その674 『可能性』
折り合いを上手く付けられずにいるリュイスに、結局イユはあまり話すことが出来なかった。ただ、言いたいことだけ言ったあとは、その場で一緒に空を眺めるだけである。
やはり、クロヒゲの話は聞くべきではなかったのかもしれない。幾ら同じくらいの年齢と言っても、リュイスの問題をイユが解決できるわけではないのだ。
「あの、ありがとうございます」
そう考えていたところだったから、突然の礼に面食らった。
「な、何よ。急に」
「いえ、こうして話せると、少し軽くなる感じがしまして」
そう述べてから、リュイスは首を横に振る。
「違いますね。軽くなってはいけないことなのは、間違いないです。ただ、頭が整理できるので助かりました」
「やっぱり、お人好しの真面目は肩が凝るわね」
イユは呆れて肩を竦めた。
とはいえ、イユが慣れてしまっただけで、はじめて手をかけたのならば衝撃はあって当然だ。
人殺しなど、しないに限る。手の中に残る嫌な感覚は、イユとて経験したいものではない。あっという間に消えてしまう命だからこそ、自分が化け物にでもなってしまうような悍ましさがある。だからこれ以上襲ってくるなと言いたくなった。
「大体、何でそこで子供なわけ?」
式神が使えないなら、克望の取り巻きにいるのは護衛の兵士たちだろう。それは子供ではなく、大人であるべきだ。子供を訓練させるなんて、今考えると少し不自然だ。
「暗器を持っていました。だから、暗殺者を雇っていたのだと」
リュイスの言葉に、一つだけ気になったことがある。
「刹那はこんな話しなかったわね」
平和主義者が暗殺者とは噛み合わない。確かに、式神はたくさんいたし、理想と実際の動きがずれているのが克望だ。はっきりしないが、気になった。
結論から言うと、刹那はありえないと答えた。
「何があっても、暗殺者は雇わない。それは、確実」
医務室に向かったイユたちは、刹那の答えに顔を見合わせた。気になったからすぐに駆け込んで正解だった。リュイスは、克望の死を悼んで捜索に来た子供だったろうと思っていたが、どうにもそうはならないのである。
ただ、それならばどうして子供が祠にいたかが分からない。答えは刹那が持っていた。
「多分、抗輝の。暗殺者がいたなら」
克望はまさしく抗輝の配下によって殺されたはずだ。
「つまり、雷以外も狙いに来てたってこと?」
一度殺した相手を暗殺しに戻るとは思えない。繋がらない話に首をひねりたくなるが、刹那は詳しかった。
「暗殺者を複数人使ったと思う。早いもの勝ちにする。そういう、やり方」
そうなると一人は暗殺に成功したが、残りにその情報が伝わっていなかったことになる。刹那曰く、暗殺者は常に雇い主から最新の情報を得ているとは限らないので、克望のことを知らずにやってくることは十分に有り得るのだという。
「脱出口が漏れていたと思う。リュイスを襲ったのは、式神と勘違いしたのかも」
なるほど、リュイスの力を見ての判断だったのかもしれない。
「にしても、競走みたいね」
暗殺に早い者勝ちとは、その感性がよく分からない。分かるようになりたくもなかった。
「暗殺ギルドはなんだって消えてなくならないのかしら」
「需要あるから」
つまり、『魔術師』同士の陰謀が暗殺者ギルドを存在たらしめるのだ。纏めて消えてくれればよいのにと思ったが、それはできないのだろう。マドンナが暗殺者さえギルドに取り込んだのは、『魔術師』に配慮してのことかもしれないと、今更ながら気がついた。
「とりあえず、二人とも暇?」
刹那の問いかけにイユは頷く。
「一回、クルトのところ行ってみて。どうせ起きてる」
「何、手伝いが必要なの?」
刹那は首を横に振った。
「力作。見てほしいだけ」
珍しいこともあるものだ。そう思ってから、刹那の視線がベッドのある方を向いていることに気がついた。眠っているのは、シェルだ。
何かシェルに関係のあることなのだ。そう気がついたイユたちは素直に頷いた。
クルトの部屋の扉をノックするが、静かだった。寝静まっているのではなく、そもそも人気がない。
「クルトのところって」
「部屋ではないかもしれません」
確かに力作ならば、何か物を作ることのできる場所になる。機関室かもしれないと話し合ったイユたちは、早速向かった。
機関室には、当然のようにライムがいた。もくもくと作業をしているライムにリュイスが声を掛ける。いつものように返事はない。
「あっ、イユたち。どうしたの?」
かわりにイユに声を掛けてきたのは、部屋の奥から出てきたクルトだった。
「クルト、病み上がりなのに普通に起きているのね」
クルトは鼻の上を掻く。
「ま、まぁ。意外と元気が出てきたからね?」
確かに顔色は悪くはない。追求したいところだが、それを言えばイユたちも同じである。
「それより、刹那から見せたいものがあると聞いてきたのですが」
言われたクルトは、すぐにピンとは来ないようだった。
「あ、あれのことかな? 確かに、刹那に見せたから」
こっちだよと言われて、ライムのいる部屋を後にしようとする。
「あっ」
そこで、ライムの手から計測器が零れ落ちる瞬間を目にした。
「どうしたの、ライム。機械類落とすなんて珍しいよね」
慌てて拾うライムから返事はない。
イユたちは、顔を見合わせた。
「ライム、ひょっとして疲れているんじゃない?」
言葉が耳に入ったのか、びくんとライムの肩が強張る。
「え、何?」
聞いていなかったようで、イユたちに視線を合わせるまでに更に数秒かかった。
「休まないの?」
「ありがとう、イユちゃん。戻ってきてたんだね」
呑気な返事があった。どうも、今イユがいることに気がついたらしい。
「ライムは、疲れていませんか?」
リュイスが辛抱強く問いかける。
「えへへ、疲れなんて感じないよぅ」
目に隈はあるが、いつものことだ。だからこそ、判断がしにくい。
「ときには休まなきゃだめよ」
けれどイユがそう声を掛けたときにはもう、ライムは自分の世界に入ってしまっていた。ぶつぶつと、数字を呟いている。
これではもう話などできない。諦めてイユたちは部屋を出ることにした。
「これこれ、これだよ」
クルトが持ってきたそれは、どうみても椅子だった。ただし、それはただの椅子ではない。車輪がついているのだ。
「これは、車椅子ですか?」
それを見て、刹那が気にしていた様子を思い出した。これは、シェルが使う車椅子なのだ。
「そう。明鏡園って治癒院があってね、車椅子がいっぱいあるんだよ。ただ、買うと高いからパーツをどうにか見繕って、組み立てておいたんだ」
クルトは以前呟いていたことがある。シェルは治らない、ワイズに金を強請るとよいと言った医者に対して、車椅子ぐらい作ってみせると。本当にやってのけてしまっていたらしい。
「凄いじゃない! これがあればシェルも動けるんでしょう」
「いやぁ、ところがそうはいかなくてさ」
クルトはかりかりと頭を掻いた。
「シェルは歩けないだけじゃないんだよ」
言われてイユは気がつく。
「手も満足に動かせないわよね」
主に利き手だ。脊髄の損傷もあるから、自力で起き上がることも厳しい。
「車椅子って、手で動かすから」
頭を抱えたくなった。確かにそれでは自力で動くのは難しい。片手は無事でもくるくるとその場で回転してしまう。
「人が押せば良いのよね?」
それならば問題ないとクルトは頷いた。
「ただ、階段は無理だからあの階以外は行けないけどね」
通れるのは、食堂や航海室だろう。浴室は狭いので車椅子で行けるかは微妙なところだ。
「甲板も出ようと思えば出られますね。段差は多少であればどうにかできると思います」
「そうだね。板か何か敷けばそこはクリアかな」
外の景色が見れたら、今よりはずっと気は晴れるだろう。頷きながらも、イユは今更ながらシェルに課せられた難問に気がついた。シェルは今、起き上がるのも一人ではできないのである。それも魔物にやられて、折角少し回復してきた体力が底をついたどころか、気力まで萎えている状態だ。
どうにかリハビリをして一人で起き上がれるようになるのも一苦労だろう。そこから更に自力で食堂に行くには、車椅子を動かせるようになる必要がある。片手では、難しい。それに、仮にその問題をクリアしたとしても、車椅子では行ける範囲に限りがある。そこまで苦労しても、イユたちが普通に船内で過ごすことの、一部しかできないのだ。
なんて、理不尽なのだろうと胸が痛くなる。それは刹那に、返せと言いたくなるはずだ。せめて片目だけでも見えれば、まだ救いはあったかもしれないのに、視力さえも奪われてしまっている。
「とりあえず、そんなわけだからさ。まだシェルには見せていないんだよね」
クルトはどうすれば良いのか悩んでいるようだった。聞くところによると、刹那がまだ乗せないほうがよいと言ったそうだ。シェルの体力は回復していないので、車椅子まで運ぶだけでも負担になるはずだとのことである。刹那は医者ではないが、加害者なだけにシェルのことは慎重なはずだ。その見立てでの判断から、確かにすぐには乗せないほうが良いかもしれないと思われた。何より、イユが考えたのと同じでこの先の現実に打ちのめされるだけかもしれない。
けれどあのまま刹那といて、雰囲気が変わるかどうかは怪しい。ペタオも含め、加害者に看病され続けるのもまた、彼らにとって良い気分はしないだろう。
また医務室からシェルの、刹那を責める声が聞こえるかもしれないと思うと、憂鬱だ。
刹那のやったことを考えれば仕方のないことだ。けれど、暗い雰囲気は周囲にも伝染する。イユまで気が滅入りそうなのである。
「シェルの体力が戻ってきた頃に、見せれば良いと思うわ」
そして、できるだけ早く元気になってほしいと思うのだ。元気だった頃の、シェルの顔が恋しかった。




