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カルタータ  作者: 希矢
第五章 『魔術師は信頼に足るか』
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その66 『絶望に足掻きながら』

 スズランを掻き分けるように進みながらも、覆い被さってくる影に身が竦む。岩の鳥が地面を這ってイユたちを追いかけてきているのだ。

「追いつかれるわよ!」

 振り返って、イユは叫ぶ。リュイスがよろめきながらも少し後ろで走っているのが目に映った。そのすぐ後ろで、岩の鳥の足が落ちる。スズランの花がくしゃりと潰された。

「分かって、います!」

 叫び返したリュイスの息は、切れている。そもそもふらついていて、走るのも、やっとのようである。

 進行方向に向き直ったイユは、邪魔な細木を根本から蹴り飛ばして折った。せめてと、進みやすくしようとしたのである。そうして再び速度を上げるのだが、数秒後には根本を折った木のある場所から粉々に潰れる音が耳に届く。背筋が凍る思いで足に力を込めた。

 絶望の海のなか、スズランの葉の波を掻き分けるようにして進んでいく。波はイユに抗うので、視界は最悪だ。歯を食いしばりながら思いっきり手で跳ね除けたその波の先で、見慣れない建物の姿を捉えた。

 聳えた壁は淡い水色をしていて、材質こそ違うものの飛行石そのもののようである。煉瓦に近いが、何かは分からない。ただ、スズランの葉と調和しているものの、人工のものであることは確実だ。


 ――――前時代の遺跡。


 聞いたことはあった。世の中には古代遺物(アーティファクト)と呼ばれる、未知の技術で造られたキカイがある。それは、イユたちでは到底再現のできない高度なものである為、遺跡を掘り起こして使用している。

 たとえば、イクシウスの戦艦。或いは、魔法石。セーレが着陸の際に使った、若草色の透き通るような羽でさえ、その技術の一端だ。

 そして、この場で最も重要なことは、古代遺物(アーティファクト)は総じて頑丈である可能性が高いということだ。


 入れる場所がないかを、目だけで必死に探る。そこでふと、リュイスが木を伐採するときに見つけた欠片を思い出した。同じ色をしていたことから、遺跡の壁が欠けたものなのだろうと推測する。

 欠けていた、それを手がかりにして目を凝らせば、一部壁が崩れている場所があるのを捉える。そこからならば中に入れそうだと判断する。

「入るわよ!」

 リュイスに叫び、迷わずその中へと駆け込んだ。欠けていたということは、例外的に脆いかもしれないとの不安はあったが、自身の判断を信じることにした。どのみち、このまま走り続けても、岩の鳥に追いつかれる。

 中に入った途端に、しっとりとした空気に包まれた。幸いにして中は薄暗いが、見えない程でもない。急いでいたから、遺跡独特の雰囲気も味わう余裕はなかった。ただ、ひたすら奥へ走る。

 暫くして、自分たちの足音しか聞こえないことに気がついた。振り返れば、すぐ後ろでリュイスが肩で息をしながら走っている。

「リュイス、あの鳥がいない」

 リュイスもそこで初めて気づいたように、振り返る。

 崩れた壁の入口から僅かに光の帯が射し込んでいる。一人分の隙間しかない為、岩の鳥には狭すぎるのは分かっていた。故に、力押しで入ってくる懸念があったのだが、どういうわけか影一つない。耳を澄ませても、自身の鼓動の音しか聞こえなかった。鳥の足音一つないのだ。

 大人しく諦めたのか、何か考えがあるのかが読めなかった。


 暫くは息を詰めて、立ち尽くしていた。

「気配は、なさそうです」

 リュイスの言葉に、息を吐き出す。そうしてから初めて周囲を見回した。

「ここは、一体……?」

 まず視界に入るのは、入口の煉瓦とは異なる素材の壁だ。イクシウスの白船にも似たつるつるの質感である。ただし、白ではなくそれは蒼色をしていた。その蒼がイユの前方に、天井に地面すらも、覆っている。左右は通路になっているらしい。目を凝らしても出口は見えない。同じような広くて大きな通路がずっと続いている。

 遺跡の中は、思っていたよりもずっと広そうだ。それこそ岩の鳥でも歩けそうなほどの空間がある。

「何でしょう、この遺跡は……?」

 リュイスから疑問で返ってきて、イユは肩を竦めた。

「わからないわ」

 ひとまず、抱えていたアグルを下ろす。イユの腕にべっとりと赤いものがこびりついたのを見て、息を呑んだ。

 リュイスが腰をおろし、アグルの脈をとる。

「生きてはいますが……、危険な状況です」

 アグルの顔は蒼白で、唇まで青みを帯び始めていた。今でも少し冷たいのだ。このまま放置していると、完全に冷たくなって死んでしまう。

「……刹那は無事かしら」

 今ここで期待できる唯一の手が、刹那の応急処置だ。

「あの鳥は僕らを追ってきました。だからきっと無事です」

 刹那に関する推測を聞きながら、リュイスが自身の服を破くのを見る。

「リュイスも応急処置はできるのね」

 アグルの体に包帯を巻くのを確認し、少しほっとした。見たところ、手慣れている。

「刹那ならもっといろいろなものを持っているとは思いますから、本当は合流したいところですけれど……」

 残念ながら、刹那が無事だったとしても今どこにいるかが分からない。

 他に縋るとしたら、セーレの船員たちだろう。

 しかし岩の鳥が近くにいると想像できる以上、仮にレパードがやってきたとしてもあまり力にはならないだろう。今欲しいのは医療器具や体を休ませるベッドだ。

「ねぇ、リュイスの怪我は平気なの」

 聞くと、

「はい」

 と答えが返ってくる。

「背中を強く打ち付けただけです。だから大丈夫です」

 それは唯一の朗報だろう。


「ここは……、一体なんなのかしら」

 応急手当もできないイユには待つしか取柄がない。しかしじっとしていても、埒が明かない。気配にだけは気を配りつつ、リュイスに聞いた。

「前時代の遺跡、見たところ何かの集まりの場なのでしょうか」

「円形の建物みたいではあるけれど、集まり……?」

 長い通路はよく見ると、左右どちらもゆっくりと曲がっている。恐らく走っていると、一周するのだ。

「円形の建物であれば、大勢の人間が出入りする可能性があります。今でもサーカス会場ではこういった形をしています」

 よく分からなかったので押し黙っていると、

「前時代は今より文明が進んでいたそうですから」

 とリュイスから補足をされる。前時代のことを知らないと思われたのだろう。待つだけしかできないイユは、言葉を絶やしたくなくて相槌を打つことにした。

「……飛行石を作ったのもその時代よね」

「そうだと言われています。現在、世界中の研究者が飛行石を作ろうとしているらしいのですが、まだ成功した人はいません」

 包帯を巻き終えたリュイスは、他にも怪我をしているところがないか確認している。

「どうして……?」

 何故再現できないのか、その理由をリュイスならば知っている気がして聞いた。

「技術的にどうやって作っているか想像ができないからだと言われています。文献もあまり残っていないらしくて……」

 しかし、ダンタリオンには文献が山ほどあった。現代の本も当然多いだろうが、あの中には前時代のものもある。魔術書がその一つだからだ。納得行かず、浮かんだ光景を口にする。

「あんなに本がたくさんあったのに……」

 リュイスにはその感想だけで、ダンタリオンのことを指していると伝わったらしい。

「前時代の技術を語るにはあれだけでは足りないのだと思います。それに前時代の魔術師たちにより封印がされていて読めないことが殆どなのだとか」

 それを聞き、一つだけわかったことがある。

「ブライトがもっていた魔術書もその類なのね」

「そうですね」

 他の本を巻き込んで襲ってくるあたり、相当に面倒な人間が考えた魔術書の封印だろう。ブライトが大事そうにしていたこと、兵士に追われながらも無理に持ち出したことも相まって、実はたいそう重大な魔術書だったのではないかとは考えついた。

 とはいえ、今それを指摘してどうにかなることでもない。むしろ『カルタータ』の言葉に反応していたリュイスだ。下手に魔術書への言及はしないほうが良さそうである。

「……魔術師たちはどうして封印なんてしたのかしら」

 実際、気になっていたことだ。そもそも読んでもらうために書いた書物だというのに、読めないように封印したのでは本末転倒ではないかと感じていた。

「知識を独り占めしたかったからとか、危険な知識を人に教えることに抵抗があったからとか、さまざまなことが言われています」

 曖昧な言い方に、残念ながらはっきりしたことはリュイスにもわからないらしいと判断した。



 とうとう、イユはそれ以上の話が続けられず、黙った。空気が重い。そう思ってから嘲笑する。現状を垣間見れば、至極当然のことだ。アグルは重傷。魔物がいつ現れるともしれない。そして怪我を治せる唯一の仲間の行方が分からない。この状況下で明るい会話が続けられるほど、イユたちは能天気になれない。

 ただこの現状にもかかわらず、イユの言葉を聞く相手がいる。それが今までと違って、無性におかしかった。

「……イユさんは、怪我をしていないですよね」

 今度は、リュイスが沈黙を破る。

「えぇ」

 他に返事のしようのない質問だ。もう少し気の利く話題を振ればよいのにと、言いたくなる。

「これから、どうするの」

 仕方なく話を振ると、リュイスが考え込む顔をする。

「できれば、早くアグルを設備の揃っているセーレで休ませたいのですが」

 先ほど入った隙間もとい出入り口へと視線を向けるリュイスに、言いたいことは察した。

 今、岩の鳥の気配はないが、外に出た途端襲ってくる可能性がある。そのときアグルを連れたイユたちで逃げられる自信はない。それに刹那が生きていると仮定して、岩の鳥に襲われることなく刹那と合流し、安全に飛行船に乗り込む方法が思いつかない。

「少なくとも今はだめです。あの魔物が諦めた頃に出ないと」

「それはいつなのよ」

「分かりません。……ですが、何事もなければ数刻は待ったほうがよいかと」

 アグルが保つならば、その手は最良の案だったのだろう。或いはイユかリュイスが囮になる手もある。どちらかが岩の鳥を引きつけ、その間にもう一人がアグルを背負って逃げるのだ。

 提案すると、リュイスは渋い顔をした。

「既に一度試した案ですよね」

「駄目なの?」

 一回目でさえ、刹那は最後まで引き付けられなかった。再度同じ手を使えば、岩の鳥はすぐに気付いて戻ってくる可能性がある。それをリュイスは懸念したようだ。

「駄目とは言わないですが、それならまだ他の出入り口を探したほうが良いと思います」

 確かにと同意する。

「ただ、その……、少し休憩してからでもよいでしょうか」

 はじめてリュイスから弱音らしい弱音を聞いた気がした。薄暗いせいで気付けないが、恐らくリュイスの顔色はよろしくないのだろう。背中を打ち付けただけという話だったが、リュイスのことだ。走っていたときのふらつきといい、休みをとらないと倒れる程の体調ではあるのかもしれない。

 それならばイユだけでも周囲を見てこようかと思ったが、冷たい床に転がるアグルを見てしゃがんだ。異能者施設では当たり前のように転がっていた死の間際の人間だ。構うだけ無駄なので無視して通り過ぎていたものだが、何故か今回はそうしようとは思えなかった。

「……どうにもできないの?」

 アグルを見て言う。思案顔になったリュイスに、視線を向けられる。

「上着を貸してもらってもよいですか」

 体を暖めるためだと気づいた。どうして早く気づかなかったのかと内心舌打ちする。急いで服を脱ぎ、アグルに被せる。それから頭が痛そうだと気がついた。自身の膝の上に乗せてやる。更にアグルの手を握った。想像よりも冷たい手で、ぞっとした。

「気休めかもしれませんけれど、定期的に名前を呼ぶのも効果があるかもしれません」

「名前?」

「……昔、それでかどうかわからないですけれど、助かった仲間がいたので」

 言われたとおり名前を呼んでやる。何回か続けてから、リュイスが不思議そうな顔をしているのに気づいた。

「何よ」

「い、いえ」

 視線を逸らすあたりが、納得いかない。じっと見ていると、観念したのかリュイスから答えがあった。

「その……、意外だったので」

「意外?」

「えぇ。イユさんはアグルとはあまり縁がないので、そんなに必死になってもらえると思っていなくて」

 言われたイユが驚いた。いつの間にかアグルを労ることばかり考えている。

「……こんな目にあって、助からなかったら無駄足もいいところでしょう」

 とりあえず思いついた答えを用意すると、リュイスに納得した顔を向けられた。その顔はその顔で、複雑な心境だ。

 そう考えてから、自嘲した。自身のこれまでの思考を省みたからだ。

「それに私は……、必要とあらばあなたたちを見捨てる気でいたわ。だから、そんな善意だらけの人間じゃない」

 危険な囮は刹那に、リュイスが危なくなったら自分だけ逃げよう、アグルはもう死んでいるだろうから助けることは無意味だろう。そうしたことばかり考えていた。

「それは……、ですが」

 言い淀むリュイスに、言ってやった。

「私は自分の命が惜しい。それを最優先に行動する。……だから、あまり私に期待しないで」

 助けてもらえると思われるほど厄介なことはない。リュイスは人が良いから、余計にそう考えていそうだ。優しい人は当然のように他人も自分に優しくすると思う。

 そうして、異能者施設で助けてくれたあの女のように、死んでいくのだ。

 純粋に優しい人間は、他人が悪者だということを考えないのだろう。相手に少しでも親切にされれば、その相手も自分と同じで優しい人間だと思い込む。

 イユはそうやって、イユ自身のことを美化してほしくなかった。そうした甘い世界では生きてきてはいないのだと訴えたい。変に期待をされるのは、ごめんだ。そのせいで、リュイスが死んでしまうような事態にはなってほしくなかった。

「大丈夫、わかっています。イユさんにとって、自分が生きることは大切なことなのですよね」

 確認のように言われて、頷くしかない。更に、そこまで言っておきながら、リュイスはこのようなことを言い出すのだ。

「ですが、イユさんはそれ抜きで優しい人だと思います」

 やはり、リュイスはイユを優しい部類の人間だと決めつけにかかる。それも読めていたのだから、余計なことを言うのではなかったと後悔する。

「イユさんはそうやって悩んでいるじゃないですか」

 しかし続けて述べられた言葉は予想外のもので、思わず聞き返した。

「イユさんは自分の命を第一に考えて行動しているけれど、今アグルのために上着を貸してくれています。それに、僕を見捨てて逃げてもよかったのに、見捨てずに頬を叩いて起こしてくれました。初めに僕の意見に反対してついていかないという選択肢をとることもできたと思います」

 断じて認めてはいけない。イユのなかで警鐘が鳴る。

 今イユが考えていたとおりのことが起きているのだ。イユは生きる為なら誰でも見捨てる人間だというのに、リュイスは人が良すぎる性格からイユのことを美化している。

「そんなの、他の連中だってみんなそうよ」

 最低限マシな言い訳をしたつもりで、イユはそう切り返した。

 リュイスは

「そうですね」

 としか言わなかった。


 ――――面白くない。


 アグルの名を呼んでやりながら、イユはリュイスとの会話を拒んだ。そうすれば、これ以上余計なことを言わずに済むからだ。


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