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カルタータ  作者: 希矢
第十章 『裏切リノ果テ』
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その676 『姉代わり』

 掃除は思いの外捗った。機関室以外も汚れが目立つところがあり、どんどん掃除の対象が増えていった結果、船内が見違えるほど綺麗になったのだ。そうして一通りの掃除を終えたイユは、最後に主目的の機関室に訪れる。ライムを見て、思わず零した。

「大きな汚れ物があるわね」

 ずっと作業をしていたのだろうが、一体どうすればこれほど煤まみれになれるのだろう。今なら間違いなく、船内一の汚れ物である。昨日は綺麗だっただけに甚だ疑問だ。呆れきったものの、さすがにライムを風呂に入れている時間はない。

「まぁ、桜花園についてからも誰かは残っているわけだし、そこで入れればいいわね」

 イユが一人そう決めている間も、ライムはぶつぶつと呟きながら機械を弄っている。相変わらず、主にやられて倒れていたとは思えない平常運転だ。昨日、計測器を落としたのは、疲れではなくたまたまだったのだろう。

「あら、イユちゃん。戻ってきてたんだね」

 と、意識の戻ったライムに声を掛けられた。察するに、昨日の記憶は既に飛んでいるらしい。



 機関室の掃除をしていたら、結構な時間が経ってしまった。汚れを落としきったことへの達成感とともに、額の汗を拭う。ライムはまだぶつぶつ言っていたので、気にしないことにした。

 そうして、廊下に出てみると、桜の香が鼻孔をくすぐった。リーサによって焚かれたのだと気づく。桜花園で誰かが入手してきていたのだろう。これから桜花園に行けば再び調達できるので、焚くことにしたに違いない。

 けれど、お香にまで手を入れられているのであれば、リーサに多少の余裕が出たとみるべきだ。手伝うとしたら、リーサではなく医務室だろうか。

 手持ち無沙汰になったイユはそう、手早く考えをまとめると医務室へと向かう。まさにそこで、リーサの悲鳴が聞こえてきた。

「リーサ!」

 まさか、主の残党が現れたのだろうか。焦りのあまり、大慌てで悲鳴の聞こえてきた医務室の扉を開け放つ。そこに、驚いたように、両手を口に当てたリーサがいた。目をくりくりさせているものの、無傷だ。

「何があったの」

「急に倒れられて、びっくりしてしまって……」

 倒れるという言葉に、視線を動かせばすぐにその姿が見つかった。ワイズである。気を失っているヴァーナーの前で膝をついてうつ伏せているのであった。その口から血が零れているのを見つけて、イユは近づく。

「いつものことよ」

 料理の手伝いを言いつけてあったはずだが、こうして二人して医務室にいるところをみると、とうに終わった後のようだ。ここにいるはずの刹那がいないのは、恐らく寝静まったシェルたちに配慮してリュイスとともに別室に移動しているからだろう。

「力を使いすぎると、反動で掛けられた呪いの効果が進行するみたいね」

 手早くワイズの口元を拭いてやる。慣れているイユをみてか、リーサはようやく落ち着きを取り戻した顔をした。

「ごめんなさい。私、何も考えずに医務室に連れてきてしまって」

 それは違うだろう。リーサはどちらかというと医務室を避けていたし、ワイズは逆に暇さえあれば医務室に顔を出している。

「気にしては駄目よ。ワイズは治すのが趣味みたいなものなんだから」

 話をしていて、桜のお香はマーサだろうと今更ながらに気がついた。リーサとワイズがともに行動しているということは、マーサが送り出したと想像ができる。

「趣味って……、治すと反動で倒れてしまうのでしょう?」

 驚くリーサをみて、当然の反応だと言いたくなる。

「どうしてそこまで……」

「変でしょう? でも、ワイズはそういう奴なのよ」

 イユもワイズの性格を理解しきっているわけではない。けれど、何度も見てきたから分かってしまう面がある。

「『魔術師』は皆同じだと思っていたわ。怪我を治してもらっても、嘘をついているのだろうと疑っていたの」

 本当は今でも疑うことはできる。偶然イユたちを助けることで利害が一致するのであって、いつかは裏切るのだろうと。その可能性はきっと零ではない。

「けれど、疑っても疲れるだけね。こいつは口が悪いだけの治したがり屋でいいと、今は思っているわ」

「暗示、じゃないのよね?」

 ブライトといたときに散々話題になった暗示がここにきて出た。

「私がかけられているように見える?」

 けれどイユがそう尋ねると、リーサは首を横に振る。リーサから見て、今のイユとブライトといたときのイユでは、何かが違うらしい。

「そう」

「……本当に、ブライトさんの弟なのよね?」

 リーサの顔はあくまで真剣だ。つい、声を立てて笑いたくなってしまった。

 それにしても、ワイズの事情もある程度、リーサには伝わっているらしい。確かに先ほど『呪い』と言っても驚いた様子をみせなかった。説明だけは聞いていて、実際に倒れるところを目撃するのは初めてだったというところだろう。

「似てなさすぎよね」

 常に口の悪いワイズに、表面上は友好的な態度だったブライト。口達者なところは二人とも似ていると言えるかもしれないが、それだけだ。外見からも似ている面は挙げにくく、性格にいたっては真逆といってよい。

「あ、でも少し、似ている気はするわ」

 リーサはぽんと手を叩いた。

「何があっても意思を曲げないところとか……」

「あぁ、まぁ確かに」

 二人共どこか頑固なところがある点では、似ているといえるかもしれない。

「自分の余命を削っているような行為なのでしょう? 無茶はさせないように見ておかないといけないのね」

 患者を看るだけではない仕事が増えたといわんばかりのリーサに、あながち間違っていない気もしてイユも頷いた。


「あなたたちに見張られるほど落ちぶれたとは、やれやれですね」

 唐突な文句に、イユはワイズから手を離した。目が覚めたようだ。

「いつも思うけれど、急に目覚めるわね」

「耳元で会話されたらいやでも起きるでしょう。それも僕のことをだらだらと」

 聞かれていたらしい。

「盗み聞きはよくないわ」

「本人の目の前で話していて、よくそんなことが言えますね。考えて物事を言っています? あぁ、思考力がないので仕方ない話ではありますか」

 口が悪いので、見た目よりはずっと体調が戻ってきているらしいと判断する。

「あなたもあなたですよ」

 ワイズの口の悪さはリーサへと飛び火した。リーサは突然話を振られて目を丸くしている。

「いちいちびくびくしているので気が散ります。兎でも気取っているつもりですか」

「あ、ごめんなさい。私……」

 ワイズはこういうとき容赦がない。イユは助け舟を出さねばという気分になった。

「リーサよりばたばた倒れるワイズのほうが、気が散るどころじゃないでしょうが。リーサなんて驚いて悲鳴をあげていたわよ」

 ワイズは心底嫌そうな顔をする。相変わらず、生意気な態度だ。

「別に怪我人がいて無視できるほど、人をやめてはいないというだけですので」

「どちらかというと、『魔術師』の殆どが人をやめている気がするけれど」

 『魔術師』の所業を思い出すたび、身体が冷える気がするのは、きっと気の所為ではない。自分の利益のために戦争を起こそうとし、多くを犠牲にする。

 むしろワイズにはそうなって欲しくないとさえ考える。しかしそうすると、治療に走って倒れるわけで、悩ましい。

 うんうんと悩んでいたイユを見てか、リーサがおずおずと尋ねた。

「……打算とかじゃないのよね?」

 きっと、イユの言葉だけではどうしても疑いは消えないようだ。声の細さがそれを表していた。最も口の悪いワイズにも問題はある。二人の言い合いをみていれば、自ずと確認をとりたくなるものだろう。

「そういう考えをする人間なんですね。あなたのほうがよっぽど小賢しいですよ」

 ワイズはそういう事情は一切与しない。いつもどおり、ばさばさと切り捨てる。

「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」

「どういうつもりでしょう? まぁ、やめておきます。そんな暇があるなら、タオルをとりかえてきてほしいですね。ヴァーナーさんでしたっけ? 熱が出てきています」

 驚いた顔のリーサが、ヴァーナーへと視線をやる。イユも気づいていなかった。確かにヴァーナーの額に手を当てると、熱がある。

 リーサが、大急ぎで飛び出していく。タオルをもってくるのだろう。

 その隙にと、イユは小言を言うことにした。

「……リーサにはあまり強く言わないでほしい気もするのだけれど」

「あなたが保護者面ですか? 哺乳瓶の扱い方も知らなさそうなあなたが?」

 何故そこで哺乳瓶なのかと言いたくなった。要するに、無知だと言いたいらしい。

 だが、イユが言いたいのはそうではない。

「いや、私じゃなくてそこで寝てるやつがそう言いそうなのよ」

 勿論、ヴァーナーのことである。イユですら絡まれたのだから、リーサにあけすけに言うワイズなど、本人の目が開いていたらどうなることか想像に容易い。

「なるほど、相当な人だと理解できました」

「でも治癒の手はやめないのね。吐血までしてるくせに」

「……ここで手を抜いて、命を落としたら後悔しませんか」

 意外な言葉にイユはぎょっとした。

「そんなに深刻な状況なの?」

 幸いにもワイズは首を横に振った。

「はじめて見た頃に比べれば、随分良くなったようにみえます。けれど、何事にも絶対はありません。急に容態が悪化することは零ではないわけです」

 助けられるはずの命を、自身の怠慢で救わなかったら後悔する。そういうことを言いたいのだろう。それは、イユにも理解できる。

 けれど、そのせいで起きる犠牲も忘れてはいけない。

「私は、あんたが力を使いすぎて命を手放さないか心配しているんだけれど」

「なるほど、視えるようになったみたいですね」

 あっさりと指摘されて、イユはきょとんとした。

「知っていたの?」

 イユが今感じているのは、ヴァーナーの生命力だ。ミンドールも、ペタオもシェルもレヴァスも、ジェイクも、ここにいる全員から力を感じている。勿論、ワイズもである。

 けれど、そのことをワイズにはまだ伝えていない。その認識だった。

「知りませんよ。僕はあなたではありませんから。ただ、力を調整できる異能者だと言う割に、何故か自分の力しか自覚がなかったのが気になっただけです」

 さらりと言われて、むっとなった。先程の言い方では、イユの力のことを知っていたかのように聞こえた。鎌をかけられたのだとしたら、その必要性もないのにと言いたくなる。察するに遊ばれているだけだろう。

「相変わらず食えない奴ね。何回か死にかけたせいで、口の悪さに生命力の大半が回ったんじゃないかって思うわ」

「妙な言い回しで理解不能ですが、馬鹿にしていると受け止めました」

「勝手にして頂戴」

 笑い声が聞こえて、イユは振り返った。

 リーサがタオルを手に戻ってきたところである。何故か嬉しそうだ。

「ごめんなさい。意外と仲良しそうで笑ってしまったの」

「あなた、目が腐っているんじゃないですか? 一度治癒院にいくことをお勧めします」

「治癒院にはヴァーナーたちを連れて行きたいところね。でも大丈夫。私はしっかりしているわよ」

 リーサの言葉に、ワイズは微妙な顔をしてみせる。

「何よ、リーサに何か言いたいことがあるなら言えばよいじゃない」

「さっきと真逆のことをいっていませんか? あなたこそ治癒院に行ったほうがよいですね」

 どうしてか、ワイズは誰かを治癒院に連れて行きたくて仕方がないようだ。

「私は異能があるから治癒院いらずよ」

 胸を張ってそう答えると、ワイズに絶望した表情を向けられた。

「頭までダメでしたか」

「こら」

 こらえきれずに、リーサが吹き出す。

「ふふ。いいの、なんとなくブライトさんとはだいぶ違うんだって分かったから」

 そう言いながら、ヴァーナーのタオルを替えていく。その動きは手慣れていた。

「比較対象が姉というのも複雑ですね」

「あんた、何言っても文句しか言わないわね」

 それこそ、ワイズの調子はすこぶる良いのだろう。

「もう、いいわよ。それより、あと数時間で到着よ。準備はした? 少しでも休んでおかないとまた倒れてしまうわよ」

 あれこれと手を焼きはじめるリーサ。どうやらもうワイズに対して思うことはないようだ。

 安心したところで、眉間に皺を寄せたワイズの、ぽつりと呟いた一言を拾った。

「面倒な姉がもう一人できた気分です」

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