その655 『残党狩り』
はじめに感じたのは、痛みだった。頭のずきずきする痛み、背中の打った痛み、皮膚に感じる火傷のような痛み……。
いろいろな種類の痛みを抱えて、何よりもまず痛覚を鈍らせようとした。思考がままならなかったのだ。そこで力を意識したことではじめて、自分以外の誰かの力が周囲にあるのを感じ取った。
思わず目を瞬いてから、目を閉じたままだったことに気がつく。
「イユ。目、覚めた?」
視界の先で、刹那が小首を傾げている。その手に持っているのは桶だ。水をたくさん吸った布がぷかぷかと浮いている。
刹那、と呼びかけようとしてむせる。駆け寄ろうとする刹那を制し落ち着いてから、唾を呑み込んで喉を潤わせる。
「刹那、無事だったのね」
どうにか言えた。
「イユが言う?」
問われてから、自分がベッドにいることに気が付いた。刹那の向こう側にある壁が白い。いつの間にか、イユたちはタラサの医務室にいるようだ。
とはいえ刹那の指摘に対し、大人しく納得する気にはなれなかった。確かにベッドで気を失っていたのはイユのほうだ。一方で刹那は五体満足で怪我もなくいつもどおりにみえる。顔色も悪くなく、衣類に傷もない。爆発に巻き込まれたとは到底信じられないだろう。
だが今のイユには、主のときに視えた、力とでもいうべきものが感じ取れる。だからこそ、刹那にあるはずの力があからさまに弱まっていることもわかってしまう。いつその力が消えてしまうのだろう。ゆっくりと這い寄ってくるような不安がイユの胸に宿る。思い出せたのは、屋敷での出来事だった。
「式神は斬られたら紙に戻っていたわね。刹那も同じなの?」
刹那は小首を傾げてみせる。刹那のやり方は、段々分かってきている。この式神は案外狡いのだ。不都合な質問には答えない。
代わりに、イユは目を閉じた。意識を集中させる。
「違うわね。刹那は紙ではなくて……、これは蝶?」
一瞬だが、蒼色のシルエットが視えた気がしたのだ。
「私、虫?」
だがそう問われてしまうと、イユとて答えづらい。お前は虫だと言ったのも同義なのだと気付いて、むしろ気まずささえあった。
「いいわ。病み上がりの寝言と思って、忘れなさい」
刹那はこくんと頷いた。五分後には本当に忘れていそうな反応だ。
「それより、あれから何があったの? ここには私達とラダとシェルしかいなさそうだけれど」
隣のベッドへと首を向ける。盛り上がったベッドの先で見覚えのある髪色が覗いている。寝息も聞こえない静けさが、更なる不安を誘う。
「奥の部屋に、ヴァーナーたちも寝てる」
イユの角度からは見えないが、そうらしい。僅かに感じる力に、イユは頷いた。
刹那には続きを促す反応に見えたようで、説明を始める。
「あれからタラサに入ったら、皆倒れてた」
その一言に、イユはぎょっとした。
「それって、クルトやシェルが?」
中にいたのはクルトとシェル、ライムだったはずだ。ミスタとレッサとアグノスがリーサたちと一緒にいたから、刹那が主のもとへ行けたのだと記憶している。
「一体、小さいのが紛れてた」
「主が?」
それではイユたちは全ての主を倒せていたわけではなかったのだ。のんびり寝ている場合ではないと身体を起こす。
その途端目眩がして、再びベッドに吸い込まれてしまった。
「大丈夫。動く必要ない」
「なんでよ」
「皆で掃除した」
掃除という響きに、怪訝になる。その表情が伝わったのか、刹那からの説明が続けられる。
「主は力を奪えないと分裂できない。それに一度姿が見えるようになったら、見えにくくなる状態には戻れないみたい」
前者は分かる。実際供給する力を断ったから主はまとめて倒せたのだ。後者も問題ない。元々不安定な力を正常化させたのはイユだ。再び不安定になる要素がなかったということだろう。あの力は主の意思によるものではない。
「タラサの中に入ったら、外とは隔絶された。供給源を求めてやってくるから、そこを抑えればよかった」
それはつまり、クルトたちを皆で護衛したということだろうか。そう考えたイユは、次の刹那の言葉に声を上げかけた。
「南瓜植えたところを皆で守った」
「霜陰南瓜ね!」
南瓜を植えたのが凄く昔のことのようだ。懐かしさを感じて思わず声高になってしまった。そのせいで、咽る。水を貰い、話せるようになってから、興奮の醒めないままに口を開く。
「それだと南瓜は枯れてしまったのかしら」
「大丈夫。その前に駆除した」
刹那の主への扱いが段々汚れやら害虫やらになってきた気がするが、そこには突っ込まないでおいた。それよりも、生命力を求めた主の力がタラサにどれほどの被害を出したかのほうが重要だ。
「クルトたちは無事なの?」
「目は覚ましてないけど問題ない。部屋に寝かせてある。主は人間を鳥籠に入れるまでは殺そうとしないから」
本当は大きな手で潰そうとしたり、首を絞めたりもしてきた。ただそうならなかったのは、今回の主が掃除や駆除と言う言葉で片付けられるほどに小さいからだろう。そして力も残っていないから、分裂もできなかった。クルトたちから力を奪っても足りず、彷徨った結果厨房に辿り着いたということかもしれない。
それに、タラサの扉がこじ開けられていなければどこかにある隙間から入ってきたことになる。そうなると、小指ほどのよほど小さい大きさなのかもしれない。それから力を吸って多少大きくなったとみた。
小さいからと言って安堵はできなかった。他の可能性に気がついたからだ。
「それだけ小さいのもいるとなると、まだ取り残しがありそうね」
現に一体いたのだ。爆発を逃れたものが他にいても驚かない。
「否定はできない。ただ、今のところは襲ってきてない」
現状襲われていないから良しとしようということらしい。そこまで聞いてから、イユは今更ながらに隣でラダが寝ているという意味に気がついた。
「ちょっと待って。まだ私達、鳥籠の森にいるの?」
操縦士のいない飛行船だ。動かせるはずがない。そして鳥籠の森にはまだ、主の生き残りがいるのかもしれない。森の中であれば、主は無限に分裂してしまえる。
刹那がこくんと頷いた。
肯定の合図に、イユの全身の中の血が冷えた気がした。




