その683 『どうしたいか・後』
「結局、ブライトは私達を散々巻き込んでくれた結果、意味もなく死ぬってこと?」
戦争を回避したかったのは分かる。そしてその行為は無駄に終わった。挙句待つのは、弟を心配させるだけの無駄死にだ。イユたちは、ブライトたちのどうしようもないエゴに付き合わされただけである。そう思うと、なんて不毛なのだろう。
「姉さんにはもう一つ目的があります」
そこに、ワイズが付け加えた。
「それは、ブライト・アイリオールを消すことです。姉さんの考えそうなことですから」
吐き捨てるように言われて、イユは混乱した。
「それじゃあ、何? この事態もブライトの望み通りってこと?」
「いいえ。予定外でしょう。姉さんはあくまで社会的に消えるだけのつもりでした。そこに戦争は入り込みません」
ただ、とワイズは続ける。
「そちらでも予想外のことが起きました。だからこその手紙です」
手紙を開けたワイズは、ひらひらとその文面を見せびらかす。細かい文面の最後にはっきりと書かれていた文字がある。
『すまない』
国王からの直筆だ。それが、ワイズにもたらされたメッセージだ。ブライトは助からない、すまないと。
「やっぱり、不毛だわ」
イユはたまらず、ぽつりと呟いた。
「それで、お前はシェイレスタに帰ってどうするつもりだ。今から行っても間に合わないだろ」
レパードの問いかけは、ワイズの痛いところを刺すようだ。
「あなたが心配することではありません」
「いいや、さすがにだめだ。ことがお前だけじゃすまない。お前まで無駄死させるつもりはない」
無駄死という言葉に、ワイズははっきりと嫌悪の顔を浮かべた。きっと、いつも呪いと隣り合わせのワイズにとって、無駄死という言葉は嫌いなのだろう。それが、結局姉弟の行き着くところだとしても、認めたくないのだ。
「僕の勝手でしょう」
言い切るワイズの声は、怒気を含めたあまり震えていた。歯の隙間から溢れる絶望を噛み砕く勢いで、ぎりぎりと奥歯が鳴る。
イユはこのときはじめてワイズという人間を理解した気がした。ワイズにあるのは無力な自分への悔しさだ。姉に呪いをかけられても尚、姉のことを真剣に心配している。その『魔術師』らしからぬ性格を、口の悪さで懸命に隠しているに過ぎない。不器用な生き方しかできない人間なのだ。
「あー、思い付いちゃったんだけど」
恐る恐るという感じで手を挙げる人物がいた。クルトである。皆の注目を浴びるなか、その考えを披露してみせた。
「転送ならいけるんじゃない?」
イユの頭では、発想についていけなかった。
目を丸くしてみせたのはワイズだ。
「まさかあれを擬似的に起こすんですか」
「機能があることは分かってるじゃん。それで、地図も調べたわけで」
理解できないイユに、クルトは噛み砕いて説明する。そもそもイユたちはマゾンダから飛ばされてきた。それは転送という船の持つ機能によってだ。だから、それをもう一度使えばよいのだと。
「まさか人食い飛竜のいるところまで戻ってから、マゾンダにワイズを送るつもりか? 悪いが、レンドのことを考えると、寄り道をする時間は惜しいんだが……」
レパードの言葉に、クルトは首を横に振った。
「そうじゃないって。ボクの考えでは、あれは偶然あの場所に飛ばされたというだけ。機能として使いこなせれば、どこからでも行きたいところにいけるかもってこと」
いつでも好きなときに好きな場所に瞬間移動できる。まるで、夢物語のような話をされている気がした。大体、あのときは偶然で、意図的に飛んだわけではない。
「もう少し調べれば、自在に使いこなすことも夢ではないということでやすか?」
クロヒゲの確認に、クルトは頷く。
「そういうこと。ライムもいいよね?」
振られたライムは珍しく、話を聞いていた。
「うん。頑張るね」
クルトの提案に、ワイズは考えた素振りをみせる。思わぬアイディアに救われた顔をしているのが隠せていない。
「時間的には風月園に行ってから転送機能を使えば間に合うんじゃないかな。なんなら助けるだけ助けて転送で逃げればいいし」
軽く言うが、そんなことは可能なのだろうかと、イユはまだ半信半疑だ。転送をしたことのないキドなど、完全に話についていけていない。
「少しいいかな? レパードの懸念は転送機能を使う場所だったわけだけれど、逆にどこから飛んでも常に人食い飛竜の群れの中に転送される可能性はあるんじゃないかな」
タラサに機能自体はあるのだから、転送はいつでもできるようになるかもしれない。けれど行き先は、常に自由に指定できるとは限らない。というのが、ラダの言いたいことだろう。
クルトもそれには同意する。
「あぁ、それはもちろん。うん、ラダの言う通りだし、他にも不確定な要素はかなりあるね。それに、ボクとライムの二人じゃできることに限度があるからワイズも手伝わないといけないし」
ワイズは戸惑った顔を浮かべる。
「元々間にあわないと思っていたところです。だから可能性が増えるだけでも助かるのですが、本当に良いんですか? もし飛べたとしても、あなたたちにとって姉さんは仇でしょう」
「まぁ、そうなんだけどさ」
クルトは頭を掻く。さらりといっているが、ブライトを助けるとなると、もはや逃げてばかりの『龍族』と『異能者』の集まりではなくなる。この世界の戦争犯罪者を抱えるようなものだ。
だからこそ、クルトの提案がイユには意外だった。イユには、クルトがブライトを許しているようにはみえなかったのだ。
「……私も。クルトの案でいいと思うわ」
おずおずと告げたのはリーサだった。それも、予想外なことに思われた。
「本当に、ブライトさんは戦争を起こそうとしているわけではないのでしょう? それなら間違った罪で命を奪われるのは違うと思うの。あの人は確かに酷い人だけれど、それだけの人にも思えなかった。勿論、イユが許せないなら、助けなくてもいいと思うけれど」
「私は……」
振られたイユは、ぎゅっと手を握りしめた。まだ心のなかの整理がつかない。煮詰まった鍋の中身をひっくり返したいような衝動に駆られる。
けれど、何か答えなくてはならないだろう。
「まだ暗示の名残があるんだと思うわ。助けたいって思ってる自分がいるの」
「イユ……」
イユの、感情を押し殺した声に気づいたのだろう。リュイスから切実な声で名前を呼ばれる。分かっている。一方で、見捨てたいと思っている自分もいるのだ。どちらの声も大きくて、イユ自身決めあぐねている。もう関わりたくないと切り捨てて見て見ぬふりをできたら、どれほど楽だったことだろう。
しかしイユは知っている。過去から逃げられないように、紡いだ関係からも断ち切るのは難しい。いつかどこかで折り合いをつけねばならない日がやってくる。
「他はどうだ? これは事が大きい。今のうちに考えをしっかり吐いてほしいものだが」
レパードの言葉に手を上げたのは、レッサだ。
「これは単に人助けの話ではないと思います。ブライトの罪が半分嘘だからと言って、正論だけでは国は動かせないこともあります。だから、シェイレスタのやっていることを責めることはできないと考えます」
半分嘘といったのはレッサなりの配慮だろう。魔術書を盗んだこと自体は、紛れもない事実だ。
「そして僕らがブライトを助けることで、シェイレスタはいよいよ立場を失うことになるという認識です。そうなったら、僕たちは本当に戦争犯罪人になってしまうんじゃないかって怖さがあります」
納得の顔をしたのは、ワイズだった。
「それこそ正論ですね。あなたたちが巻き込まれる義理はありません」
そこに割って入ったのは、ラダだ。
「まぁ、正直巻き込まれるのはごめんだけれどね。ただ僕らは既にお尋ね者だ。聞いた話では、克望暗殺の容疑者にもなっているというし、毒を食らわば皿までとも言うだろう」
意外な肯定にイユは目を丸くする。けれど、ラダはこう付け加えるのも忘れなかった。
「とはいえ、最終的には君たちの判断に従うよ。どんな道でも後悔はしないさ」
「私は皆が無事で楽しく笑える方法が良いと思うわぁ」
マーサがそこに両手を合わせて希望を述べる。
「それは、皆、そうだと思う」
困ったように告げたのは刹那である。
「私は、ブライトと対して変わらない立場。だから、皆に合わせる。どうしたいか、教えて?」
それからの皆の意見はさまざまだった。殆どはブライトのことは許しておらず、自業自得だとも思っている。特に怪我で目を覚まさない面々は、発言こそできないものの不愉快だろう。彼らのことを思うと、助けないという手もあった。
けれど、意見が煮詰まりだしたところで、クロヒゲが敬語を取っ払ってこう述べたのだ。
「お前さんの姉のことはどうでもいいがな。さすがにお前さんには命を救われ過ぎている」
打算でも何でもなく、ワイズが自身の状態を省みずに治癒を施していることはよく知っている。クロヒゲも治してもらった一人であり、イユもまたそうだ。
「それはいえる。少なくともヴァーナーとジェイク、シェルにセンにミンドール、レヴァス。彼らを引き続き治療してもらいたいからこそ、自分の我儘だけを通すのは大人げない」
同意を示したのは、ミスタだ。ワイズはすぐに首を横に振って告げる。
「それぐらい別に大したことはないです」
「あぁ、俺には分かりましたよ。ワイズが面倒くさい性格してるってことが。普通にまだ餓鬼なんだから甘えとけって言いたいです」
ワイズに暗示を解かれたことのあるキドが、そう吐き捨てる。
こうなると、ブライトに対する意見こそ違えど、ワイズに至っては特に反論はないのだった。
自然と纏まり始めた意見に、不思議な感じがした。セーレの皆がした選択の答えが、想像以上に優しいものだったのだ。
「本当にそれで良いのですか? 世界を敵に回しますよ」
むしろワイズこそが必死に止めにかかる。
「大丈夫とは言えないですが、ワイズをブライトのもとへ送り届けるぐらいは問題ないと思います」
「リュイスさんは相変わらず頭に花が咲いてますね。間に合わせることを考えると、姉さんの近くに転送することになります。そうなると、この船はシェイレスタの都に飛ぶ。皆の目に晒される可能性がある以上、世界の敵になると想定すべきです」
甘いと言われたリュイスのかわりに、レッサが答える。
「はい、そうなると思います。最悪、戦争も起きると思います。けれど、そうなったら腹をくくるしかないです」
腹を括って世界を敵に回す、そう告げたレッサの発言にワイズは面食らった顔をした。
「あなたはあなたで先程と別の発言をしていませんか? 戦争犯罪人になりたくないのでしょう?」
「うん。だけどその前に、君はシェルを治そうとしてくれたし、ヴァーナーを助けてほしいから。僕にとっては、それは世界よりもずっと大切なことなんだ」
これ以上反論が思いつかないのか、ワイズが言葉を失う。その様子をみて、イユは改めて実感した。
少し前までイユたちは間違いなく被害者だった。ブライトには石を投げつける権利があるはずで、助ける必要はなかった。そのはずが、今は逆の行動をとろうししている。ワイズの行動がセーレの考え方を変えたのだと思わされた。
「お前の負けだ」
レパードの宣言に、ワイズはとうとう大人しく頷くことしかできなくなった。
「全く馬鹿な人たちです」
そうして、ワイズは改めて周りを見て、ため息をついた。いつの間にか、セーレの面々がワイズの行動を肯定していることに気づいたのだ。だからこそどこか根負けしたように告げる。
「分かりました。どのみち、ここから風月園まで行って仲間を助けるのがあなたたちの第一目標です。僕はそれに関与していられません」
少し強気に戻ったワイズが、笑みを深めた。
「……あなたたちこそ、僕の力を借りれませんよ?」
相変わらずの生意気っぷりだった。
「代わりに頑張る」
刹那はそれに無邪気に頑張る宣言をする。
言ってくれますねと、ワイズはどこか寂しげに笑うのだった。




