その685 『宴会、月を眺めて(レパード編)』
「そっか、レイファとマシル。亡くなったんだね」
ジュリアからの返答は思ったよりもあっさりしていた。とはいえ、ある意味予想通りだ。ジュリアたちは子供の割に人の死に慣れすぎている。孤児だった彼女たちは、早くから出稼ぎに出た分、いつも危険と隣り合わせだった。死は、ただの順番待ち程度の感覚でしかない。
レパードにもそうした感覚は分からなくない。元々、レパードもギルド生活は長い。運が良かったのはマドンナに拾ってもらえたからで、子供でもまともに戦えたのは『龍族』だからだ。
けれど、あるときから、その考えは変わった。死がいつ仲間に向くのかと、いつもひやひやしている。
「にしても居酒屋にきて、水しか頼まないとは相変わらずみたい」
レパードは最後にそうジュリアに笑われて、送り出された。
「……そもそも、俺以外も水なんだがな」
「船長、何か言いました?」
キドに問われて、首を横に振る。
「いいや。それより、セーレに戻って全員と会った後だが」
レパードは久しぶりに提案をする。
「久しぶりに飲まないか」
勿論、レパードはノンアルコールだ。というより、全員がノンアルコールだ。早朝に響くのもあるが、酒の臭いも好きではないレパードに配慮した結果である。
「桜舞い散るなか、船から月を見上げるシチュエーションで、俺らは水を飲むと」
タラサの甲板で腰を下ろしたキドは、どこか嘆くように口にする。
「いや、お前たちだけで飲んでもいいんだぞ」
変に気を遣うなというのだが、言うことを聞かないのが男たちである。
「何、久しぶりの宴会でやすから」
誘ったのはキドだけではない。クロヒゲとミスタ、ラダもいる。本当はベッタやジル、レンド、ミンドールにレヴァスとも声を掛けて集まりたかった。以前はよく、男たちで定期的にこうした集まりがあったものだ。なんだかんだで多忙な面々なので機会は少ないが、レパードもこの時間は嫌いではなかった。
「そもそも酒がないのに宴会って名前はどうかと思うけれどね」
ラダがそう言いつつ邪魔な髪を払う仕草をする。月に照らされた白い肌が浮いてみえた。相変わらず見た目だけは、桜の風景に最も似合っている。
「だが、これも風情だ」
夜桜に、月。湖の水には灯籠。ミスタの言う通り、風情はあった。
「本当は琴の音があれば最高なんだがな」
マドンナのことがあるからか、賑やかな音はない。しんとした場所で、時折魚が跳ねる音だけが響いている。
「実家にはおいてますが、さすがに取りに行く気はしませんね」
キドは弾けるらしいが、持ち運ぶのが嫌なようだ。
「あと、綺麗なお姉さんがいません」
何か残念そうにキドは呟く。
「もとより肝心の酒がないんだ。酌なんてしてもらえないさ」
ラダが肩を竦め、だから気を遣うなとレパードは話を戻しかけて止めた。何度も話が戻るのは酔っ払いの証拠だというが、レパードたちは素面のはずである。
「まぁでも、まさか船長が誘うとは思いやせんでしたや」
この会だが、普段はキドやクロヒゲから提案がある。レパードは飲まないから、席を外すことも多かった。
「今だから、やっておいても良いと思ってな」
船員たちは全員集まったわけでもない。戦争の機運はあり、世の中もお先真っ暗だ。そして、桜花園も含め今後は安全とは言い切れない。
そう、これから先は更に何が起きるか分からない。本当に世界的な犯罪者とでもなったら、絶滅していると思われていた『龍族』の一人旅より遥かに危険だ。花見なんてできないだろう。最後の息抜きになるかもしれない。だからこそ、今を選択した。今だからこそ、きちんと本音を聞いておきたかった。
「どうせ堅苦しいことを考えているんだろう。本当だったらいつも通り参加者を聞いて断わっていたところだよ」
ラダがレパードの心中を当てる。
「いや、断るなよ」
「レパード参加ってだけで酒はないことは確定だからね」
だから気を遣うなと言いかけて、口を噤む。
「そもそもラダが参加することが珍しいことだ」
ミスタがぽつりと呟く。
「普段はベッタに譲るからね。次の日に運転しようとするのが目に見えているから」
ただでさえ普段から危険を好むベッタだ。酒で気が大きくなっていることが予想できる。
「飲酒運転はダメだ」
ミスタの言葉に、レパードも頷いた。ベッタの並外れた腕は認めるが、駄目なものは駄目だ。
「だが、ミンドールとはよく飲んでいるだろう?」
クロヒゲが敬語を外してラダに問いかける。
「まぁね」
確かにレパードからみても、ラダとミンドールは二人で酒を嗜む印象がある。いつもミンドールが先に潰れていることが多い。
「ラダの恐ろしいのは、ミンドールとの飲みの後で平然とナイフの修行をし出すところだよな」
しみじみとそのときの様子を思い返していると、キドに同意される。
「ラダは底なしですし」
底なしと表現されたラダ本人は、よくわからないという顔をした。
「基本酒は薄めてあるんだし、あれで酔うほうがおかしいと思うけれどね」
「ミンドールが泣きますよ」
全くだ。そう話に乗りながらも、レパードはちらっとミンドールの顔を思い浮かべた。早く意識を取り戻して元気になって欲しいものだ。
「しかし、正直今回は山も山、ベッタがいたら喜びそうな大案件でやすね」
クロヒゲがレパードに話を振る。言いたかったことを上手い具合に振ってくるあたり、出来た副船長だ。
「あぁ。戦争を起こそうとしているくさい『魔術師』から仲間を取り戻すことに加えて、世界的な指名手配犯の処刑の阻止。さすがに大事過ぎるだろう」
キドはそれに同意を示す。
「なんか気付いたら大変なことに巻き込まれて、内心びくびくですよ」
「とはいえ、引くつもりはないけどね」
ラダは即答する。レパードの聞きたいことなど既に読んでいるようだ。
「あぁ。仲間の救出もだが、姉を助けたいという弟の願いを叶えるため世界を敵に回す。これもまた、浪漫だろう」
「なんか、浪漫が安売りされてません?」
ミスタの言葉にキドが突っ込む。
「……浪漫はともかく、恐ろしさはありやすね」
話しやすいようにだろう。クロヒゲがわざとそう答える。キドはそれを聞いて、自身の頬を突いた。
「えぇ。正直、怖いですけれど。まぁ、下りるつもりもないですし」
「別に桜花園で待つのも手だぞ? ジュリアの手伝いがいてもいいしな」
レパードの言葉に、キドは首を横に振った。
「まさか。これで残ったら、俺、余計に冴えない人間じゃないですか。行きますよ! 絶対に」
理由はよくわからないが、キドも行くつもりはあるようだ。
レパードは内心ほっとする。確認したかったのは、皆のこれからへの思いだ。レパードの思惑などとうに気づいているクロヒゲとラダはともかく、キドやミスタは聞いておきたかった。食堂の場で意見を言えと言っても、その場で流される面々は多いだろうからだ。
「そう、それなら働きにも期待しないとね」
「通信士ですからね! 仕事はきちんとやりますよ」
ラダの言葉に、がつんと自身の胸を叩いてキドが答える。
「通信士もだが、餓鬼たちのケアだな」
子供たちのほうがよく考えて動いてくれることも多いが、さすがに今回の件はショックも大きい。ヴァーナーが目を覚まさないこともあり、特にレッサとリーサには衝撃のはずだ。
「そっちもお任せください」
キドは自信ありげだが、誰も頼むとは言わなかった。悲しいが、キドを当てにしてやってくる子供たちを見た記憶がない。
「個人的にはライムが心配だね」
ラダが話を振る。その内容に、レパードは意外な感じがした。
「仕事ぶりはいつも通り優秀なんだけれど、何か心ここにあらずなときが多い気がするよ」
それはいつもだろうとは、言わなかった。ライムが夢中になるのは何か考えているときだ。そのときはぶつぶつ呟きが聞こえてくる。今回は、そうではないというのだろう。
「確かに。それは感じやしたね」
機関室と航海室は連携することが多い。クロヒゲとラダがライムの変化に気づいたのは交流の数だろう。
「しかし、意外と周囲も見ているんだな」
余計なことをいったようで、ラダに睨まれた。
「相変わらず、無自覚に人を敵に回すのが好きだね、レパードは」
「まぁまぁ。それより、医務室が大変なことになっていましたけれど、大丈夫なんですか。刹那もいましたし」
キドが話を変えようとした結果、もっと微妙な話題を振る。レパードも、刹那と上手くやっていけていない人間がいることは、理解していた。揉め事こそないが、当時の恐ろしさがフラッシュバックする場合もあるようである。
「刹那しか治療ができないからな。ワイズは無茶させると倒れるし」
キドも渋々頷く。
「目が覚めてからが、意外と大変そうですね」
そのとおり、今は意識が戻らないことで刹那でも治療できている。しかし、目が覚めたら拒否する人間も出るだろう。
ちなみに、既にシェルとは一悶着あったが、それはマーサが止めている。
「マーサが上手くやってくれているが、おいおいは考えていくつもりだ」
「症状は大丈夫そうなんでやすか」
レパードは首を横に振った。
「何とも言えない。ヴァーナーは持ち直しているようだが、まだ目を覚まさない。レヴァスはともかく、怪我の具合で一番酷いのはミンドールだ。実はスナメリに甘えて、桜花園に置いていくかどうかで悩んでいる。どうにか治癒院にいれてもらえないかとな」
けれど、それには危険がある。
「賛同はしないね。桜花園でも治癒院となると『魔術師』の息が掛かりやすい。それこそ、暗示にかけられるかもしれない」
危惧していたことをラダに指摘されて、レパードは頷いた。
「あぁ。目を離したことで逆に仲間を失う事態は避けたい」
「スナメリにいる医者に頼むのはどうなんでやすか」
クロヒゲの提案にレパードは首を横に振った。
「間の悪いことに、今は出ていてどの医者も桜花園周辺にはいないらしい。むしろ風月園の近くにいるようだから、そこで考えるのはありだ」
恐らくはそれが良いだろう。レパードは頭の中にやることをまとめておく。やはり相談して正解だったと、安心できた。
「おっと、悪い。なんか、真面目な話になっちまったな。キド、ふざけていいぞ」
聞き終えたレパードは、敢えてキドに無茶な提案を振る。
「えぇ、俺に振りますか?」
一番若いのはこのなかではキドなのだ。レパードとしては振りやすい。
「なんでもいい。どうせ水なんだ」
「いや、それは船長のせい」
レパードの言葉にキドは反論し、ため息をつく。そうしてから、意を決したように立ち上がった。
「それじゃあ、ふざけはしませんが、この際聞きますよ! なんですか、あの船長の元カノは。滅茶苦茶美人じゃないですか!」
「ラヴェのことか?」
「まさか他にもいるんですか! 実はタラシなんです?」
ノリが完全に酔っ払いのそれだが、素面のはずだ。
「何でそうなる。…………ラヴェだけだ」
「く、くやしい。船長にもいるのに俺ときたら」
「キド、お前。本当に素面だよな?」
クロヒゲが呆れ顔だ。ジェイクが憑依してないかと、キドに告げる。
「それはおいとくとしても、確かに彼女のことは気になるね。今はともかく、馴れ初めぐらいは吐いてもらってもいいんじゃない?」
これは参ったと、レパードは空を仰いだ。ラダが思いの外乗り気の場合、レパードの口では上手く躱しきれない。
「じゃあまずは、シェパングでの出会いから聞こうか」
「なんで知っている!」
「ふぅん、やっぱり出会いはシェパングなんだね」
という具合に話を進められて、レパードは太刀打ちが出来ないのだ。
「相変わらず、賑やかなことだ」
ミスタがそうしたやり取りを聞いて、どこか満足そうに呟く。
「いや、ミスタ。達観してないで助けてくれ」
そう答えながらも、レパード自身張っていた気が抜けるのを感じていた。
この程度でも息抜きになれれば、それで良いのかもしれない。そう思うから、タラサに張ったギルドの紋章旗を見て笑みが溢れる。
今日の鳥はニジキジで、レパードを見て小首を傾げていた。その背には夜空を流れる星が浮かんでいる。
「元気にしているか、――――?」
ある種の確信を持って、レパードはそう呟いた。




