その650 『正体』
すぐさま蹴り飛ばすと、手は意外なほど簡単に消滅する。イユ単体であったらものともしなかった手だ。逆にレパードの魔法だけでも、上手く繕われて傷ついたと認識できなかったのである。それが、イユとレパードの二人の合わせ技であれば、効果がある。刹那が魔法石を投げつけてナイフを使うのと一緒だ。
だが、声の聞こえた本体と思われるそれを消しても、主そのものは消えなかった。
なんとなく、そんな気はしていた。主は愚かではない。いきなり本体を引かせるとは思えない。残念ながら声が聞こえることがそのまま主の本体というわけではないのだろう。きっとどの手を捕まえても声はする。
それがはっきりしても、今すぐ尻尾を巻いて逃げるという気にはならなかった。今は少しでも手掛かりが欲しいのだ。無茶はしたくないが、欲はある。それに、イユの気持ちとは裏腹に主は襲いかかってくる。
再度やってきた別の手へと蹴りつける。意識が飛びかけたその瞬間に、雷の魔法はこなかった。振り返ったイユの目に、レパードたちへと飛びかかる手が映る。数が多い。レパードたちをすっぽり覆うほどいた。これでは、レパードはイユの様子を確認できない。
主の対策が速すぎる。イユたちの合わせ技を防ぐべく、イユではなくレパードを狙ったのだ。
危機感を抱いても、このときにはもう何もできなかった。体力を奪われてしまったらしい。身体中から力が抜けて、身動きがとれない。動けない身体が、すぐさま別の手の中に収められる。
意識が混濁するなか、どうにか気を立たせて、声を聞こうと集中する。立ち上がったり逃げ出したりする選択肢はない。イユの今の力では、どうにもならない。早くもマーサに心のなかで謝罪する。
今のイユにできることは、レパードがきっとそのうちに魔法を撃つと信じて、耳をそばだてることだ。鳥籠まで運ばれる間は、手はイユを殺そうとはしないはずだ。だから、身体に力が入らなくとも意識だけは保たなくてはならない。声を、聞くのだ。
「カゴニハイッテ? ニゲナイデ?」
聞こえてきた声に、反応できるほどの意識は残っていなかった。ただ、ぼんやりとその音を聞く。聞くことだけは、続けている。
「ワタシノモノニナレバイイ」
鳥籠に入れてしまえば、逃げられない。どこか遠くへいってしまうこともない。失いたくないのだろう。籠に閉じ込めれば自分のものになると思っているようだ。
しかし、どうしてそこまでして、閉じ込めておきたいのかが分からない。一体主は何を望んでいるのだろう。
「ワタシノモノニナレバイイ」
――あなたのものになったら、どうなるの?
心の中の問いかけだ。口には出せない。故にだろうが、答えはない。断片的になった思考が問いかけの答えを掻き集めようとする。同時に鈍らせていた苦しみがふつふつと返ってくる。痛みを奪うのは後回しにされたらしい。
だから、身体中の力が抜けた結果、倦怠感に覆われている。瞼が重い。耳も閉じてしまいたい。そうして、無になってしまえばよいのだ。そうしたら――――
「ワタシノモノニナレバイイ」
――――あなたのものになったら、楽ニナル?
「イユ! しっかりしろ!」
声にはっとした。レパードに、マーサが何度も名前を呼んでいる。意識が揺れ戻る。
声を出そうとして、中々言葉にならなかった。何故かまだ自分の体が自分のものでないみたいだった。
満足に動かない口に苛苛してきたところで、目を閉じたままだと気がつく。
開けると、心配そうに覗き込むレパードの紫の瞳が見えた。その途端、思い出したように口の感覚が戻ってくる。
「レパード?」
「すまん。刹那が助けなかったら……、今頃は」
鳥籠に入れられたら、刹那の力では開けられない。だからその前に助けられたのだろう。
「やっぱり、無理はすべきじゃなかったんだ。魔法も何度もうっていいものじゃない。仲間にしていいことでは」
「分かったわ」
レパードの言葉を遮るように、告げた。何故だろう、心配するレパードたちをみていたら、思考がしっかりしてきたのだ。身体を起こそうとして、満足に起きられないことに気が付く。マーサが手伝ってくれて、ようやく半身を起こせた。どうも、身体が痺れてしまって動きが悪いようだ。レパードが仲間に魔法を打ちなくないといったのはこのことだろう。雷に当たりすぎたのか、気絶したイユを助けようとしてつい強く撃ったのかは分からない。
「イユちゃん、分かったって?」
不思議そうなマーサにイユは頷く。口は動くが舌は中々回らなくて、言葉を紡ぐのに時間がかかってしまった。
「主の正体よ」
森の主の正体は森の主ではなかったと、イユは問いかけのようなことを呟いた。
「それはどういう?」
戸惑う表情のレパードに、イユはどうにか口を動かす。
「同じ言葉しか繰り返さないの」
主の目的は鳥籠に入れることだ。そうすることで自分のものになると思っている。そこまでは良い。だがそれ以外が主にはない。
「つまり、主は魔物じゃないと思うわ」
どちらかというと、機械だ。魔物ならば餌を食べたり人を襲ったり、生物らしい活動をする。魔物の心など覗いたことはないが、彼らが生きていることだけは違いないだろう。最も、雨のフリをするアマモドキほどになると、イユにも生命と言ってよいか確証はない。それにイユが聞いたのは声で、森の主の心そのものではない。ただ、人から覚えた言葉を繰り返している可能性もなくはない。結局のところ、イユは森の主が生き物ではないと感じた、その直感が全てともいえる。
「魔物じゃないなら何なんだ?」
機械にしては歯車の一つもない怪しげな存在だ。けれど、イユは明確な意思を森の主に感じていた。かたや繰り返すといい、かたや意思を感じるというあべこべ。そこにイユなりの解釈がある。
「力よ」
それも、おそらくは。
「これは、『異能者』の力が暴発したものだと思うの」
暴発した力は、ただ力となってその場に残る。だから、ないとは言えないのだ。鳥籠に入れておきたかった何かに対して、力を使ってしまった『異能者』。それが暴発して、きっと本人をも巻き込んで膨れ上がった。影を使った力なのは間違いないのだろう。その影が見えたり見えなかったりするのは、力が暴発して安定していない状態だからだ。そして発揮した力は中途半端にあった『異能者』の意思に則って、次から次へと鳥籠に入れようとする。消えるきっかけもなくその場に残り、増やし続けている。思考があるように感じるのは、『異能者』の行動や知識を再現している可能性に加え、力にも意思が宿ることがあるからかもしれない。
「力に意思が宿っただと? そんなことが」
レパードの疑問にイユはどうにか舌を回す。
「あるわ。現に私たちは知っている」
イユの視線に気がついたのだろう。レパードとマーサがそこへと向き直る。
そこには主の手を退けて舞い降りた、一人の存在があった。
「つまり、私と同じ」
蒼色の瞳をイユたちに向ける。その目は真っ直ぐに事実を受け止めたように見えた。




