その666 『船長の弱み』
きょとんとしてしまう。
「え、休んでいるんじゃないの?」
戻ってきたばかりなのだ。リュイスもワイズも自室だろう。
「いや。さっきイユの嬢ちゃんと同じで航海室に来たんでさぁ。でもやることがないの知って、何処かへ行ってしまいやした」
それなら、イユと一緒でリュイスはリュイスなりに何かしようと動き始めたのだろう。そう思ったが、それならばクロヒゲが頼まれごとなどするはずがない。
「リュイスにしかできない用事? もう一度呼び出したいのよね?」
イユの疑問に、クロヒゲは首を横に振る。
「いえいえ、そういうことではないんでさぁ」
はっきりしない言い方だった。眉間にしわを寄せたのが分かったらしく、補足される。
「ちと、らしくない気がしやして」
「らしくない?」
「えぇ。どことなく落ち込んでいるような感じでやして」
リュイスが落ち込んでいると言われても、ぴんとこなかった。そもそも、リュイスはいつもどおりだった気がする。
「そんな感じはしなかったけれど」
「リュイスほど表情を作るのが得意な奴はおりやせんぜ」
意外な評価だ。
「刹那より?」
「そうでやす」
断言されると、戸惑いさえ浮かぶ。リュイスに、イユはそういった感覚を持っていなかった。大人しくて優しく、頼りない様子なのに妙なところで頼りがいがある少年。それがイユの評価だ。落ち込むときは落ち込む様子をみせるし、辛そうなときは辛い顔をする。表情を作っているように見えたことはない。
「それなのに落ち込んでいると分かったの?」
「長年の勘という奴でさあ」
そういうものなのかと、首を傾げたくなる。
「ちょいとイユの嬢ちゃんから話をしてやってくれやせんか」
「私がいってどうにかなるのかしら」
落ち込んでいるかどうかもわからなかったのに、相談してとも言いづらい。
「リーサ嬢ちゃんとも上手くやっとりやしたし、こういうのは同年代の嬢ちゃんたちのほうが上手くいくことも多いと思っておりやす」
「そういうものなのかしら」
確かにリュイスがクロヒゲに相談を持ちかける絵は浮かばないが、それならリュイスがイユに相談するかと言ったらそれも違う気がする。
「リュイスは如何せん何でも一人でできてしまう人間でやす。けれど、人間である以上どうにもならないこともありやす」
クロヒゲはどこか恥ずかしそうに自分の髭を掻く。
「何でもなかったらそれでいいでやす。ただ気軽に話してみてくだせえ。真面目なお二人でやすから、気晴らしも必要でやす」
リュイスだけでなく、イユのことも考えての発言のようだ。クロヒゲの気遣いに、そういうことならば探してみても良いだろうと思わされる。
「分かったわ。探すだけ探してみる」
それはそうと、気になった。
「でもこういうのは、過保護なレパードこそ気にするのかと思っていたわ」
レパードはリュイスのことを特に気にしている。
けれど、クロヒゲまでとは思わなかった。リュイスは愛されいるなと感想を抱く。
「船員のメンタルは常に気をつけてみておくべきでやすから」
伊達に副船長をやっていないということらしい。
「今まで気にしなかったけれど」
クロヒゲはイユの言葉に耳を傾けている。言うか悩み、好奇心に負けた。
「どうしてクロヒゲは副船長に?」
気恥ずかしそうに顔を歪められた。
「そんな大層な理由はないでやす」
そうだろうか。セーレが特殊な存在であることは周知の事実だ。何せ、『龍族』が船長をしているのである。明確な理由もなしにほいほいとなるものでもないだろう。
「ちょいと、共通の知り合いがおりやして」
誰かと思ったら、イユも会ったことのある人物の名前が出た。
「マドンナに勧められて入っただけでやす」
イユは何とも言えない気分になった。思いの寄らないところで、マドンナが出てくる。そのマドンナは今はもういないのだ。
「マドンナとは仲が良かったの?」
「とんでもないでやす。ただ声を掛けていただきやしただけで」
深刻な顔をしたイユに気が付いたのか、努めて明るく笑われる。
「船長も、まだ小さい頃にお見かけしておりやしたので、知らない仲でもありやせんから乗っかることにしやした」
「レパードを?」
つまり、元々レパードとクロヒゲは知り合いだということになる。
「えぇ。船長は酒樽を運ぶ仕事をやっておりやしてな。よく覚えておりやす」
意外な一面を聞いた気がして、好奇心が抑えられなくなる。まさか幼少時のレパードを知る者がこんな身近にいるとは思わなかった。
「弱みを握ったような目をしておりやすが、話せることはありやせんぜ?」
表情が顔に出ていたらしく、そう笑われる。
「単に気になるじゃない。その感じだとセーレができる前からレパードは『龍族』であることを隠して生きていたのよね?」
世慣れしていると感じるのは、人の中に紛れることに慣れているからだろう。
「そうでやすね。そのときはまさか『龍族』だとは知りやせんでしたから」
クロヒゲの肯定に、イユはレパードの知らない一面を知った気がした。
「それじゃ、さぞかし驚いたでしょう。その子供が『龍族』だって知ったときには」
「えぇ。そりゃあ、もう」
嬉しそうなイユを見てか、クロヒゲは一つ思いついたようにウインクをする。
「船長は酒が苦手でやして。最初に飲みに誘いにいったときに知って驚きやしたよ。酒樽運びをしている癖して、まさか苦手とは思わないでやす」
確かに、それは知らない人が聞いたら意外な弱点だ。
「酒樽運びは良い駄賃になるんでさぁ。そんなこと露知らず、息吹きかけちまいやして。空気でも駄目なんでやすね。青い顔をしておりやした」
にやにやして聞いていたイユだったが、ふと気が付いた。
「クロヒゲって、そういえば前はどのギルドにいたの?」
酒樽運びをしていたことを知っているということは、その様子を確認できるギルドだ。そんなものの存在にイメージが湧かなくて聞いていた。
「今はない、しがないギルドでやすよ」
クロヒゲは昔を懐かしむ顔でそう答える。その顔を見てこれ以上は聞き出せそうにないなと思った。




