その658 『消えないからこそ』
船内をぐるりと歩いて問題ないことを確認したイユは今、甲板に出ている。レパードとイユとで見張りだ。あと少しで到着と聞いていた。
甲板から見下ろす景色は、鳥籠の森から普通の森に変わっている。森から主は襲ってこず、船内にもいなかった。暴発した力は、倒しきったと思ってよいのだろうか。判断がつかないのが怖いところだ。
「リュイスたちは大丈夫かしら」
手持ち無沙汰になったので、話を振る。レパードはヘリに身を預けて風を感じているところだ。イユとは違い、船内を見る方向である。
「見つかっていないとは思いたいな」
聞いたものの、リュイス単身ならよほど大丈夫だろうとも思っている。心配なのは力を使い過ぎて倒れているだろうワイズと、怪我の酷いミンドール、心を壊されたレヴァスだ。その三人を抱えた状態で祠にいる故に、見つかったとき逃げられるかが不安だった。特に不殺を徹底するリュイスは、一度でも目撃されると不利だ。口封じができない。何も犠牲にせず、綺麗事だけでできることには限りがある。リュイスが今までそれを避けていられたのは一重に技量と幸運の積み重ねだ。
「リュイスの心配もだが、俺たちも注意が必要になる」
「分かっているつもりよ」
なにせ克望暗殺の濡れ衣を着せられているのだ。『異能者』のために弁明の機会も与えられず、見つかったら即刻首を刎ねられることだろう。
それが分かっているからこそ、タラサに出入りしていることだけは見つかってはいけないと、そう考える。
確実にイユたちが見つからない方法はタラサにこもっていることだ。レッサやミスタたちだけで救助に向かわせるという案も出たのである。結局その案をとりやめたのは、リュイスたちもイユたちと同じ立場だからに他ならない。当然だが、けが人がいるのだから、行きより帰りのほうが見つかる可能性は高い。これ以上克望暗殺関係者を増やすよりはイユたちで動いたほうがよいという意見である。くわえて、単純に祠までの道が分かりにくいというのもあった。一度訪れたことのあるイユたち――、少なくとも周辺に詳しい刹那はいざというときのためにも、いたほうがよい。
けれど、ミンドールとレヴァス、場合によってはワイズも運び込まないといけないとなると、まだ人手がいる。そこで、ミスタの出番である。怪我人のクロヒゲや肉体労働向きではないレッサを連れていくのでは心許ないから、納得の人選だ。
「実際のところ、体調は問題ないか」
「大丈夫よ」
どうやらまだ心配していたらしい。今のイユならば、人の一人や二人担げると言ってやる。
「それより刹那のほうを心配すべきね」
刹那は見た目だけならば元気なのだ。だからこそ、掻い摘んで状態を伝えなくては、誰も気づかない。
「力が薄れている、か。確かに気をつけてみておかないとな」
レパードは、神妙にイユの言葉に耳を傾けたように見えた。それから何を思ったのかまじまじと見られる。
「何よ」
視線に耐えられず、口に出した。
「いや、イユはもう刹那のことを許したんだなと」
言われて、きょとんとしてしまう。徐々に考えて思い当たった。確かに、元はと言えば刹那のせいで仲間が酷い目にあっている。それなのに刹那を心配する言葉はおかしいと思われたのかもしれない。
「許したわけじゃないわ」
「そうか」
「そうよ。罪はなくなるものじゃないもの」
言いながら自分にも言えることだと、ちくっと心が傷んだ。被害者ぶることなどできない。イユが暗示に掛かったのはイユの失態であり、そのせいでセーレの皆に危害が及んだことも事実だ。やはり、レパードははじめにイユが異能者施設にいたとわかったあのとき、イユを撃つべきだった。そう思えるほどには、イユもやらかしていると感じる。
「でも、殺す殺さないの話にならなくて良かったとは思っているわ」
命で贖えなどと言われたら、今のイユはいない。それならば、刹那が死ぬのも間違いだ。死とは機会を奪うことだ。その人と紡ぐはずだった縁も、思い出を作る可能性も、全ての未来を無に帰す。そこまでのものを、イユは刹那には求めていない。それは事実だ。
「まだ皆は混乱状態だ。刹那のことは保留になっている」
「それって、仲間が何をいうか次第では命がないということ?」
イユがセーレに残りたいと言い張ったときのやり取りを思い返す。過去、船員たちの中にはイユを殺せという者もいた。ヴァーナーやレンドは特に、リーサやアグルの命が危ういと思うと過剰になる。他者を想う故に攻撃的になる人間がいることを、イユは知った。
「命まではなくてもな。あいつらはミンドールやレヴァスの状態を見ていない」
頷いた。イユのなかのわだかまりが消えても、刹那の罪は消えない。きっと刹那はこれからが大変だ。そしてセーレの仲間も刹那をどうするか、イユのときと同じような悩みを抱えることになるだろう。
「裏切った先に何があるか、か」
ぽつりと呟かれて、イユは顔を上げた。
「何?」
「いや、俺もイユには同意見だと思ってな」
レパードが視線を空へとやる。曇った空の隙間から、ところどころ光が零れていた。
「まだ数名しか起きてないからな。全てはこれからだが、俺も殺す殺さないの話が持ち上がらなくて良かったと思っている」
「レパードは、刹那には甘いわね」
イユのときは大変だったのにと、そう言わんばかりの視線を向けてやる。
「お前のときも同じだ。餓鬼を殺す趣味はない」
実際のところ、刹那が見た目通りの子どもであるかは甚だ謎だ。刹那が異能で生まれた存在なら、きっと生まれたときから他の式神と同じであの姿だろう。それで何年が経っているのかは本人に聞いていないので分からない。
「そろそろ着くな」
イユもまた空を仰ぐ。霧のない、シェパングの空。その灰色の世界から見下ろした大地に、瓦と木でできた見覚えのある屋敷が覗いている。
着陸した飛行船は、人里から離れた茂みの中にある。本当は大きい為、逆に人混みのあるところに紛れたほうが見つかりにくいのだが、今回は担架で仲間を運ぶことになるのでたいそう目立つ。これ以外に手はなかった。
「準備はいいな」
レパードの確認に、イユ、刹那、ミスタは頷く。イユとレパードは念のためフードを被っての移動だ。目立つことこのうえないが、こんな茂みで出会うのは大抵が魔物だろう。
「こっちが祠」
刹那の道案内で進んでいく。イユもレパードも一度は来た道だが、刹那がいなければ危うかった。茂みはどこを切り取っても同じ景色に見える。迷う様子をみせない刹那に、感心したくなるばかりだ。
幸いにも、道中人間に出会う機会はなかった。お尋ね者を捜索している人物がいるかと懸念していたのだが、気負い込みすぎだったのかもしれない。
だから、祠までは順調に着いた。祠の姿を認めたイユはたまらず走り、足を止めた。
「どうした?」
イユは振り返って、レパードたちを見た。全員がよくわからないという顔をしている。だからこそ、口での説明が憚られた。
言葉よりも先にと、視線を祠へと向ける。イユの視線が再び祠だった場所へと向いた。
そう、祠はそこになかったのだ。少なくとも、入り口らしき場所は崩れきっていた。ごろごろとした大岩が、入り口があったはずの大穴から溢れて、転がっている。中の人間ごと埋もれているのではないかと思うほどだ。
「何なのよ、これ」
思いもよらぬ事態に、平衡感覚がなくなった気がした。




