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カルタータ  作者: 希矢
第十章 『裏切リノ果テ』
667/994

その667 『とあるギルドの物語(クロヒゲ編1)』

 これは、ギルドがまだ存在しなかった頃の話だ。


 クロヒゲは物心ついたときには、とある商団に所属していた。商団の名前は『クロティエ商会』。表の顔は、空を跨いで島から島へと品を売る商人の集まりだ。主にシェパング周辺を活動拠点とし、桜花園や明鏡園で酒や食料を売って食い扶持を稼いでいる。

 では、裏の顔は何かというと、別の商団を襲っては売り物を奪う、所謂空賊であった。

 この頃の船旅は今以上に過酷で、島から島へ移動するのも相当の苦難があった。当然だが、商人が空を跨いで商売をしようと思ったら、商品を仕入れて飛行船に乗って運ぶだけではすまない。飛行船に乗るだけでも船賃は掛かるし、自前の飛行船を手に入れても優秀な航海士がいなくては操縦もままならない。各地域の気流に詳しいガイドや通信士も必要であるし、何より腕の立つ武人を護衛として雇う必要があった。そこまでしても、時化に魔物に空賊にと危険はなくならず、無事に目的地へ辿り着ける保障はない。

 だから、商団の運ぶ商品は高価であり、『クロティエ商会』はそれを商品と位置付けた。幸い空で起きた出来事は、中々他の島へは伝わらない。空賊として商品を奪い、襲った商団を残らず魔物の餌にした後は、素知らぬ顔で御旗を付け替え、商会として次の島で奪った商品を売るという手はずである。

 非道なやり口に、しかしクロヒゲが文句を言えることはなかった。そもそもクロヒゲは、正確には『クロティエ商会』に所属していたというより商品として買われていたというほうが正しいのである。というのもそこでのクロヒゲの身分は、『奴隷』であった。


「おい、セレク。いつまで床掃除をしている! さっさと上がってこい、このぼんくらが!」

 聞こえてきた怒鳴り声に、クロヒゲ、――当時の名でセレク――――、は背筋を正して返事をする。そうして大急ぎで掃除道具を片づけて船内の狭い階段を駆け上がる。その先で、衝撃があった。

「うっ」

 頭に痛みを感じて抑える。顔を上げれば、そこには顔に傷をした大男が立っている。叩かれたのだと理解した。

「次はここの窓拭きだ。急げ。もうすぐ目的地に着くと、商談が始まるぞ」

 今回の商談は船内に招いて行うらしい。そのために、少しでも見栄えを整えておく腹のようだ。確かに部屋に血の臭いがついているようでは、客も何事かと訝しむだろう。『クロティエ商会』の表の顔は、健全な商人だ。ばれてはならない。

 大急ぎで窓拭きを始めたクロヒゲには、窓の様子しか映っていない。よそ事を考える思考は、奴隷には与えられない。ただ言われたままに動き続ける。それが奴隷に与えられた役目だ。それができなくなれば壊れたとみなされて廃棄される。そうして死んでいった人たちをたくさんみてきた。

 だから、毎日必死に働き続ける以外のことができない。『クロティエ商会』のやっていることに賛否を唱えることも、世の中の動きがどう変化しているかも、一切関係ない。ただ働くだけの生活を必死に回し続けるしかないのだ。

「おい。何を考えている」

 クロヒゲの拭く窓の下で、一人の男が複数の男に抑えつけられる。その様子を見ても、クロヒゲの手は止まらない。

「まさか、脱走か」

 クロヒゲの隣で、大男が呆れたように呟いた。大男の目には、抑えつけられた男のもとへとやってくる銀髪の細身の男の姿が映っている。その男こそこの『クロティエ商会』の船長、イズベルだった。

「違う! そんなつもりじゃない! 脱走なんて滅相もない!」

 などという叫び声が窓越しでも聞こえてくる。

 けれど、その叫び声虚しく、次の瞬間抑えつけられた男の首が飛んでいった。大男が、「あぁ」と頭を抱える。

「また掃除する箇所が増えちまった」

 頭を掻きながら、窓を拭き続けるクロヒゲをちらりと見やって、男は階段を下り始める。

「どうしてそんな無謀なことをするかねぇ。仕方ねぇ、俺も動くか」

 声が消えても、クロヒゲの手は止まらなかった。


 気がついたら、クロヒゲは怒鳴られ床掃除に戻されていた。血糊がなくなると、現地に到着できるとみてクロヒゲたちは飛行船の地下へと集められる。明かり一つない部屋に押し込められると、

「静かにしてろよ、お前ら!」

 と大男の怒鳴り声が聞こえてきた。

 休憩時間である。これから商談が終わるまでの間、クロヒゲたちは姿を見せてはならない。奴隷を雇っていると知られないように、息を潜めておくように言われているのだ。

 奴隷たちは狭い部屋のなかで身を寄せ合って眠りにつく。クロヒゲもすぐに意識が落ちるのを感じた。


 今回違ったのは、商談がいつも以上に長引いたことにある。目を覚ましたクロヒゲは、何もすることなくじっとしていた。そうすると同じ奴隷の一人が、こんこんと肩を叩いてきたのである。なるべく反応しないようにしていたら、目の前で手をかざされる。大きな手だ。今度は顔を覗き込まれた。灰色の瞳がぎろぎろとクロヒゲを観察する。

「じっとしていれば奴隷を止められるって思っている?」

 がらがら声がぽつりと告げた。クロヒゲは黙っている。話してしまったら、それは静かにしていないことになるからだ。

「思考することを止めたら、きっと死んでいるのと変わらない」

 声が更に告げる。ぽつりぽつりと、クロヒゲに反応を求める囁きが続いていく。


 どうしてクロヒゲなのだろう。


 はじめて生まれた思考だったかもしれない。何せ、他にも大勢の奴隷がいる。確かに子供の奴隷はクロヒゲだけで、後は大人ばかりだ。声の人物も、クロヒゲよりずっと大きな大人だった。唯一の子供だったから、目の前の人物はクロヒゲを試すように声を掛けているのだろうかと、推測してしまった。

「目が動いた。考えることをはじめたね」

 嬉しそうな声に、クロヒゲはむっとなった。はじめて生まれた苛々だったかもしれない。何よりこうして声を掛けてくる大人に会ったことはなかった。そう考えてから、気づく。本当にそうだっただろうかと。

 クロヒゲに命令する大男のちらりと見やる視線を覚えていた。時折やってくる料理人がクロヒゲに声を掛けたそうにしていたのを眺めていた。目の前のこの男が初めてではないのだ。

「何で話掛ける」

 言葉小さく、クロヒゲは反論した。

 それが愉快だったのか、目の前の男が喉の奥で押し殺すように笑う。一応騒ぎたてるつもりはないらしい。

「気になったからさ。好奇心は人を動かす」

 言っていることの意味は分からなかった。

「人を観察するといい。そうすれば、得られるものが増えていく」

 これは命令だろうかと考える。それならばクロヒゲは実行しなければならない。そうやって視線を動かした先で、男が杖をついていることに気がついた。

 動けない奴隷は役立たずだ。治るなら飼い続けるかもしれないが、治らなければ処分される。最期に何かしたかったのだろうと気づいたのは、ずっと後のことである。




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