その672 『とある再会の物語(クロヒゲ編6)』
最終的にイズベルは投獄された。『クロティエ商会』は解散され、奴隷たちは解放された後、ギルドの紹介で職や住居を優遇されるなどの支援があったという。
あのときイズベルを取り押さえに動いたのは、過去イズベルに家族を殺された者たちだとのことである。
今までは魔物のせいか天候のせいかも分からず、彼らは泣き寝入りするしかなかった。それが、ミネルヴァの設立したギルドによって、空域ごとに細かく情報が得られる場ができるようになった。
そうすると、魔物でも天候でもないのに行方知れずになる人間がいることが自ずと知られるようになったのだ。
ギルドには、調査を請け負う職も所属している。家族は彼ら、調査ギルドに依頼をした。
調査ギルドは、あらゆる情報を付け合わせ、空賊による被害にあったと特定した。更に、次の空賊の狙いを予想したうえで潜伏し、証拠写真を撮ることに成功した。それが、『クロティエ商会』の旗を空賊のものに付け替える瞬間だったというのだから、言い逃れなどできるはずがない。
加えて、流れた商品を追っていくことで、『クロティエ商会』のやり方が露呈した。空賊として商船を襲い、商船の商品を何食わぬ顔で他の客に売るだけではないのだ。クロヒゲがそうだったように、何人かは奴隷にされた。赤ん坊も、まだ物心ついていない子供も売りに出された。目を潰され声を出せぬようにしたうえで、奴隷として売る場合もあった。そういう場合は大抵は価値が低いため、体の部位だけが闇市場に流れている場合もあったという。
クロヒゲはずっと、自分以外の奴隷がどこからやってきているか知らなかった。イズベルはそうしたところにもツテを持っているのだろうとは思っていたが、それだけだ。人間観察はしていても、ろくに考えていなかったことを今更ながらに思い返される。
調査ギルドの報告は瞬く間に広がり、まともな人間は誰も『クロティエ商会』と取引をしようとしなくなった。被害者の家族たちは仇を打つべく、飛行船に押し入った。しらばっくれ続けるイズベルに痺れを切らし、船内に直接入り込み、投獄したというわけである。
こうして考えると、『クロティエ商会』はギルドという情報網に包囲され、逃げ場などなかった。ミネルヴァの言うとおり、今までにはどうにかなった悪事もこれからの時代には通用しなかったのだ。
今にして思えば、付き人はともかくとしてミネルヴァ自身は『クロティエ商会』に忠告しにきただけで、潰す気はなかったのだろう。もし、大人しくギルドに加わっていたら、『クロティエ商会』はそうした情報を事前に入手でき対策を取れたかもしれないとも思うのだ。
とはいえ、そうした感想は、空賊でさえギルドに入ることは許されていると後で知ってのものにすぎない。
結局、商会は潰されて、関係者は全員解散だ。その事実だけが、残っている。
「あんた、何やってんだ」
濁った視界に顔を上げる。ずっと物思いに耽っていたせいで、頭が中々切り替わらない。
そもそも落ちこぼれたクロヒゲに声を掛ける人間がいるとも思っていなかった。
「人でなし」
それが、『クロティエ商会』とその関係者に与えられた認識だった。『クロティエ商会』は終わり、残されたクロヒゲたちは悪名高い一団に所属した人間として白い目でみられている。そんな人間に尊厳などありはしない。ある者は、――家族の仇とされて襲われたのだろうか――、不審な死を遂げ、ある者は散り散りに逃げるうちに食い扶持がなくなってやっていけなくなり餓死した。
クロヒゲもまた、同罪だった。殴られたときにできた怪我を抱えたまま職を探したが、相手にしてもらえなかった。どういうわけだか、クロヒゲはイズベルの後継者として名前が挙がっていたという話が出ていたのだ。イズベルの手記が見つかったからという話だが、イカれているにもほどがあった。奴隷で、暇さえあれば人の手を刺すような男に、そこまで好かれていたとは思いもよらない。
おかげで奴隷という立場も使えなかった。手がなくなり、名前を変えてもばれてしまい、とうとう街のゴミ捨て場を漁る始末である。どうにか売れるものを見つけては安値で買い取ってもらえる場所を見つけたものの、少しすればまた自分のことがばれるのは時間の問題だった。このままやっていける気はまるでしない。
住処もないので遅くまでやっている酒場に流れ着いた。同じように荒れた男たちの酒臭い空気が充満した場所で、何も頼まないわけにもいかず、日が変わるまでちびちびと安酒を飲む。心が荒んでいくのを感じていても、何もできなかった。今日もまた何も食べずに安酒ばかり手を付けているせいで、頭のモヤが一向に晴れない。出口のない虚ろな世界でくたばるのを待っているだけの日常である。
「おい、聞いているのか」
声を掛けられていたのだと思い出して、クロヒゲは目を細めた。揺れる視界に、少年の姿がある。見たことのない子供だ。
「なんだ、坊主」
「探した。情けない姿だな」
わざわざ笑いにきたのかと言いたくなったところで、子供の蛇のように細い瞳孔をした紫の目が視界にはっきりと入った。
「お前、まさか」
間違いない。だいぶ成長していたものの、奴隷たちのいる部屋に入ってきた子供だ。
「ほう、あのときの坊主か。情けない、ねぇ。一緒に酒はどうだ? 落ちるところまで落ちるのもまた一興だそ」
ふぅっと息を吐くと、子供はとても嫌そうに仰け反った。
「やめろ! 息を吹きかけるな!」
嫌悪しているのがはっきりと分かる態度である。探したというのだから、酒に溺れているのは知っているだろう。それでも来たのだとしたら、少し腑に落ちない。
「それなら、なんで俺のところにきたんだ? 餓鬼にやれるような駄賃はないぞ。なにせ一文無しだからなぁ」
がははと笑うと、鼻を摘まれて下がられた。そこまで嫌だとは恐れ入る。
「駄賃じゃない。どうなったか見に来たんだ。……やっぱり仕事がないのか?」
この子供は奴隷のことを表沙汰にはしなかったが、散々暴露された悪事も含め『クロティエ商会』のことはよく知っているのだろう。クロヒゲが奴隷側にいたにも関わらず、酒場で飲んだくれていると知って、気になって見に来たのかもしれない。
「おいおい、子供に心配されるほど落ちぶれたとはなあ。まぁ、実際落ちきったんだが」
自分の言葉が思いの外面白くて笑っていると、子供はテーブルを叩いた。
「いいから、まずは酔いを覚ませって! 明日の正午、ここに来い! 絶対だぞ!」
叫び声が、頭にがんがんと響いた。顔をしかめているうちに、子供が酒場を走って出ていく。酒場の店主が何事かと不思議そうに扉を見ていた。
クロヒゲは少しして気がつく。子供が手紙をテーブルに置いていったらしい。そこに地図が描かれていた。文字はない。読めないことを考慮されているかもしれない。
「なんなんだ、一体?」
酔いのせいで動かない頭は、当然答えを出してはくれなかった。
「約束通り来ましたね」
手紙など無視しても良かったが、酒を飲んでいたら店主に追い出されてしまった。行く宛もないので仕方なくきたところ、そこで待っていたのは昨日の子供ではなかった。やたらと小綺麗な女がいたのだ。
「あんたは?」
女は目を細めて告げる。縦に長い瞳孔が、子供のそれと同じだった。
「船には何度も足を運んでいましたが、あなたに会うのは確かに初めてですね。私は、リトと申します」
挨拶をするが、近寄っては来なかった。よほどクロヒゲが汚らしいのだろう。もしかすると酒が抜ききっていないから、臭うのかもしれない。
それよりも、思い浮かぶことがあった。この女は船に何度も足を運んだと言ったのだ。それもミネルヴァではないという。
「お前、ミネルヴァとかいう女の使いっ走りか?」
「言い方、最悪ですね。おまけに酒臭い。何故ルインがここまで気にするんでしょう」
中々辛辣だった。ただ、言い方が気になる。こうして現れた以上は、この子供とエトは仲間だったと言い切れる。それで、子供が何故かクロヒゲのことを気にして、エトを呼んだとまでは理解できた。
だが、それだけだ。
「おぉい? どういうことだ?」
「あの子、ルインが助けられたそうで。本当ならあんな商会の人間のことは捨て置くつもりでしたが、恩は返すべきですから。あなたが望むなら職を手配します」
あまりにあっさりと言い切られ、耳を疑った。酔っているせいで、とうとう幻聴まで聞こえたのかもしれない。
「はぁ? 悪名高い俺に?」
名前を偽っても、事情を説明して自分は奴隷だと訴えても、今まで全く職など手に入らなかった。それをいともたやすく言ってくれるものである。
「その悪名を覆す力がありますので」
営業スマイルまでつけてきた。
ここまでくると、さすがの酔いも醒めるのを感じた。これが事実ならば、ミネルヴァたちギルドの創設者は相当力を持っていることになる。ただ、情報を集約するだけの集まりではない。
「それなら、こうしてくれ」
クロヒゲの頭は、久しぶりに思考を始めた。奴隷のときでさえ多少は考えていたのに、今までは本当に落ちていたのだと意識する。
「本気ですか?」
「あぁ。それで頼みたい」
クロヒゲはそっと頭を下げた。
「何で今も昼間っから酒を飲んでいるんだ」
聞こえてきた声に、顔を上げる。しっかり一人前の男になった顔を見て、あれからまた数年経ったのだと理解した。それにしても眼帯に顔の傷とは、相当荒事をしているようだ。
「もう探されることはないと思ったんだがなぁ?」
しっしっと、追い払う仕草をしたが、動じる気配はない。
「俺には用があるんだ。腕が立つ航海士を探していてな。マドンナに聞いたら、お前を紹介されて驚いたよ」
マドンナとはミネルヴァのことだ。この頃にはもう、聖母などというおかしな字名がついていた。それしても、エト伝いなのだろうが、ミネルヴァから認識されているとは思わなかった。実は数日前にミネルヴァから、仕事を紹介するとの言伝がきたので、飛び上がったものである。
「お前、あのとき職を断ったのか」
「何のことだかな」
クロヒゲがあのときエトに依頼したのは、仲間の職場の手配だった。イグベルトは殴られたときに足をやられていたが、悪い人間ではない。それに人に物を教えるのが上手いからどこかアテがあるはずだと伝えた。シオは情報通で菓子作りが上手くよく心配してくれる優しさがあるから、何か仕事を当ててほしいと頼んだ。ベキナ、シンビ、コウも、同様に彼らに酌量の余地がある点とそれぞれの強み弱みを上げた。エトは本気かと言いながらも、彼らを探し出し存命であれば仕事を紹介すると約束してくれた。数ヶ月後には全員の無事と新たな職場の手配が完了したときたので、開いた口が塞がらなかったものだ。
とうのクロヒゲは、自力でいくつか職を探した。裏にエトが噛んでいたのかもしれないが、偶然にも甲板長経験が幸いに生きて船員として雇われることができたのだ。そこで航海士の勉強をさせてもらい、航海士としてもやっていけるようにした。ただ、どこも一時的なもので中々ずっと同じ船で雇われることはなかった。長居するといつか自分のことがバレてしまう。そう思うと続けられるものも続いていかないのである。
だからこうして何もすることがないときは、安酒に溺れている。
「すっかりデカくっちまって。ギルドでも立ち上げたか?」
「そんなようなもんだ。ちと訳ありでな。何も知らないガキたちのお守りをすることになった」
「こんな俺のところにくるんだから、よっぽどの子守だろうな」
探りを入れてみるような言い方を敢えてする。何せ、この年になっても酒が苦手とみて、青い顔をしながら話をしているのだ。匂いでも辛いなら、酒場に来なくてもよいのにと言ってやりたくなる。
「あぁ、その、よっぽどだ。日陰にいる人間にしか頼めない」
だろうなとも思うが、断ろうとは思わなかった。今はまたアテがないのも事実であるし、いつかバレる不安を抱えたまま働き続けることの限界もわかっていた。それに、これも縁だろうと感じたのだ。
「いいぜ、そういや直接名前を聞いてなかったな。確か、ルインだったか、坊主」
「いいや、今はギルド『セーレ』の船長、レパードだ。よろしくな、セレク」
互いに当時の名前だけは知っていたのだと気付かされた。
「クロヒゲだ。船長なら敬語がいいでやすかね」
冷やかすように言うと、笑って手を差し出される。お守りをする子どもたちの文化で、「よろしく」という意味だと教えられた。
実は『龍族』と聞いて飛び上がったのはそのあとのことである。




