その659 『痛そう』
「何で?」
刹那もまた理解できないように呟いた。
「刹那、一応聞くが他の入り口はないのか」
レパードもどこか呆然としていたが、僅かな可能性に縋るようにそう尋ねる。
「ないと、思う」
辿々しく答える刹那は、ふと何を思ったのか入り口の塞がった祠へと近づいていく。そうして岩の前へと跪くと、耳を岩に当てた。
「刹那?」
「中の様子を探っているのだろう。空気があれば中の人間は生きている」
ミスタの説明にはっとする。元々逃げ出した先が祠に繋がっているのだから、空気はあるはずだ。それに、祠の中も全てが岩で埋まっているかどうかはまた話が別である。
「リュイス、いる?」
刹那が岩へと声を掛ける。イユも近づいて、名前を叫ぶ。分厚い岩だ。イユたちの声は届かないかもしれない。そもそもリュイスたちが生きていなければ、返す声もない。耳を澄ませ、異能を最大限に活用する。リュイスたちの誰かが何かに力を込めようとしていれば、それを察知するのだと意気込む。
はじめに聞きつけたのは、耳だった。微かだが、確かに聞こえたのだ。
「リュイス?」
刹那には聞こえていないようだ。イユは叫んだ。
「リュイスの声、聞こえたわ。生きているのね!」
相変わらずの無表情でわかりにくいが、刹那の安堵は伝わってきた。
岩の先では、力を感じる。魔法の類ではなく、歩こうとする力だ。リュイスで間違いないだろう。恐らく、祠の中は普通に動けるのだ。
「岩、私達でどかせないかしら」
同じように近づいてきたミスタとレパードに問いかける。
「やるしかないだろう」
相談しあっていると、祠からリュイスの声がする。
「大丈夫です。むしろ危ないので下がってください」
今度は刹那たちにも聞こえたらしく顔を見合わせた。
「中から魔法で飛ばすつもりか」
「はい」
刹那は小首を傾げる。
「リュイス、少し見ない間に大胆になった?」
「そんなつもりはないのですが……」
不本意そうなリュイスの顔が浮かぶ。その顔が元気そうだったから、安心した。
「まぁ、手があるということよね。それなら十拍後にして。私達はその間になるべく下がるわ」
イユの提案が通り、四人は大急ぎで祠から離れる。少しすると、爆音と共に岩が外へと弾き飛ばされていった。
「やっぱり、大胆」
刹那の感想に、納得しかける。確かにこれでは周囲に音が響き渡ってしまって、人を寄せ付けかねない。
一通り岩がなくなった頃合いを見計らって、イユたちは戻ってくる。祠は先程の岩が嘘のように入り口を開けている。そこに見知った翠の髪が見えた。
「リュイス!」
嬉しくてつい叫ぶと、笑みが返った。眩しさに目を細めているせいか、少々ぎこちのない笑みだ。
「やれやれ、ようやく来ましたか」
更に祠の奥から愚痴とともに出てきたのは、ワイズだった。杖をついてはいるが、起きているとは思わず安堵する。青い顔をしたワイズの視線が、ミスタを捉えて止まったのを確認した。
「おや、合流できたようですね」
相変わらず淡白な反応だ。ただ、いつもの辛口がないあたりに、体調の悪さを感じた。実際、ワイズから杖を取ったら倒れそうなほどには、ふらふらしてみえる。
「タラサで迎えに来たわ。ミンドールたちは?」
「生きてはいますが、それだけです。ここまでの鈍足っぷりは今更ですから指摘しませんが、代わりに早く運んでもらえると」
少しだけほっとできたのか、口の悪さが戻りかけている。
「わかっている」
「こっちです。担架を広げるスペースはありますので」
リュイスの案内に、イユたちは早速祠の中へと入った。
殆ど入り口から離れていない場所で、ミンドールたちは寝かされていた。見る限り、ミンドールたちの容態はあまり変わっていない。ワイズの魔術で悪化こそしていないのが救いだろう。ミンドールの意識は当然のように戻っておらず、レヴァスはうわ言を呟いている。ペタオも羽が折れたまま辛そうに鳴くだけだ。
イユたちはすぐに担架を組み立てる。早くしないと、音を聞きつけた人間に見つかるかもしれない。幸い手早い刹那がいれば、苦戦はしなかった。傷にさわらないようにミンドールを担架に乗せて、レパードとミスタが動き始める。レヴァスを運ぶのはイユとリュイスだ。ペタオは刹那に抱かれて嫌そうに鳴いている。
入り口に戻ったときには、特に人気はなかった。先頭をいく刹那も安全と判断してか進み続ける。すぐにレパード、ミスタと続く。担架を握るリュイスが眩しさのせいか足を緩めるので、イユはたたらを踏みかけた。
「眩し過ぎですね」
後ろにいたワイズの呟きが聞こえる。二人共ずっと祠にいたせいで、眩しさになれないようだ。
「いつからあんな岩で塞いでいたの」
「人がやってきてからですから、二日前でしょうか。リュイスさんの魔法で一部を切り崩すように頼んだのですが、まさかこれほどとは思いませんでした」
リュイスの魔法の威力を見誤っていたらしい。入り口を少し塞ぐつもりが思いの外岩が崩れてきて焦ったという。下手をしたら本当に崩れていたかもしれないので、危険な賭けだ。中がほぼはじめのままの形を保っていたのにはそれこそ幸運もあっただろう。
「話していないで、急ぐぞ」
レパードに注意され、イユは頷く。気になるが、今はそれどころではない。両腕に伝わる重みに、ぎゅっと手の力を込める。レヴァスが苦しそうに吐息を漏らす。誰かの名前を変わらず呟いている。動こうとするのでつけたベルトが軋む音がした。
治るかはわからない。だが一刻も早く、設備のあるタラサに戻りたかった。
幸いにも道中誰かに見つかることはなかった。タラサに入り込んだイユたちは、待っていたリーサとマーサに迎え入れられる。
「早く医務室へ」
刹那の指示で医務室に駆け込む。ベッドは既に用意されていた。そこに、まずはミンドールを寝かせる。続いてレヴァスだ。ペタオも刹那から開放されて一人分のベッドに落ち着いた。
「背中の傷が開いてる……」
ぽつりと呟いた刹那に、イユはぎょっとした。
「薬は?」
「勿論、使う」
「えぇ、これね」
ワイズに問われ、マーサに薬を渡された刹那がすぐに投与を始める。手にしていたのは、命の妙薬だ。
「うぅ」
「レヴァス?」
ミンドールに気を取られてばかりではいられなかった。レヴァスが身動ぎをしたのを感じ、ベッドへと視線をやる。
そこに、レヴァスの虚ろな瞳が、くわっと見開かれる。身体を起こし、イユへと指を突きつけた。
「駄目だ」
はっきりとした口調だった。
「殺すんじゃない!」
叫ばれたイユがぎょっとした。言葉の意味を反芻できないでいるうちに、レヴァスの身体がくたっと落ちる。
「レ、レヴァス?」
目は開いているが、虚ろに戻ってしまっている。ぶつぶつと呟きが聞こえるが、言葉にはなっていなかった。
イユの心臓がバクバクと鳴っている。突然のこと過ぎて、理解が及ばなかったのだ。助けを求めるように周囲を見回してから、近くにいるリーサの顔が誰よりも青いことに気が付いた。
「大丈夫、リーサ?」
「え、えぇ」
イユがまだ心配そうに見ていることに気がついたのか、言いにくそうに言葉を付け足す。
「こんなに酷いだなんて思ってもいなくて」
ミンドールもそうだが、一番の衝撃はやはり今のレヴァスだったのだろう。普段の彼を知っているリーサたちには強烈だったはずだ。イユもまた、そうだった。
「それに、あなたが……」
リーサの視線の先にいたのは、青白い顔をしながらもヴァーナーの近くに立っているワイズだ。どうも他の船員の容態を確認しているらしい。
視線に気づいて振り返ったワイズに、リーサはびくっと身体を震わせる。
「大丈夫よ。話は聞いていたのでしょう?」
「えぇ、私達を助けて下さったのよね」
そうは答えるものの、リーサの表情はぎこちない。本能的に『魔術師』を怖いと感じているのだろう。それも当然だった。ブライトのときとは決定的に違う。リーサたちは克望という『魔術師』に襲われて鳥籠の森で軟禁状態になっていたのだ。
既に怖い思いをしたあとで出会う『魔術師』は、たとえ子供であっても恐ろしいだろう。
リーサだけではない。朗らかに受け止められるのはマーサぐらいなものだ。友人のヴァーナーの状態に胸を痛めているだろうレッサが浮かぶ。今は航海室で離陸準備を進めているラダは『魔術師』のせいでセーレを失ったと思い返す。クロヒゲも今でこそ歩いているがまだ魔物に襲われた怪我が酷い。これもまた、『魔術師』のせいなのだと意識する。
セーレの皆はイユのときでさえ、また同じ目に遭うのではないかと恐れていた。そんな彼らを知っているからこそ、ここにはいない彼らが、果たしてワイズの存在を許せるものなのだろうかと不安を抱く。
それに、実際に酷い目にあったヴァーナーたちはどうなるだろう。彼らの受けた心と身体の傷は、それこそ許せるものではないはずだ。だからこそ、まだ目を覚ましていないのを吉と受け止めて良いのか、イユにはよく分からなかった。




