その687 『潜入(レンド編2)』
侵入するのは、その日の夜と決めていた。国葬で『魔術師』のいない不在をつくならば、まさに国葬の日がよいとそう判断していたからだ。不調なのか、通信機器がつながらないのが気掛かりだったが、ギルドで得られる情報も抜かりなく確認してあった。
「国葬、か」
レンドにとって、マドンナの存在はそこまで大きくはない。気づいたときには誰にも知られた存在になっていた程度の認識だ。確かに戦争を止めてくれたことは感謝に値するが、それ以上の関心はない。
けれど、これはレンドが例外だろう。一般的にはマドンナの存在は非常に大きい。
何より、戦争を仲裁したことでインセートの人間はこれ以上理不尽な暴力に晒されることはなくなった。お陰で家族を失わないですんだという者は多い。更にギルドは孤児院をも支援した。露頭に迷う子供が減ると、それに合わせてスリも減った。しかも、子供は大きくなるとギルドに入り、職を手にした。命懸けの仕事は嫌われることが多いが、孤児院の支援を受けた子供にとっては寧ろギルドは憧れの的だ。その結果、街から魔物被害が減った。当然、街の人達は喜び、マドンナに感謝を述べた。
昨日までに調べた通路を進みながら、レンドは自分が歪んでいることを自覚する。両手をあわせマドンナに祈りを捧げる男女の姿を見かけたからだ。レース場で盛り上がる風月園でさえこれである。
しかし、レンドにはどうしても、そこまでするだけの存在には思えないのだ。
確かに、マドンナはギルドを作ることで仕組みを変え、世の中の在り方を変えてみせた。それで救われる命は数しれない。
けれど、マドンナがやったことは仕組みを変えたことだけだ。魔物被害は確かに減ったが、どれほどの子供の犠牲により減ったのだろう。街の人間の命とどちらが多かったのかは、誰も知らない。
それに、マドンナが死んだことで戦争が起きたらどうなることか、想像に容易い。結局、マドンナにより仲裁された戦争が、マドンナによって再開されるのだ。何も変わらないのではないかとも言いたくなる。
「考え事もいいが、そろそろか」
切り替えるようにわざと呟き、眼下を見下ろす。そこには抗輝の屋敷があった。
こうして眺めていても、大きかった。一人で探すには骨が折れそうだ。
かといって、キドを連れて行くわけにもいかなかった。キドの顔は『魔術師』に割れている。風月園で関係者に見られたら最後、せっかくの留守を狙うことができなくなる。むしろ、桜花園で自由にふらふらさせたほうが、錯乱になる。
それに、スナメリを巻き込むのも違うだろう。子供が産まれたと言っていたジュディバを思い浮かべる。やはりそこまでは求められない。
ましてや、スナメリは魔物狩りギルド。『魔術師』は専門外である。
それは自分もかと思いつつ、レンドは壁に向かってロープを投げ入れた。見張りのいない死角からの行動だ。ロープは狙い通り松へと引っかかる。少し待ってみたが、周りの様子に変化はない。
良さそうだと判断し、走り始める。幸い誰にも呼び止められなかった。ロープにしがみつき登りだす。
門番たちの会話が聞こえる。会話の内容までは分からないが、何かぼやいているようだ。
これなら、まだレンドのことはばれていない。そう確信し、速度を上げる。
そうして続けること、数分。天辺が近いとわかったと同時に、聞こえた会話があった。
「最近きたあの少年、知っているか?」
ロープを手放しかけた。慌てて掴み直す。
「あぁ、あの金髪のほっそりした奴な。知っているよ、最近の克望様のお気に入りだろう? 同情するぜ」
続く会話が、不安を抱かせる。同情という言葉が何を意味するのか問い質したくなった。
「口には気をつけろよ。お前も気に入られちまうよ」
「俺が? ないない。それならここで見張りなんてやってないだろう」
「違いないな」
男たちが笑い合う。肝心な内容が分からず、苛々した。そのせいだろう、手が最後の壁に触れたとき完全に注意を怠った。
「なっ!」
突然、壁が凹んだ衝撃に、声が出た。そのまま壁へと突き抜ける。引きずられるようにレンドの体が屋敷の中へと突っ込んでいく。
次に気がつくと、そこに松があった。迫ってくる松に慌ててしがみつく。独特な臭いが鼻についた。
振り返ると、突き抜けたはずの壁がそこにあった。どうやら、上の方に回転式の扉があったらしい。気づかずに押してしまったのだ。
内心ひやりとし、耳をそばだてる。恐ろしいほど、静かだった。騒ぎにならなかったのは、見張りが笑い合っていたタイミングで音が掻き消されたからだろう。
バクバクと鳴る心臓に、これなら血染めの虎とやり合っていたほうが楽だとさえ感じる。慣れないことはあまりするものではない。
松から下りようとしたところで、ちょうど目の前に棟があることに気がついた。少し下りれば、二階の部屋に着地できそうだ。
どのみち、松にぶら下がったままでは見つかる。部屋に誰かがいることを恐れている暇はなかった。すぐに舞い降りる。
きっと、運が良かったのだろう。降りたそこには誰もいなかった。音に聞きつけてきた人もいない。
部屋は、畳になっていた。調度品が飾られており、盤双六が中央に置かれている。好戦的な『魔術師』らしいから、遊戯の類も好きなのだろう。
人気がない事を良いことに廊下へと抜ける。古い建物らしく、床の軋む音が漏れるのを止められなかった。
それにしても、とレンドは訝しむ。
恐ろしいほど人がいない。マドンナの国葬があるから本人がいないのは分かる。だが、すべての部下がいないわけではないだろう。風月園にも相当数いるとみて、忍び込んだのだ。
それとも今侵入した棟は殆ど使用しておらず、別棟に固まっているのだろうか。
回転扉といい、おかしな屋敷であることは既に承知していた。それでいて、相手は危険な『魔術師』だ。幸い見張りの会話から、アグルはここにいそうなのが、救いである。早いところ、連れ帰らなくてはならない。
いるならば、地下だろうと勝手に当たりをつけて、レンドは階段を下りる。不安定な階段のせいで、上下感覚がおかしくなりそうだった。やたら狭くて急であるのも、よろしくない。
襲われたときを考えて、慎重に急いで下りる。日が入らないのか下りた先で見えたのは暗い廊下だった。その先にも階段がある。
進もうとしたそのとき、風切り音を聞いた。本能に近い感覚が、レンドに危険を告げる。素直に従ってナイフを抜ききった。
そこに、衝撃がある。
「よぅ、意外に元気そうじゃないか」
刃物と刃物がぶつかり、拮抗する。その刃に金髪が映り込んでいた。
青い瞳が、レンドの姿を見つけて答える。
「レンドこそ」
その声は意外なほどに落ち着き払っていた。




