その65 『ロック鳥』
暫くは走り詰めだった。翠の葉の合間を縫うようにして刹那が先頭を走り、それをリュイスが追いかける。急を要するとはいえ、二人共想像以上の速さだ。背を追いかけるイユは異能を駆使しているにも関わらず、見失わないようにするのに必死になる。邪魔なスズランの花を押しのけると、右上から今度は葉が垂れ掛かってくる。それを手で更に押しのけて進んだところで、刹那の声が聞こえた。
「ここ」
前方に、リュイスと刹那の姿が見える。追いついたイユは荒い息をついた。リュイスの肩も上下している。
前方を見る余裕ができるまで息を整えてから、気がついた。
今いる場所は、イユたち三人が横に並んで歩けそうなほどにひらけている。それは、周囲のスズランの花が残らずなぎ倒されているからだ。根本からやられているものもあり、何か重たいものに踏まれたと分かった。
さらによく見れば、葉に斬ったような傷が入っているものがあることに気付く。刹那かレンドかアグル、三人のうちの誰かがつけたものだろう。
当然だが、わざわざなぎ倒されたスズランの葉に屈んで傷つけた訳がない。スズランの葉は、三人がいた頃には折られていなかったことになる。それが魔物の乱入により、突然折られた。
スズランはイユたちよりもずっと大きい。それを踏みつけるという行為から、魔物の大きさを改めて意識させられる。ダンタリオンの本が集まってできた魔物よりもずっと大きそうだ。レンドの言葉通りである。
「ここで魔物に会った」
刹那がぽつりと零す。
「凄まじかった」
続けられた言葉は、何故か三人の間を漂って、中々消えなかった。
「今はいないみたいですね」
気配に敏感なリュイスの発言に、少しだけ息がつける心地がした。そうしてから、緊張していたことを自覚する。一人で魔物とやり合ったときとは違う、独特の緊張感がそこにはあった。
大きく息を吸って緊張を解せば、すぐに道があることに気がつく。正確には、周りのスズランがなぎ倒されて道があるように見えている。汽車でも通れそうな幅広である。魔物が通った跡なのだということは、嫌でも察する。
「行きましょう」
リュイスの声に、歩き始める。口の中が渇いていくのを強く感じた。
もし刹那たちが見た鳥のような魔物が、他の鳥と同じように巣をつくるのだとしたら、これは魔物の巣への帰路を示していることになる。魔物が帰った先では、雛鳥たちが口を開けて待っているのだ。雛鳥たちの餌は人間の肉だ。アグルなど、その魔物たちにあっという間に骨も残らず平らげられてしまっていることであろう。
より具体的になった自身の想像に身震いする。いよいよ脅威度が上がってきていることを肌で実感する。リュイスたちを身代わりに逃げると言っても、限界がある。そもそも、本当に置いていって逃げるなどということをして良いのかと、問い詰める心の声もある。
せめてと、血の痕跡がないかを探りながら歩く。確実にアグルが死んでいるという情報があれば、リュイスたちも危険を冒してまで魔物の巣に突っ込みはしないだろう。
「あれって……」
そうして目を凝らしたことで、それを見つけた。垂れ下がったスズランの葉に引っかかっている。
「アグルの、バンダナ」
そう呟きながら、すぐに葉から切れ端を抜き取る刹那の動きは早かった。大切そうにイユたちの前に広げてみせる。
「間違いない」
刹那の手にあるバンダナを凝視するが、元が赤いこともあって血が付着しているようにも見えなかった。これだけでは、生きているのか死んでいるのか決定打に欠ける。
「先に進みましょう」
リュイスの言葉に、刹那は頷いている。イユも再び歩き出した。
目を凝らして進んでいけば、他にも衣服の切れ端か運がよければ骨ぐらいは見つかるかもしれない。
そう考えながら、周囲をよく探っていく。そうして人の死の痕跡を探していると、心がざわめくのを感じた。気づいたのだ。
今回は偶然、殆ど会話も交わしていないアグルであった。しかし、これがリュイスやリーサであったら、どうだろう。クルトやマーサだったとしても、平静でいられた自信がないと。
おかしな話である。今まで異能者施設では、何度も人の死を目撃し、その度に見なかったことにしてきた。当然、その中にはイユを気にかけてくれた人もいた。イユが見捨てたことで命を落とした者も大勢いた。
だからこそ、動揺をする心に、驚きを覚える。
――――今や、イユは異能者施設にはいないのだ。
その事実を実感したとき、焦りが生まれた。甘えていると判断する。
たとえそれが身近な人の死であっても、動じることは許されない。理想のなかのイユはもっと打たれ強い心を持ち、ただ生きることに必死であり続けるべきなのである。そうでもしなければ、この先生き延びることはきっとできない。何より人の命の価値はあまりに軽いということを、異能者施設で嫌というほど学んできた。その考え方だけは、施設に置き去りにすることができない。
「いた……!」
刹那の声に、意識を引き戻す。前方にいる刹那の更に先に、広い水場があった。不思議とスズランのような大きな草花はそこにはない。草原になっている。うっすらとした霧を通して、日の光を浴びた翠が、いきいきとして見えた。同時に澄みきった水も、キラキラと光っている。信じられないほど美しい場所だ。
――――ただ一点、小石を積み重ねた不相応な山が、景観を乱していることを除けば。
白や鼠、黒といった、およそこの島に似つかわしくない配色でその岩山は構築されている。
そしてそこに、魔物もいた。まるで山の隣に浮いた小島のようである。
同時に、レンドが言っていたことの意味がようやく理解できる。魔物の皮膚が文字通り岩でできているのだ。巨大な小島ほどの岩石を鳥の形に彫ったという説明が一番しっくりくる。岩の鳥としか形容できない姿だ。あれでは、刃物など歯が立つはずもない。
そして鳥というからには、羽があった。飛行石の空色とは違う、土色の醜い色の両翼だ。それが動き、巣のつもりか積み上げた山を守るようにして、弧を描いて飛んでいる。どういう原理で飛べるのかは、全く分からなかった。
「見つけたわ」
身を隠すため屈んで様子を見る二人に、小声で告げた。小山の頂上に何かがぐったりと横たわっている。金髪に細身の体。遠くからでも分かる。間違いなく、アグルだ。
「あいつの巣の頂上にいるわ」
更にじっくり観察する。残念ながら生きているかどうかまではわからない。角度が悪いのだ。もう少し高いところから確認しなければはっきりしない。
「鳥、どうして、ずっとぐるぐる……?」
刹那の質問に答えられる者はいない。はっきりしているのは、ああして飛び回られたら近づくことができないということだ。
「囮がいるわね」
イユは提案する。
「足の速い人物か身軽な人物。その間にアグルを助け出せばいい」
イユの頭の中ではアグルは助かっていないので、実際に連れ出すのはアグルの死体だ。そこまでする必要があるかは甚だ謎ではあるが、リュイスたちの性格を考えるとそう言うよりない。
問題は誰がそれをやるかだろう。三人は顔を見合わせる。適任なのは認めたくないが、イユな気がした。異能でいくらでも走れるからだ。
「私、行く」
刹那がそこで立候補する。
「いいのですか? 危険ですよ」
リュイスが驚いた顔をしている。イユも少し悩んだ。刹那は確かに身軽だから、岩の鳥から逃れることはできるかもしれない。しかし、イユのような異能者ではないのだ。いつか、体力の限界が来るだろう。
「うん、平気」
「わかったわ」
空を飛べるリュイスはアグル救出に回したほうが断然よい。そうなると残っている囮の適任はイユしかいなくなる。やはり、一度魔物の巨大な嘴に捕まって、普通の人間が生きているとはどうしても考えられない。自ら意味のない危険に飛び込むことはできない。そう考えてのイユの返事であった。
イユの魂胆を知ってか知らでか、然りと刹那は頷いている。
早速刹那は二人から身を放し、水場を迂回するように走っていった。なるべくイユたちから離れたところから、岩の鳥を呼ぶつもりなのだろう。
それを受けてイユたちも動き出す。
「リュイス、飛べるわよね」
言葉だけで確認し、飛び回る岩の鳥の視界に入らないよう、ゆっくりとスズランの間を縫って岩山に近づいていく。なるべく岩の鳥の視界を避けられる位置に移動したかった。
「無理です」
背後から掛かった言葉に、思わずリュイスを振り返った。比較的すぐ後ろにリュイスがいて、首を横に振っている。そうして、イユを追い抜いた。
「飛べばアグルの元にすぐにたどり着けるんじゃないの?」
疑問を投げかけると、背を向けたリュイスに説明をされた。
「今は無風です。飛べる条件ではありません。そして、相手は鳥です。風を操るとばれるかもしれません」
思いっきり舌打ちする。岩の鳥は普通に飛んでいるのだから、風の条件など考えもしなかった。それでは、地道に岩山を登っていくしかない。
ちらりとアグルを確認したが、やはり体の一部が時折かすかに映るだけで様子が不明だ。
突然、けたたましい奇声が上がった。
空気をも揺るがす震動に耐えきれず、耳を塞ぐ。そうしながらも、大きな羽を何度か羽ばたかせてイユたちとは真逆の方向へと飛んでいく、岩の鳥の様子を確認する。囮役は見事に惹きつけたようだ。
「行くわよ」
気持ちの整理はつかないままだったが、事態は動いている。小声でリュイスに指示を出し、前へ飛び出した。刹那がどの程度持たせられるかわからない以上は、早くしなくてはならない。
本気を出せばあっという間に、岩山が近づいてくる。岩山の手元まで来ると、早速それを掴んだ。
岩山は思った以上にしっかりしている。試しに全体重を乗せても塵一つ落ちない。あの岩の鳥の作品だとしたら、その強度を褒めてやるべきだろう。
岩山を登っていくイユの後方からリュイスがゆっくりと上がってくる気配がする。山登りは残念ながら龍族の得意分野ではないらしい。
見上げると、アグルの金髪が僅かに見えていた。あと少しと意気込み、岩に手を掛ける。それから次の岩へと手を伸ばし、更に力を込め体を引き上げて――――、それと目が合った。
悲鳴を上げかけ、寸前のところで口を閉じる。心臓がばくばくと鳴った。
――――イユの目の前で、頭蓋骨が睨んでいたのだ。
今まで登ってきた岩山の存在に理解が及び、嫌な汗が体を伝う。
「みてはダメよ」
小声で自身に言い聞かせる。だが、得体も知れない何かを握っている恐怖と好奇心には勝てそうにない。深呼吸をし、なるべく目の前の頭蓋骨を見ないようにしながら今、手を掛けている右手をみた。
ただの岩にみえる。
ふぅっと息をつく。全てが全て、頭蓋骨などの骨を積み重ねて作ったわけではないらしい。悪趣味な作品を後で壊してしまいたいと考えながら、忌々しい山を蹴るようにして更に登る。
そこで、呻き声が耳に入った。下でリュイスが同じように人骨を見つけたのかと思ったが、遅れてその声が上からのものであるのに気付いた。
「アグル……?」
金髪の頭がわずかに揺れる。風で揺れたわけではない。まさかの生存に、心臓が跳ねた。
イユの手足はアグルのもとへと近づくべく、急ぎになる。
「アグル?」
そうして頂上に登り切ってから、早速声を掛ける。
アグルは倒れており、腹部が真っ赤に濡れていた。だが四肢はみたところ、揃っている。わずかに瞼が動き、そして瞳が開かれた。
「ヘクタ……?」
知らぬ名で呼ばれた。意識がどこかをさまよっているようだ。家族だか友人だか知らないが、この状況で呼ぶ名はきっと大事な存在なのだろう。
「逃げるわよ」
届いてないだろうが、伝えてやる。イユは抱えようとアグルに手を伸ばす。
そのとき、けたたましい鳴き声がイユを襲った。その声が怒りを表していると感じ取れたのは、イユの弱い心が警鐘を告げたからかもしれない。そうして事実、岩の鳥の羽ばたく音が近づいてきた。
刹那が失敗したのだろうか。やはり、囮はイユが行くべきだったのだろうか。
いろいろな想像と後悔と疑問が浮かんだが、答えを探している時間はない。
アグルを抱き抱えた頃には、イユの視界に岩の鳥が見えていた。イユに気がついた様子で、近づいてくる。
――――逃げろ。
心の中の声が叫んだ。せめて足がきちんと地面に立っている場所でなければ、巨大な魔物を相手に立ち向かえない。早く逃げないと死んでしまう。
一瞬躊躇した。岩山を下りるにもアグルを抱えてでは時間がかかる。アグルを連れて逃げたら、間に合わなくなる。それが分かってしまったからだ。
勝手に巣に入ったイユへの怒りでか、岩の鳥が大きな嘴を開けているのが見えた。その口の中まで岩でできていることを確認できてしまう。故に、嫌でも理解する。岩の鳥に噛まれるということは、岩と岩の間に挟まれることと同じなのだということをだ。普通の人間だから助からないのではない。異能者のイユであろうと、まず命はない。アグルが生きているのは、ただ運が良いだけだ。早く逃げなくてはならない。
岩山を下りようと手こずりながらも、やはり抱えたアグルが重かった。すぐに無理だと気がつく。ここから飛び降りるには高さがありすぎる。そうなると、抱えながら少しずつ岩山を下りるしかない。どうしても時間がかかりすぎるのだ。助かろうと思ったら、アグルをその場に捨てて逃げるしかないことを強く意識する。
今更、後悔が過った。あと少し早ければ、あるいはイユが囮になって時間を稼いでいたら、助けられたかもしれないと考えてしまった。
まず何より、今の状況が一番中途半端なのである。ここでアグルを見捨てたらアグルは地面に落下してまず命はない。しかしアグルを見捨てずに抱えて山を下りれば岩の鳥に襲われてしまう。与えられた二択に胸が張り裂けそうになりながらも、理性がイユに訴える。
何も迷うことはない。いつもこうして諦めてきたのではないかと。
異能者施設を出た先でも、死んでいく仲間のことを助けようともせず自分だけ逃げた。異能者施設では、助けを求める人の声を聞くまいとした。むしろ、食料を奪って見殺しにしてきた。
どちらもそうしないと生きていけなかったからだ。そこまでして生きようとしなければ、助からなかった。狂っていく倫理観は意識していたが、見えないふりをしていた。今回も、同じことである。許せとは到底言えない。
だが、自身が助かるためにアグルを見捨てることは、今までの生き方と何ら変わりない。そう、囁く声が聞こえた気がした。その声はイユに、同じ選択を繰り返せば良いだけだと訴えている。そうすれば、生き残れると告げている。
「今です!」
イユがアグルを手放そうとしたのと、リュイスの声が聞こえたのがほぼ同時だった。
突如、目の前に巨大な猛る風が現れた。それが岩の鳥へと襲い掛かるのが、風の勢いで分かった。
悲鳴をあげる岩の鳥の声が、風の音に掻き消されていく。
「引き受けます。イユさんは先に逃げてください」
気づいたら、リュイスがすぐ近くまで上がってきていた。そうして耳元でイユにそう告げた。岩の鳥を目の前にして、逃げるのではなく、アグルを代わりに抱えてイユを逃がそうとしている。
理解した途端、身体中を衝撃が走った。素直にアグルを引き渡しながらも、一体どこまでお人よしなのかと言いたくなる。
それに、風は長引きはしない。岩の鳥の悲鳴は、すぐに怒りの咆哮へと変わる。衝撃があっただけで、大きな怪我もなさそうな様子である。羽ばたく音が響いた。
一方で、リュイスはイユから受け取ったアグルを抱えて、数段だけ下りていた。それどころか、風の魔法を使おうとした。岩の鳥に少しでも衝撃を与えようというのだろう。岩の鳥のほうを見ようとして、身体を僅かに前へと乗り出した。
それがまずかった。
そのとき、岩の鳥の羽ばたきによって現れた強烈な風が岩山を揺らしたのだ。
イユはしっかり岩を掴んでいたから助かった。だが、アグルを抱えて片手で岩山を掴んでいるリュイスに防ぐ術はない。あろうことか、リュイスはアグルごと岩山から身を投げ出す形になった。
「ちょっと……!」
空いている手を伸ばしたが、到底リュイスには届かない。
リュイスはアグルを抱えた状態でまっすぐに落ちていく。いくら龍族でも怪我をせずに済む高さではないことは容易に想像できる。
間に合わないと分かりながら、イユは体を滑らすようにして地面へと駆け下りる。それぐらいしか、できなかった。
地面すれすれになって、リュイスから羽が生えたのが見えた。そして、風が、ふわりと落下する二人の体を包み込む。リュイスの魔法だ。
だが、それだけだった。確かにその風は一瞬だけ落下する二人を受け止める様子をみせた。しかし、そこで無情にも風は、止んだ。
魔法が異能と同じというのならば、力を発揮するには用途の指定がいる。指定しない力は暴発の要因になるが、暴発を防ぐため最低限の力に対して用途を指定することもできる。イユならば一人で木を持ち上げることができるが、指定しなければ抱えた木をその腕で割ってしまうだろう。そして、そこに何らかの制限が加われば、重たい木を一人では持ち上げられず、人の手を借りることになる。
だからきっと、リュイスが意識してできた魔法の限界が、この結果だった。
よって、二人はあっという間に冷たい地面へと叩きつけられた。鈍い、嫌な音が響く。
その出来事に呻いている暇はなかった。すぐにイユを照らしていた太陽が遮られたのだ。
はっとして見上げると、そこには山の頂上で首を傾げる岩の鳥がいた。視線の先にいるのは、落ちた二人だ。羽を羽ばたかせただけで動かなくなった二人をどうしたものかと思案しているようにも思われた。
そうして奇声を発した。動かなくなった二人にとびかかろうと身構える。二人を岩山に再び積み上げて、途中で見つけた頭蓋骨のように自身の作品に加えようという意思さえ感じとれた。
「リュイス!」
イユは名前を叫びながら、倒れる二人へと走っていった。岩の鳥が山から離れ二人に向かっている影に怯えつつも、無我夢中で走るしかなかった。
だが、助かるはずがないことは分かっていた。岩の鳥より先にたどり着いたとして、その後どうすればよいのかの算段はまるでついていなかった。異能を使えば二人共背負えるが、抱えるにも手間取ることは予想できた。そのうえで逃げるとすると、どう見積もっても数十秒は足りない。それに高所から落ちたリュイスがそもそも生きているのかも定かではない。名前を叫んでも返事がないという事実が絶望になってイユの心を蝕みにかかる。
おいて逃げるという発想が頭を過る。元々考えていたことだ。それにリュイスは恩人だが、アグルはどうだろう。恩人でもなければ友人でもない。かろうじて顔見知りになったというだけのことだ。しかもたった一日前のことである。そのうえ相手がイユに好意を抱いているならともかく、イユに対して怯えてすらいるのだ。どうしてそのような相手に命を掛ける必要があるというのだろう。
そのとき何かに呼ばれた気がした。まさかと思い、岩の鳥のほうを振り返る。逆光で岩の鳥の輪郭がくっきりと映り込む。そのすぐ後ろで、何かがぴかっと光った。
はっとする。
イユの眼は、はっきりと捉えた。岩の鳥が首を振って暴れている。その背から振り落とされないようにと、跨っている人の姿がある。太陽の光を反射するナイフが再度ぴかっと光って見えた。
「刹那……!」
思わず、叫んだ。囮役は失敗したのだろう。しかしこうして刹那はイユたちの逃げる時間を稼いでいる。
イユは振り戻るとリュイスの元へと走り、たどり着く。
「リュイス、起きて!」
思いっきり何度も頬を叩く。少し前まで考えていたはずの算段など頭から吹き飛んでいた。
「お願い!」
そのとき、
「う……」
リュイスの呻き声が耳に届いた。生きているのだと衝撃を受けたが、どうもまだ意識が虚ろのようである。瞼がぴくぴくと痙攣していた。長い睫毛がそれによって僅かに揺れる。
とにかく起きてほしい一心でもう一度頬を叩くと、うっすらと目が開けられた。
「イユ、さん……?」
「とにかく今は逃げるの!」
それだけ言い捨ててリュイスの上のアグルを抱える。リュイスが歩けない状態だったら二人を抱えないといけないところだったが、ふらつきながらもリュイスは立ってみせた。アグルは落下の勢いでどこかぶつけたのかもしれない。呻き声もなく、体も少し冷たくなってきている気がした。生きているかはわからない。だが確認している暇はない。
アグルを背負って走り出す。リュイスがそのあとを続いた。
何度目かになる怒りの奇声を上げながら、岩の鳥が飛んでくる気配がする。どうなったかわからない刹那に感謝するのも生きていられたらだ。




