います」
「掛けられた奴は、皆そう言う」
レンドはより激しく動くことを意識する。そうすることで、アグルは手元に意識を集中せざるを得なくなる。だから、注意が逸れたその瞬間を狙って、蹴りをいれてやった。
「つっ!」
はじめて、アグルがまともにレンドの攻撃を受ける。腹部に衝撃が走ったらしく、思わず呻いて足をついたのが絶好の機会だった。すぐにレンドのナイフがアグルのナイフへとぶつかり、弾く。
くるくると、アグルの手からナイフが離れ空を描く。少し離れた畳へと突き刺さった。
「ほら、帰るぞ」
アグルはふるふると首を横に振った。
「駄目なんです。俺にその資格はないんだ」
膝をついたままアグルは力なく呟く。その動きに初めて、レンドは違和感を持った。キドとはまた違うようだと感じたのだ。
アグルは両の手を食い入るようにして、見つめている。まるでその手に、決して消えない赤い血でも染み付いているかのようだ。
「取り返しのつかないことをしてしまったんです」
その言葉とともに頭を抱えるアグルをみて、レンドは唖然とする。このようなアグルを見たのは、何時ぶりだろう。
「何をしでかしたんだ?」
だから、自然と聞いていた。
アグルは声を出すのも辛そうに告げる。
「嵌められたんです。用心棒をすれば仲間は解放すると言われたのに」
ぽつりぽつりと、続けていく。
「仮面をつけて襲いかかってきたから、俺には誰か分からなかった。ただ、戦い慣れてないのが分かって違和感はあったんです。それなのに、気付けなかった」
何かが吐かれようとしている。絶対にあってはならない何かが、今まさにアグルの口から溢れようとしている。
「とどめを刺してから、仮面を外されて……、そうして見せられました」
震える声から止めどなく、言葉が紡がれる。見せられたという仮面の先にある、素顔。それがアグルに呪いをかけたのだと、そう思わされるには十分過ぎる声音だった。
「仲間の顔、だったんです」
そして、その呪いの大きさに、レンドはがつんと頭を殴られた気がした。




