その649 『アタリ』
「刹那!」
駆け寄ろうとしたところで、レパードに羽交い締めにされた。
「寄るな! 逆に巻き込む」
声に足を止めたイユはすぐに気がついた。レパードの魔法が刹那の周囲に満ちている。落ちた刹那を巻き込まない位置ではっきりと周囲の手を牽制している。
それだけではない。イユたちの周りにいる手も合わせて落雷にやられている。走る稲妻は全てレパードのものだ。レパードはそう、戦い続けている。
だというのに、イユは何をしていた。
そっと下唇を噛む。イユがやっていたのは、ラダとセンを運んで刹那のいるほうに近づいただけだ。そんなことでは主は倒せない。それを知っているから、歯噛みしたくなる。
刹那が立ち上がるのが見えた。生きてはいる。だが、立ち姿が怪しい。明らかにふらふらとしている。万全の刹那ならばともかく、今の刹那一人で主全ての相手は厳しいだろう。
イユは辺りを見回した。何か投げるものでもないのかと考えたのだ。
だが、落ちているのは木の枝ばかりだ。投げても大したことがないのは経験済みである。
せめて、増え続ける手の数。それらを倒す手段さえ見つけられたらいい。
けれどそう、都合の良いものは落ちてはいない。どうすればよいのだろう。
「私、もう一回捕まってくるわ」
提案が突拍子もなさすぎたのか、レパードとマーサにびっくりした目で見られた。
「声が聞こえたといったでしょう。何回か捕まって本体を探してくるわ」
「いやいや、待て。さすがに自殺行為だ」
レパードの魔法が不自然に飛び散ったのは、動揺だろう。
「イユちゃん。あまり危ないことは……、えっと、捕まっちゃうと鳥籠に入れられちゃうのでしょう?」
マーサがあまりよくわかっていない様子で反対する。恐らくは遠くにいすぎてイユたちに何があったか見えていなかったのだろう。
だから、イユは少し詳しく説明した。
「あの手に捕まると『霧すがた』をみたときと同じになるの。力とかやる気とか感情とか全部奪われてしまう感じになるのよ」
「ちょっと待て。そんなことになっていたのか」
レパードの驚きにイユは戸惑う。
「そうよ。レパードも、囲まれたときに膝をついていたでしょう?」
「それは膝を斬られたからだ。いや、刹那曰く引っ掻かれたか」
なんだか話がおかしいことに、気が付いた。
「ちょっとまって。じゃあ、なんで私が倒れたと思って」
「何って見えにくいとかいう手にやられたんじゃないのか?」
その発言に、考えを覆された気がした。レパードは何も奪われていないのだ。それが主の意図によるものなのか、レパードだと奪えない理由があるのかまでは、分からない。ただ、可能性として一つ浮かぶものがある。
「試したいことがあるのだけれど」
今度は何だという視線を向けられる。
「大丈夫よ。大人しく捕まるよりはまだ危険じゃないわ」
逆にもっと危険だと怒鳴られかけた。渋々ながらも認められたのは、刹那の動きが悪いからだ。彼女をフォローしながらもレパードはイユにも魔法を放つことになる。
「本当に大丈夫か?」
「平気よ。痛覚は鈍らせておくから」
レパードの不安は当然といえた。何せ、下手をするとイユ自身が黒焦げになる。それを認めさせたのは、このままここにいても全滅だという現実があるからだ。
「改めて言うが、お前じゃないと本当にダメなのか?」
レパードがいうのは、刹那では駄目かということだ。イユは生身の人間だ。まだ刹那のほうが生き延びる可能性が高い。それを見越しての意見である。
「駄目よ。声が聞こえたのは今のところ私だけだもの。それに、刹那が倒れたら誰が戦うの」
イユにでもできることはあるはずだ。だから、動く。そう決意したところで、レパードの表情に気がついた。その手へと、そっと自身の手を乗せる。
「イユ?」
「大丈夫よ。私は死なないわ」
自分だけがやる気でも、倒せない。それは分かっていた。それに、レパードの不安は当然のことだ。
「イユちゃん、本当に無茶は駄目ですからね?」
無茶をしないかで言えば、今からやること自体が全て無茶だ。けれど、無茶にもきっと範囲というものがある。本当に危険を感じたら戻るぐらいはできるだろう。
だから、マーサの言葉に頷いて、イユもまた手へと向かっていく。
無邪気にやられにやってくるイユを見て罠とでも思ったのだろうか、意外にも手は一歩引いて眺めているだけであった。そのおかげでタラサの近くにいる刹那へと近づける。更に挑発もできた。
「何よ? 怖気づいたの」
からかうように声を掛ければ、反応があった。向かってくる手に、イユはしかしすぐには捕まらない。何せ潰すようにのしかかってくるのだ。下敷きになっては声が聞こえてもどうにもならない。躱し、避け、そうして飛んだ先ではっきりと刹那の姿が見えた。驚いたように目が大きくなっている刹那をみるのは、初めてのことかもしれない。それだけでも、ここまで飛び出てきた甲斐があったというものだ。
「行くわよ」
宣言とともに、イユは手の甲へと蹴りつける。来るだろう疲労感に備えて、歯を食いしばった。一瞬意識が揺らぐ。それを唇を噛むことで耐えきったイユは敢えて主の人差し指を掴み、レパードに合図を出した。
雷はイユの周囲ではなく、イユ自身に落ちた。ただし魔物を葬るような威力ではなく、人を気絶させるよりも少し弱い程度の力だ。昔、イニシアの図書館で兵士につかっていたときには完全に意識を奪ったが、今回はそれより弱い。ただ、本当に弱すぎると手も衝撃を受けない。それだとイユは手に掴まるだけだろう。
だから強くするように言ってあった。命や意識を奪われない程度の力だ。痛覚は鈍らせても、衝撃がある。
手が震えているのが視界に映る。イユの周りにある雷、魔物を撃つには弱いはずのそれが効いているのだ。レパードの魔法はちゃんと効き目がある。だから、レパードだけは鳥籠に入れるのではなく直接潰そうとしたのだろう。
ただ、被害を受けているのが透明な手ばかりだから、イユたちには痙攣しているようにしかみえない。弱みをみせないのは、生き物の常套手段。考えてみれば、理解のできるのことだった。
その場に震える手をがっつり掴んで蹴り上げる。逃げようとするが、逃さない。幸いにも雷が効いているのか、まだイユの意識はしっかりしている。今が機会だ。再度蹴りつけたイユは、捕まえていた人差し指が消える瞬間を見た。
溶け込むようだった。捕まえていた重さがなくなってイユの身体がバランスを崩す。
その瞬間、爪で身体を割かれる感覚がした。掴んだ指とは別の指、親指がイユの背を引っ掻いたのだ。普段なら避けきれる攻撃だが、今までの疲れのせいで避けられなかった。
がんと力を奪われる感覚がある。けれど、動きは止めない。思いっきり蹴りつけて手を消しやると、今度は背後から襲い掛かってきた別の手へと振り返る。中指へと飛びつけば、意識が飛びかけた。レパードの魔法のおかげで逆に意識が戻り、どうにか捕まる。同時に声を聞こうと耳をそばだてる。
今のが駄目なら次だ。どこかに本体がいるはずである。
「ワタシノモノニナレバイイ」
聞こえてきた声に、早くもアタリをひいたと喜ぶ気にはなれなかった。




